CYZO 2000/10号。表紙は北原奈々子。知らないけれど、この表紙の写真はいいね。 山形道場 復活第 18 段

制度設計と「おもしろさ」

(『CYZO』2000 年 10 月)

山形浩生



 まず第一点。いま、レッシグの『コードとサイバースペースの 法制度』を読んでいる。かれの主張というのは、インターネットは自由 だとか、インターネットは規制できないとか規制すべきではないと いうのはナンセンスであり、完全な自由なんてものはなくて、ネット が自由に思えるのは、それをネットのソフトウェアのコーディング という形で設計した人が、ネットが自由で匿名になるように コードという制度を敷いたからだ、ということだ。続けてかれは、 ネットを律するコードというものの規範力についてとってもおもしろい 議論を展開するんだけれど、それはここではおいておく。重要なのは、 自由で匿名性の高い(そして生産性の高い)「場所」というのが、 自由放任では実現されないのだ、ということ。いまの東欧や ロシアを見ればわかるとおり、なんでもありの完全な自由放任は混乱 とマフィア独占にしかならない。

  次。こないだ会った人が、ゲームの設計をやっている、と いう。ゲームといってもテレビゲームやRPGでもない。将棋盤上で駒 を動かす、古典的なゲームだったのがめずらしくて覚えている。 さてこの人は、自分の考えたこのゲームはおもしろいだろうか、という。うーむ。ルール 上の矛盾がないか、手詰まりになることはないか、くらいは確認 できるかもしれない。でも「おもしろいか」?  予測のしにくさ、意外さ、ある種の見通しと自由度。そんなものかな。 あとは必勝アルゴリズムの不在? 展開のバリエーション? 学習曲線 なんてのも、ポイントになるかもしれない。これはルール の単純さ、明解さってことになる。

  三番目。似た話が、ぼくの出入りする掲示板でもちょっと出た。 桂馬やナイトを、三つ進んで一つ横に進むようにしたら、ゲームの おもしろさは変わるか? あるいは将棋の銀を、前に二つ進めるように したら? ある人は、大差ないだろう、という。ある人は、だれか プロ棋士(なのかな)の意見を紹介していて、それによるといまの将棋は非常に 磨き上げられたルール体系を持っていて、ちょっとでもそれを変えると、 とたんに駒のパワーバランスが崩れてゲームが平板になったり硬直したり して、不自由でおもしろさがなくなる、それが証拠に、チェスでも 将棋でも駒の動きはほとんど同じで変化がないじゃないか、というのだ。 まあ後者は、いまの将棋ルールに深く利害関係をもつ人物の発言だから、 割り引いてきく必要はあるだろう。でも、なるほどという気はする。

  さて、たぶん実際の世の中の制度設計という のも、このゲームの「おもしろさ」を考えるのと同じことだろう。 ゲームも、まったくの自由放任では成立しない。なんらかの 制度(つまりルール)があって初めて成立する。でもがちがちに規制 しまくっては、ゲームが硬直する。さらに、それは特定のプレーヤーの 特定の試合を云々するものではない。「おれがこの試合で負けたのはこの ルールのせいだ」というやつが出てきても、それは却下。万人による、 さまざまなゲームの総和を考えたとき、最大限の「おもしろさ」 を保証する制度ってどう考えればいいんだろうか。

  もちろん実際の制度設計では、話がちがう。リソースの分布は不均質で、 ゲームも平等ではなく、でかいゲームと、その他小さなゲームがある。 だから現実に制度設計をするときには、大口の個別プレーヤーの個別の 試合の話がいくつか出てきて、だからこうしろ ああしろ、という話になる。でも、たてまえ上はそうじゃないはずだ。 なんか実際の制度設計でも、政策 でも、こういうおもしろさをベースに物事を考えられないか。 「そのほうがおもしろから」。そしてはっきりしたデータはないけど、 ゲーム的な感覚の持ち主が少なくなっていることって、なんかいまの 日本の硬直と多少関係があるんじゃないか。そんな気がする。

近況:モンゴルで、地方周りの日々。おもしろいんだけれど、 朝飯にいきなり、でかい洗面器に山盛りになったマトンの塩ゆで が出てくるのは閉口する。



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