山形道場 復活第 ?? 段
最近、諸般の事情で教育なんてことについてあれこれ考えるはめに陥っているのだ。哲学研究者の内田樹が教育についてどっかで書いていたことだけど、教育というのはある種の幻想に基づいている。教師なんて実は大したことを知っているわけじゃない。でも、それを知っていると思わせないと教育が成立しない。教師の権威というのは、「自分には及びもつかないことをこの人は知っている」と生徒が思うところからきている。そしてもちろん、その「及びもつかないこと」なんてのは実は存在しないんだけれど、でも、それをあると思わせるのが教師だ。生徒は結局その「及びもつかないこと」を教えてもらえないまま、卒業する。そして生徒が最終的に本当の意味で学ぶのは、たとえば自分がうっかり教壇に立ったりする立場におかれて、「うひょー、おれに教えることなんかないぞ」と焦ってなんとか数回はったりで乗り切ったときにふと、「実はセンセイも、いまの自分と同じく大したことを知らなかったんだ」と悟るときなんだ、と。
実はそういう話は実際にあって、日本の発電の歴史でも、最初はフランス人の技師がきて、いろいろ技術指導をやって、日本のまじめな技術者たちはプロジェクトXそのものの努力を積み重ねてその技術をどんどん吸収していったんだと。ただ、一つだけ、フランス人の技師が説明してくれない、変な箱があった。
で、フランス人技師の契約が切れてかれが帰るとき、そいつはその箱を指さして「これは絶対にはずすな、いじるときはおれたちに連絡しろ」と言い残して、でもその機能については最後まで説明せずに去ったんだそうです。日本の技術者たちはそのことばを信じて、「フランス人の箱」と称してその箱を大切に守ってきたし、新しい発電所を作るときには、フランス人に高いコンサル料を払って、その「フランス人の箱」の敷設をやってもらってたわけですが、ある日、日本の技師たちが「これは何をしているんだ」ということになって、いろいろ調べたが、どうもさっぱりわからない。さんざん調べたあげく、「これって実は何もしていないんじゃないか」ということになって、一部の老技師の強硬な反対を押して、おそるおそるその箱を取り除いたんだそうです。
すると、何も起きなかった。その箱は、本当に何もしていなかった。
それを知って多くの人は、「ちくしょう、だまされた、あのフランス人どもめ」と言って激怒したんですが、でもそれをはずしたときが、日本がフランスの技術の呪縛から脱して、本当に発電技術を自分のものとしたときなんだよ、だからあれは日本にとっての卒業試験みたいなものだったんだよ、とぼくにこの話をしてくれた老発電エンジニアは言ったのだった。なるほどね。
とはいえ、別にそのフランス人が善意でそんなことをしたわけじゃないのは絶対にまちがいないことで、そいつらは「日本人から金むしったるもんね」と思っただけなのもぼくは想像がつくのだ。そして、それとまた別の話として、こういう幻想に基づく教育というのはホントにいいのかな、というのがぼくの最近考えていることなのだ。
多くの分野で、このフランス人の箱が温存されているどころか、そもそもその箱が何をしているのか調べようという考えすら起こさない人が多すぎるんじゃないか、ということが問題なんじゃないか、ということなのだ。そしてなぜそういう人が出てしまうのかといえば、それはまさに、ありもしないにんじんをぶらさげて、その方向にみんなを誘導しようとするからではないか。だんだん、お稽古ごとでお免状が目的化してしまうように。そしてそれは、その箱の幻想が有効で教育がうまく行けばいくほど、みんなその箱を大切にしてしまって、その最後の卒業試験が試験であることさえ見過ごされるんじゃないか――そういうことだ。
じゃあ、そのかわりに何を提供するかというと――ぼくはいま何も思いつけないのだ。ヒントすら。
近況:3月が終わらないのにもう5月で、すぐにフィリピンに出かける予定だったが、それがSARSとはまったく関係ない理由で延期になって、なんだかわけがわかりません。
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