CYZO 2003/12号。表紙は新聞コラージュに「バカの壁を越える新聞の正しい読み方」と赤字に白ゴチで入っている 山形道場 復活第 ?? 段

今月の喝!「ハッピー・ハロウィーン」

(『CYZO』2003 年 12 月)

山形浩生



 いまこれを書いているのは、欧米のハロウィーンという行事の真っ最中なのだった。南アフリカから香港経由でマニラに戻ってきたのだけれど、香港の蘭桂坊は、カボチャ灯籠やら魔女やらがそこらへんからぶら下がっていた。フィリピンのショッピングモール内も、仮装したガキがうろついている。そして……あちこちに、「ハッピー・ハロウィーン」と書いてあるのだった。

 ハロウィーンというのは、ホラー映画やテレビドラマとかでご存じの人もいるだろうけれど、ある意味でキリスト教に抑圧された土着信仰やら異端やらが、唯一出現を許される日、なのだ。ガキは各種の魔物やら妖精やらの格好をして、近所の家をまわっては、「Trick or treat!」と言って回る。「いたずらされたくなきゃ、ごちそうしろよ」というわけ。そう言われた各家は、お菓子をあげて、お引き取りいただく。子供にとっては、公然と大人にお菓子をねだれる、それはそれは楽しみな行事ではあるのだ。そして、もらってきたお菓子の戦利品自慢もまた楽しい。

 でも、一方で大人たちにとって、本来それはハッピーな行事ではないのだった。日本の東北地方に、なまはげという行事がある。家におっかないなまはげがやってきて、包丁をふりかざしながら、子供をさらってくぞ! と脅す。両親はそれをおがみ倒し、お酒をふるまったりごちそうをしたりして、なんとかお引き取りいただくわけだ。発想はまったくいっしょ。世の中には、おっかない魔物としか言いようのないものが徘徊している。その存在を年に一度とはいえ認めつつ、なだめて祀って追い返すのがこういう祭りだ。「なまはげさん、ようこそいらっしゃい」とか「なまはげ祭おめでとう」とか言ったら変でしょ。ハロウィーンだって、形式的にはきてほしくないものだったのだ。魔物なんかにきてもらっちゃいやだし、いたずらされるのもいやなのだ。お化けのほうは、確かに年に一度公然と外を出歩ける日なので、「今日は楽しいハロウィーン」と喜んだりする。でも一般には、ハロウィーンは不気味なもので、こわいもので、仮装をしたガキが戸口に現れたときだって、基本はおっかながってみせて、お願いですからいたずらしないでねー、と頼むのが本来の作法だったのだ。もちろん、それは子供が大人に対して権力を(形ばかりとはいえ)発揮できる機会でもあったのだ。だからこそ、「ハロウィーン」というのはホラー映画になるのだ。

 でも、もうだんだんそういう意識というのはなくなってきたんだねー。実は一時、多くのところでコミュニティが希薄になって、近所で知らない人が多いから子供が家をまわるのも危険だ、という議論があちこちで出て、この行事もちょっと低迷傾向だという話を読んだことがある。でもその一方で、別の形でも衰退が進んでいたわけか。形式面ではなく、その基本的な趣旨の理解、という面で。ネットで、アメリカ在住者の日記を見たら、そこの家は「お化けご一行様大歓迎」といった札までかけていたとか。そしてそのご近所ではみんな「ハッピー・ハロウィーン!」と言い合っていたとか。うーん。

 二〇年前にはアメリカの都市部でも、ハロウィーンの何たるかという共通の理解はあったのだった。それがいまはかなり崩れているようだ。コミュニティそのものの弱体化なのか、それとも単にハロウィーンの本来持っていた宗教的な感覚の喪失なのか。その両者は同じではないか、という気はしなくもない。パットナムは、ボーリングの衰退にアメリカ民主主義の停滞を見て取ったし、また麻雀人口の減少に日本のコミュニティ崩壊の徴を読み取る人もいた。もう二〇年したら、ハロウィーンという行事そのものが消えるんじゃないか。そしてたぶん、そこにアメリカのコミュニティ崩壊を読み取る人も出てくるだろう。日本では、もうお彼岸はほとんどないも同然、次はたぶんお盆だろう。



近況:クルーグマン関連本が二冊出ました。特に流動性の罠に関する本は、ここ数年ぐずぐずと遅れていた本なので、やれやれというところ。ところで日本はそろそろ雪でしょうか。



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