CYZO 2004/12号。表紙は瀬戸早妃がガソリンポンプを構えてる 山形道場 復活第 ?? 段

今月のsplunge! 単純化の風潮がどうした。

(『CYZO』2004 年 12 月)

山形浩生



 前回、『華氏九一一』をほめたら、そこでちょいと触れた唐沢俊一がさらにあの映画を批判していた。曰く:

「あれで問題なのはあの映画の内容ではなく、あの映画に踊らされて世の中を“単純化”して見る風潮が蔓延することなの である。問題の単純化は、“これを無くしちゃえば世の中は丸く収まり、万事うまくいく”という、ビッグマック以上に麻薬的な単純思考(もちろん、映画はどちらもそこまで単純ではない。しかし、メッセージ、殊に強烈なメッセージ性というものは常に受け手には単純化されて伝わるものである)に若者を染めてしまうのだ」

 ぎゃははは。若者が染まってしまいますか。ちなみに唐沢俊一というのは「トリビアの泉」とかいうテレビ番組の関係者として有名らしいけれど、ぼくはテレビを見ないのでと学会の人としてしか知らない。この人の日記等は、とってもおもしろいし勉強になるんだけれど、ときどき自分がいかに世知にたけていて、世間知らずの青二才評論家とはちがうかを必要以上に強調したがって、かえって青臭く見えることがある。それこそまさにかれの良さだし、存在意義の中核でもあるのだけれど。

 ぼくも青臭さにかけては人後に落ちる者ではない。でもぼくは、かれのこの物言いはまちがっていると思う。だって「強烈なメッセージ性というものは常に受け手には単純化されて伝わるものである」と当の唐沢が書いているでしょ。それなら別に『華氏九一一』がそういう風潮を蔓延させるわけじゃない。世間ってのがそういうもの、というか人間というのが基本的に情報を濃縮・抽出しつつ処理する以上、それは仕方のないことなのだ。華氏九一一の場合、どんな複雑なメッセージを送ったところで、最終的にそれを見た人はそれを煮詰めたあげくに、だれに投票するか(しないか)というごく数ビットの情報にまでそれを単純化するわけだ。メディアやヒョーロンカの役割の一部は、その濃縮プロセスを代替してやることでもある。一方で「ブッシュ最高!」と単純に思ってた人がこの映画を見て、単純でない見方に変わる可能性だってあるかもしれない。

 そして唐沢俊一はもちろん、自分のそういう物言いだって単純化されて受け取られることを当然承知しているんだろう。かれのこの主張を単純化すれば、要するに『華氏九一一』はダメどころか悪質な映画だ、というメッセージになる。もちろん唐沢俊一の主張はそこまで単純ではない。しかし、メッセージというものは常に(以下同文)。さて唐沢俊一はそれに対し、何かできるのか? 無理でしょう。

 もちろん、その濃縮の仕方がいいとか悪いとかは論じられるだろう。ぼくだってそういう話はいっぱいしている。歪曲や論点ずらしで濃縮するのは、そりゃまずいし問題だ。でもそうでないなら、単純化する風潮が蔓延する、なんていう変な議論で批判するのはピントはずれじゃないのかな。ダメならダメ、嫌いなら嫌いとはっきり言えばいいのに。ぼくは青臭いのでそう思うのだ。だいたい『華氏九一一』が そんな風潮が蔓延したか? ぼくがこれを書いているのは、まさにアメリカ大統領選の投票前夜。世論調査を見るとどうも蔓延不足なことおびただしい。なら結局、唐沢俊一の心配は杞憂だったわけだ。そして蔓延していないということは、結局『華氏九一一』は無問題でよかったってことなの? それともそれはそれでメッセージ性が不足してるということだからやっぱりダメなの? いや、それとも唐沢俊一の発言は、あれは自分にそんな心配をさせてしまうほどできがよかった、ということを暗に言っていたのかしら。うーむ、なんとも単純ではありませんな。



近況:アメリカの話はさておき、日本の台風と地震の被害も半端じゃなさそうだ。ええい、今年はいろんな寄付先が増えて困る。



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