山形道場 復活第 ?? 段
もういい加減旧聞すぎるけれど、まあ書いておこう。ぼくは二ヶ月ほどまえ、朝日新聞というメディアに、イラク人質事件に伴う自己責任論を批判する人々について疑問視する文を書いたのだった。この議論そのものについては、ここでは扱わない。ここで述べたいのは、そこで書いた国や政府のあり方の考え方についてだ。
ぼくの議論は、政府というのはコミュニティの延長にすぎない、というものだった。政府はコミュニティ財産の管理人でしかない。コミュニティには手持ち資源を出し合って、困っている人を相互に助け合う機能がある。でもそれは無限じゃないから、使うときには無駄遣いされないようなルールが必要だ、というのがぼくの主張だった。
これに対し多くの論者――たとえば本誌先月号のM2対談の二人――は、このイラク人質事件の話をするときに必ずといっていいほどえらく抽象的な理念から入る。近代国家の基本原則は云々、自国民保護の義務が云々。そしてぼくのこの国や政府の考え方も、そういう抽象的な理念をもとにえらく批判を受けた。
さてぼくだってそういう理念だの原則だのを知らないわけじゃない(詳しくは知らないけど)。でも、理念や原則では動かないものがあるのだ。それは、現実というやつだ。ない袖はふれない。できないことは理念的にやるべきであってもできない。無茶をやって救出努力を要求してくる連中が激増したら、どっかで国の金や人材は底をつく(ちなみに絶対に助けるなんて見栄を切ったら、フリーライダーも続出で困るでしょ)。そうなったら理念がなんと言おうと、だれも助けてあげられなくなる。これは厳然たる事実なんだ。だったら、そうならないようにするためには、どっかで一線をひかなきゃいけない。
もちろん、この手の現実論だけで国や政府を考えろとは言わない。でも、現実論を考えないのは最悪だ。国とか政府とかを、そうやって変な理念や理屈やお題目だけで捉えることで、いろんなゆがみが出ていると思う。特に、お役人や官僚というものの扱いについて。今回の一件でもそうだけれど、みんな国やお役人にむちゃくちゃな要求をして平気だ。理念だから是が非でも助けろなんて、無限の努力をしろというのに等しい。でもかれらはスーパーマンじゃないんだよ。かれらだってぼくやあなたがたと同じ、一介のサラリーマンでしかない。だったら、かれらに無限の働きを要求するなんてできない。かれらだって、どっかでやってらんねーと思う。こんな仕事やめてやると思うだろう。そしたら困るのはぼくたちだ。かれらの働きに(なんだかんだ言いつつ)大きく依存している国民みんなが困る。そうでしょ。
だったら、かれらをそんなところに追い込まないようにしなきゃいけない。コミュニティの共有資産を浪費されないような規則も要る。理念やお題目がなんと言おうと、ぼくはこれは絶対に否定できないことだと思うんだけどな。
ところでこの議論について、ぼくには一つの仮説がある。理念先行で国に無限のサービスを要求する人は、貧乏人だ。多くの人は「おれは税金払ってる」とかいって胸をはるけれど、実はほとんどの人は、払っている税金をかなり上回る行政サービスを受けているのだ。その道路、その空気、その街角のおまわりさん。ほとんどの人(年収三百万とか四百万とかの人)が払ってる税金では、とてもそれはまかないきれない。
さて、そういう人の場合、行政サービスはなるべくたくさん要求したほうがいい。どうせこれ以上税金は払えない場合が多いし、またサービスに伴う増税があっても、自分の負担は相対的に低い。一方、ある程度以上所得があり、税金を払っている人は、もうちょっと社会のリソースとそこでの自分の負担に敏感だろう。ぼくはそこに、この国を巡る議論の分かれ目があるような気がしているのだ。が、これは今後また何らかの形で確認する必要があるだろう。
近況:小学校時代に見せられたスチル写真が怖くて今まで観る勇気のなかった「エクソシスト」をやっと観ました。いいできだなあ。でも、30年にわたり妄想していたよりはるかにシンプルで、ちょっと拍子抜け気分です。
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