山形道場 復活第 ?? 段
いまぼくは、電力がらみの仕事でバンコクにきている。で、こっちの電力業界の人とあれこれ話をしていてるんだけれど、やはり話題はほんの十日ほど前におきた、アメリカ東海岸の大停電だ。日本では一瞬で忘れさられたようだけれど、あれだけ大規模に送配電グリッドが落ちる、というのは尋常な事態ではないし、何も起きなかったのは別にテロ警戒やイラク爆撃で規律ができていたからじゃなくて、単に運がよかっただけだ。さらにオドロクのは、十日たった今になっても、その原因が一向にはっきりしないことだ。一つのグリッドが落ちると、連鎖反応的に次から次へとグリッドが落ち、復旧までに丸一日以上かかり――それが何の原因かもわからない?
ただし間接的な原因としてはすでにあちこちで言われていることがある。それは、構造改革と自由化の問題だ。アメリカの電力セクターは構造改革と自由化が進みすぎて、それ故にああいう事態になったんじゃないか? 数年前のカリフォルニアの電力危機と併せて、今回の事件はそういう見解をかなり裏付けるものとなっている。
電力を安定に供給するなんて、簡単といえば簡単だ。システムのいろんなところに、余裕を持たせておけばいい。発電能力、送電能力など、余裕を見た設備投資が行われていれば、まあ何か非常事態が起きても対応できるだけのマージンができる。多くの国では、電力は独占公共事業体が発電から送電、配電まですべて担当している。こうした公共事業体や公社の多くは、独占で競争がなく、お役所まがいで、効率が悪く、利用者のニーズにも応えずに無駄が多いことになっている。いま流行の電力セクター改革では、発電は自由化して民営化し、だれでも発電所を作れるようにする。そしてそれを送電事業者に競争して売るようにする。そうすれば、競争が発生して、市場の働きでもっとも効率よい低コストの電力が得られて、そのコスト低下分が利用者に還元される、という考えだ。
これはこれでまちがっちゃいない。でも、電力の安定供給のためには、余裕が必要だ、とさっき述べた。余裕、すなわちふだんは遊んでいる無駄な部分だ。自由化と民営化は、極端に言えばそうした無駄をなくすための手法だ。それはつまり、システムの余裕がなくなる、ということでもある。さらに、いろんなレベルで分割され、異なる民間事業者が運営しているシステムにおいては、今回みたいにシステム全体が落ちたとき、だれのどこに責任があるのかはっきりしない、ということになる。民間は、自分の利益を最大化するよう、必要最低限の投資におさえようとする。それに対して「おまえが余裕ある運営をしないから」と言えるか? もし無駄な運営をしろと民間に強制するなら、その無駄な分についてはだれが払う? そして無駄を残しておく必要があるなら、構造改革だの自由化だの民営化だのにどこまで意味があるんだろうか? すでにある程度効率よく運営されているシステムなら、それを構造改革だの自由化だのというお題目で無理に変えることは、たいしたメリットを生まないかもしれないどころか、かえって有害になる可能性だってある。バンコクの電力関係者の中には、いま「それ見たことか」という顔をして、だから無理に構造改革なんかしないほうがいいんだよ、と言う人も結構いる。
これはもちろん、必ずしも我が国の構造改革談義にすぐにあてはまるわけじゃない。これだけをもって、構造改革はダメとか役立たず、とかいうことにはならない。あれとかこれとか、非効率な部分はあるし、それを改善するのはまあいいことだろう。ただし……それが本当に言われるほどたいした話なのか、というのは疑問視する必要はあるんじゃないか。それが本当に日本の場合に景気回復と関係あるのか、というのもまた、よく考えてみる必要はあるんじゃないだろうか。
近況:というわけでやっと日本に戻ってきたら、タイより暑いではございませんか。バラード「コンクリート・アイランド」の解説を書きましたです。
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