山形道場 復活第 ?? 段要約: グーグルがすべてを支配して知のあり方もグーグル検索ですべてすむようになると思っている人たちは、グーグルがどうやって検索結果を出すのか忘れている。あれは少数の人が既存の知的体系に基づいてページやリンクを作成するからこそ、それを参考に正しい検索結果が出る。したがって、それが完全に置き換わることはあり得ない。全員がグーグルに頼るようになったとき、グーグルはまったく役にたたなくなる。
梅田望夫『ウェブ進化論』なんかが話題になったりして、ずいぶんとグーグルが持ち上げられている。瀬名秀明によれば、グーグルは神でその検索結果はご託宣だという人までいるとか。東浩紀はこれを「検索と共有のエピステーメー」という。「彼らの夢は、人間社会が生み出すあらゆる情報をネットワークを介して連結し、検索可能にする巨大な『情報発電所』の建設にある」んだって(*2, p.134)。人の人生すべてを記録するライフログと結びついて、グーグルの「検索の精度は一段と拡大する」そうな。これにより「近代のエピステーメーが終わり、新しいエピステーメーが開かれつつある」(*1, p.135)んだとさ。
やれやれ。東浩紀はいつもながら軽薄だし、特に技術的な知識の底の浅さは時に唖然とするほどだ。この欄でエシュロン話をした時にも述べたが、データベースは、でかけりゃいいってもんじゃない。グーグルの検索精度が高いのは別にデータベースがでかいからじゃない。そこから情報を抽出するアルゴリズムが優秀だからだ。それに触れずにグーグルについてあれこれするとはね。
瀬名は賢いのでこれを理解している。グーグルの特徴として「何をどのように切り取るかの道筋が、背景に潜むエンジニアによってデザインされている」 という。うん、論点はわかるがちょっとちがうのだ。エンジニアの働きは比較的薄いのだ。ポイントは検索されるページのほうにある。グーグルの仕組みを知っている人はわかるだろう。あれは基本はリンクを重視している。リンクが多ければ(基本的に)そのページは検索上位に出るのだ。
そして、そもそもなぜその結果をぼくたちが優れたものとして認識するのかを考えてごらん。それは基本的には、正しいとされる体系――いわば教養体系――がすでにあるからだ。そしてこれまでページを作ってきた人々は、部分的でも一知半解でも、多少なりともそれに準拠してページやリンクを作ってきたからだ。だからこそそうしたリンクを統計的に処理すると、ほぼ既存の教養体系に近いものが上位にあがってくるし、それを見てぼくたちが納得するのも、その体系がぼくたちにも共有されているからだ。ぼくたちは「ググールさまさまだねー」と拝むけれど、その背後にいるのはエンジニアよりむしろ、近代のエピステーメーを身につけたページ作成者たちなのだ。
そしてここからすぐにわかるのは、グーグル的な知のあり方の限界だ。みんながそれをやるようになったら、もはやこの仕組みは成立しない。あらゆる人があらゆる知識についてググるようになったら、グーグルの検索結果はまったくランダムなものとなり、その実用性は失われる。
これは効率的市場仮説みたいなところがあって、それが百パーセント真実だと思ってみんながそれを採用したら(効率的市場仮説の場合は、市場の価格以外は一切見なくなることだし、グーグルの場合ならグーグルの検索しか使わなくなることだ)崩壊するけれど、ある程度の人がそれを信用しなければ、つまり市場価格以外の情報をあてにしたり、グーグル以外の情報組織方法を採用したりすれば、見事に成立してしまう。完全に正しくないこと、百パーセント信用されていないことが、その理論や手法の有効性の前提となっている。
つまりは、グーグルはむしろ「近代のエピステーメー」の枠内にとどまる存在どころか「外部」を持つことで成立している実に近代的な存在だ。でももしそうなら……グーグルはたぶんどこかで自分の成功を警戒しなきゃいけないだろう。ぼくはかれら――またはその類似企業――がどこかでおそらく既存の教育体系に投資を始めるだろうと思う。検索の核となる情報を、グーグル自身と離れたところで形成するために。ぼくはそれを楽しみにしているのだけれど。
*1 「東浩紀ジャーナル第一回 検索と共有のエピステーメー」季刊SIGHT P. 132-135.
近況:あてにしていた仕事にことごとくふられて、営業の日々です。
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