CYZO 2001/06号。表紙は末永遥だが、なんかあまりぱっとしない写り方。 山形道場 復活第 25 段

今月の(我が身への)喝! 「ネット株崩壊とITの将来」

(『CYZO』2001 年 06 月)

山形浩生



 先月も迷っていたのだけれど、今月もぼくは迷っている。ぼくはこれまで、まあいわば反IT革命、みたいなポジションの書き手だと思われていたはず。もちろん「コンピュータを使うと人間性が失われる」とかいうおバカなことは言わなかったけれど、でもITビジネスとかドットコム企業とかいうものについては、いっぱい厳しいことを書いてきた。で、ここしばらくの世界的なドットコム企業とかの没落ぶりで、ホレ見ろ、だから言わんこっちゃない、という感じではある。そしていまや、「だからネット企業はダメだ」「インターネットなんかやっぱダメ」という論調が、あちこちから聞こえてくる。

 それはまあまちがっちゃいない。その手の論調の中身は、ぼくがあちこちで書いたことの繰り返しだったりするし。それにネット企業の一部はホントにひどいことになってるし。粘土魚とか。ざまー見ろ、いい気味だぜ、正義の鉄槌が下ったのじゃ! と思わないわけじゃないけど、でもその一方で、世の中に正義なんかないのも、ぼくはよーく知っているのだ。

 だいたい確かにあの連中はXXだったかもしれん。でも、すべてが連中の責任か? 株価が下がったと責められるのは、自業自得とはいえ、かわいそうじゃないか。大風呂敷は広げたにしても、そもそもネット企業ならなんでも、と将来の収益性も考えずに目の色変えて株を買いあさったバカがわんさかいたのは、あいつらの責任か?

 まああの連中はどうでもいい。ハゲにでも胃潰瘍にでもなればいい。でもさらに、連中の株価が低迷してるのは、インターネットの責任じゃないぞ。ハイテクの責任じゃないぞ。とばっちりでもっと堅実なところまでお金が逃げて四苦八苦しているのは、ひどいと思うのだ。いまはまだITに対する希望は残っている。でもこのままだと、もうちょっとでかいショックがあると、総崩れになる可能性だってある。

 それじゃもったいない。インターネットにもその他ITにも、将来性や可能性はあるはずだ。そろそろ、それをもうちょっと言うようにしなきゃ、と思うようになってきたのだ。もちろんぼくがなんか言ったところで、それが世の中に目に見えるような影響を与えるわきゃないんだけど、それでもね。

 ドットコム崩壊後のITをどうしようか、という話を考えつつある人はたくさんいる。e-ビジネスのビジョナリーと呼ばれていた人が、「新興ドットコムはだめで、既存企業が情報システムを中心に再編すればいい」なんて話を得意げにしてる。うん、だけれどそれは、ぼくが10年以上前に新人研修で勉強させられた、花王の情報化戦略とか、セブンイレブンとか、トヨタの看板方式/ジャストインタイム方式とか、そんな話と同じだ。せっかくインターネットがこれだけ普及して、十年前の蒸し返しか? あるいは伊藤元重が『デジタルな時代』なんていう本でも似たようなことを言っている(それにしてもなぜ伊藤元重が? なんかかれは最近一般向けに変な色気を出そうとしているような気配が感じられるが、だいじょうぶだろうか? 中谷巌の轍をふまなければいいのだけれど)。でも……確かにそういう話をしてれば安全パイではあるんだが、それじゃつまらん。そんなものじゃないはずだ。

 でも、じゃあなんだと言われると、ぼくはいま答えがない。フリーソフト系の鳴り物入りで始まった企業もつらいし……もうちと別のレベルで考えたほうがいいのか……それとも……うーん。もう一度シャピロ&ヴァリアン『ネットワーク経済の法則』を読んで修行しなおさねば。最近とみにそう思うのだ。



近況:あちこちで書いていることですが、王家衛の『花様年華』を見て、かれの『欲望の翼』以来の感動をおぼえました。すごい。あのときイタリアでも見ておけばよかった。



『サイゾー』インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


Valid XHTML 1.0!YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)