山形道場 復活第 ?? 段
先日拙訳で出ました『Free Culture』のレッシグ教授からつっつかれて、日本アニメがいかにアメリカではやるようになったか、という論文を翻訳してみたのだ。これはなかなかおもしろい。MITのアニメ研OBショーン・レオナルドの論文なんだけれど、その主張とは要するに、日本のアニメ会社はほとんど何もしなかった、ということだ。アニメ受容の下地を作り、自腹を切って知り合いにそのおもしろさを広めたのは、アメリカ全土のファンたちだった。かれらは勝手に海賊コピーのテープを作って大量に流通させ、アニメ改宗者を増やしていった。さらに一部の子たちは勝手に字幕までつけて、ファン増大に貢献。そして、そういう下地があればこそ、アメリカでアニメは受容されるようになった。いままで何も知らなかった人たちがある日いきなり『もののけ姫』を見てアニメに目覚めたわけじゃないのだ。ついでながら、この論文はインテリの好きな『ファンタスティック・プラネット』について、単調さを衒学ぶりでごまかしている作品、とくさしていて小気味がいい。わかってるじゃん。
もちろん、ここからかれが引き出す結論は、著作権をあまりきびしく締め付けていたら日本アニメがアメリカで広まることはなかった、ということだ。著作権を持っていた企業は、それを活かすことができなかったんだもの。
うーむ。おもしろい。そしてもちろんこれは、日本の知的財産権を強化して保護しろ、という日本のお役所的発想に対する批判にもなる。それはつまり、ファンたちのやっていたコピーをしめつけろ、という話だ。でもそれをやったら、そもそもお役所がそんなことを思いつくような発展をアニメが遂げることはなかった可能性だってある。そして保護してあげたところで、企業がその恩恵にあずかって新しい市場を開拓できたか? 先日、どっかの商社が石ノ森正太郎作品の海外展開を、なんていう、どう考えても成功しそうにない企画をぶちあげていた。企業的発想はせいぜいその程度で、あとはできあいの市場を維持するのがせいぜいでは?
さて、こういうのは必ずしも強い著作権とかと相反するわけじゃない。これは別に珍しいやりかたじゃないもの。マンガでも、あるいはアイドルでもそうだ。最初のうちは、ファンサイトとかその手の代物を野放しにして、写真でもなんでもばんばん使わせて布教にはげませる。で、多少人気が出てきたらある日突然、無断使用はいけませんと言いだして――というのは時々きく。もちろんこれは個別の作品レベルの話ではある。ジャンル全体としてそれを実現する方法はあるのか? そしてできれば、最初に道を拓いてくれた子たちに後足で砂をかけるような真似をせずにすむ方法はあるのか? そこらへんはもうちょっと考える必要はあるだろう。
あとはもう一つ、この論文の弱さは現在の日本アニメの成功と、かつてのファン流通との関係を示し切れていないことだ。著作権無視のファン流通という下地がなければ、本当にいまの日本アニメ隆盛がなかったのか、ということだ。たぶんアメリカで『千と千尋』を見た人たちは、アングラ流通の『らんま1/2』のビデオを見ていたためにそれを受け入れたわけじゃないだろう。ディズニーのアニメとかのほうが、ひょっとしたら現在の成功の下地にはなっていたんじゃないか? アニメファンって、日本でもアメリカでもそんな一枚岩ではないと思うのだ。 とはいうものの、ある分野がジャンルとして成立する過程をまとまった形で描き出してくれた点で、これは本当に興味深い。本当に日本の知財立国とやらのためになるのは、ホントはどういう方針なのか? 野放しではないにしても、適度な自由度っているんじゃないか? 関心のある向きは是非ご一読を。
近況:毎年、今年こそ冷房をつけようと思いつつ出張が多いので放ってしまうのですが、今年はさすがにかなり参りました。結局つけなかったけど。
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