CYZO 2003/11号。表紙は新聞コラージュに「バカの壁を越える新聞の正しい読み方」と赤字に白ゴチで入っている 山形道場 復活第 ?? 段

今月の喝!「地球温暖化をめぐる後悔。」

(『CYZO』2003 年 11 月)

山形浩生



 「異常気象が人間の活動によって引き起こされたという確証はないよ。だけど、自制して損したという後悔より、もう少し自制しときゃこんなことにならなかったのにという後悔のほうがきつい。だから、やっぱり良識として自制しとくべきなんだ。その本の訳者である山形浩生なんかは、インテリやくざを気取って、「俺は良識派の大学人なんかとは違うぜ」っていうポーズをとりたがるんだけど、ああいう幼稚な自意識って十代で卒業しといてほしいよね」と述べたのは、あの浅田彰だ。「その本」というのはここでも紹介したロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』のこと。

 これはかれが、長野県知事とやっている放談シリーズの中のせりふだ。この回は、ネットワークと自立分散と規制緩和についてのつっこみどころ満載だったんだけれど、なかでもこの発言(の前半)は、そもそも地球温暖化をめぐる選択肢を浅田がまるでわかっていないこと、かれがロンボルグの本をまったく理解できていないことをあらわにしていて、とても悲しいものではあった。

 通常、温暖化をめぐる議論としてみんなが考えているのは:

 ロンボルグの本がまず説明したのはいまから二酸化炭素をカットしたって、地球が冷えたりしない、温暖化はどんどん続く、ということだ。だから選択二は、実際には存在しない。

 さて浅田彰がここで述べているのは別の選択だ:

 この選択は本当だろうか? これは最初の選択よりも実態に近いけれど、これは一つ重要なポイントを見落としている。最後のところでの世界の経済水準はまったくちがっている、ということだ。炭酸ガスのカットは、地球の経済成長をかなり阻害する。途上国が成長のためにとれる選択肢もかなり減る。だから選択二での地球は、ずいぶんと貧乏なところだ。その金で救えたはずの命もある。その金で実現できた水害対策もあるのに。だから本当の選択はこういうことだ。

 さて、どっちがいいだろ、というのがロンボルグの問いかけだ。あと五〇年して某途上国にでかけたとき「うちの島も豊かになったが最近は高潮対策のコストがかさんでかなわん」と言われるのと「例の温暖化反対で発電所建設が遅れたせいで、うちの子は治療が遅れて死んだ」と言われるのと、どっちがいいだろう。ぼくは絶対に前者のほうがいい。

 浅田の言う良識派の大学人ってだれかは知らない。でも流行の「良識」にだらしなくよりかかり、まともな思考を放棄する人のことなら、うん、ぼくは胸を張ってそんなのとはちがう、といえる。それにこれはポーズでも幼稚な自意識でもない。ぼくはホントに大学人じゃないんだよ。そしてそれは、少しは浅田彰のおかげかもしれないのだ。うろ覚えだけど、大学時代に見たテレビ番組「事故の博物誌」で、かれは白いパラボラアンテナをバックに、感情論やイデオロギーに流されず、あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考がえらいのだ、とか語っていた。ぼくが大学に残るまいと思ったのは、あのせりふの影響も少しはあったんじゃないか。

 その浅田彰が、放談とはいえこんな粗雑なことを口走るようになったとは。おセンチな「良識」なんぞによりかかった議論をして安穏としているとは。情けない。



近況:いろいろ仕事がたまって、相変わらず死にそうです。これははやく卒業したい……



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