山形道場 復活第 33 段
先日、九月のテロがらみの「緊急出版」という書物二冊が角川書店と文藝春秋社からそれぞれ出た。ぼくはどっちにも翻訳で協力はしているけれど、自分では文を書いていない。数ヶ月前に書いたように、ぼくがあの事件をあまりリアルタイムで見ておらず、一般の感覚とかなりずれている気がするからだ。でも、いまできあがってきた本二冊を見て、ぼくは無念さと安堵の両方を感じている。ごく少数を除き、収録文のどれもひどいシロモノばかりだったからだ。こんなの文が垂れ流されるくらいなら、ぼくのずれた感覚を書いたほうがずっとまともなシロモノになったという気持ちと、こんな駄文の中に自分の書く文が埋もれていっしょくたにされるのは気分悪かっただろうな、という気持ちの両方があるんだ。
一冊は、文藝春秋系の雑誌にのったいろんな記事を中心に集めたものだけれど、酷いもんだ。榊原英資が「戦時経済になる」なんていうホントにバカな煽りを得意げに書いている。一方的に爆弾落としてるだけで、こちらの被害は散発的なテロ以上には絶対ならないこの状況で、どこが戦時経済やねん。ホントにこんなやつが大蔵省ででかいツラしてたわけ? あるいは曾野綾子の、馬脚を隠す努力すらしていない偏見に満ちた先入観垂れ流し「対談」。
そして角川のほうは、身辺雑記や個人のセコイ悩みのことしか考えたことのない人たちが、何かこの一件について言わなきゃいけない義務感にかられて、小学生の作文みたいな駄文ばかりが並んでいる。戦争はいけません。でも人殺しのテロもいけません。やっぱり自分の生活が大事だから戦争反対。まともなのは、日垣隆と、そしてぼくが訳したいくつかの文だけ。
多くの人がうろたえているのはわかる。特にこれらの本の収録文が出たのはまだ事件があったかなり直後だっただろうし。でも、もう一つわかることは、多くの人はこの一件について考える枠組みも情報も構築力も何もなく、ただひたすらに空っぽなだけだということだ。文春のほうも、角川のほうも。よくわかんないけど戦争反対。とりあえず人殺しのテロはいけません。なんだか知らないけど戦争らしいから戦時経済。宗教がらみらしいからキリスト教。だれかが言ってたからグローバリズム。
言うことがなければ、だまっていればいいのに。胸をはって「自分には関係ない」と言えばいいのに。そう言いたくなければ、まずは情報をきちんと集めて考えればいいのに。情報がないからまだわかりませんと言えばいいのに。でもかれらは、たぶんテレビでたくさん映像を見て、それが何か自分に関係があるように思ってしまったんだろう。テレビの画面を見ていただけなのに、その場に居合わせた気分になって、当事者になった気でいるんだ。あるいは、「知りません」「わかりません」と言うことがなにやら沽券に関わると思っているんだろう。でも、そんなのはまったくの幻覚妄想だ。社会に関心を持てとか、世界の問題を自分の問題としてとらえなさい、とかいうお説教をする人は多いけれど、でも素朴な実感なんかじゃ太刀打ちできないことが世の中にはある。関係ないものはない。それが言えないことこそが、メディアに踊らされるってことなんだ。
多くの人は、「タリバンって知ってますか」と言われてどこかで聞きかじった受け売りを言えることが「社会常識がある」ということだと思っている。新聞の見出し用語できいたふうな口をきけるのが教養だと思っている。でもそうじゃない。本当のメディアリテラシーというのは、むしろそういう受け売りをしないことでもある。でも今回の一件で今更のように確認できるのは、日本の文化人と称する人たちの多くは、やっぱり明らかにそれができていないってことだ。かわいそうに。
近況:こないだはワシントンに行って、ペンタゴンの突入跡を見物してきたけれど、もうかなり片づいてしまっていて、あたりの物騒な警備以外これといって感慨もなかった。
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