CYZO 1999/12号表紙は柴咲コウ。ファンデーションは使ってません、の CM ではおとなっぽくてきれいだったのに、なんか生彩に欠ける。しかも18歳? 25くらいだと思ってた。 山形道場 復活第 7 段

期待

(『CYZO』1999 年 12 月)

山形浩生



 人はなまじ期待なんてものをもっているわけで、いろんなものを見るにしても、「こいつはモノになるな」とか、「こりゃもうダメだな」とか考えてしまう。んでもって、まあ期待が大きいものには、たくさんお金を払おうとするし、あんまり期待できそうにないものには、まあたいしてお金を出す気にもならない。これは人情ってもんだ。

 そしてその期待ってのがどうやってできるのかというと、やっぱそれまでの実績は大きい。これまでグングン伸びてきたやつは、もうしばらくは伸びるだろう、とみんな思う。

 さてここで考えたいこと:いったい人は、日本経済ってもんにどの程度の期待をしておるのでありましょうか?

 ちまたの本屋に行けば、やれ日本経済は復活するのしないの、という本が山ほど出ている。もちろんそれを書いた連中を見ると、ほとんどが10年前には「日本は不滅です」とかわめいていた連中なので、この手の議論もお里が知れるってもんだ。そりゃいつかは復活するだろう。そんなことはわかっている。ただ問題なのは、復活したら、どこまで復活するかってことだ。瞬間最大風速の話じゃない。安定して復活するなら、ということだよ。

 オイルショックの前までは、日本の GDP は毎年 10% 近い成長をしていた。その後、バブルの前までは 4% 台くらいが相場って感じだった。そしてバブルが破裂してから、90 年代はずっと 1% 台の経済成長をしている。おもしろいのが、これがだんだん変わっているわけではなくて、なんかある一点を境に、ガクッガクッと下がっていることなんだけれど(そしてそれを引き起こした原因とされる石油価格とか、バブルとかは、もうすでに完全にもとに戻っているのに、成長率はまるで元に戻らないということも、とってもおもしろいし、よく考えると、いろいろな問題があるのだけれど……)、それは今回はおいておこう。

 期待は実績に引きずられるから、まあしばらく低い水準の成長が続けば、みんなの期待も下がってくるだろう。バブル期の GDP 成長はたかだか 6% なのに、みんな有頂天になっていた。当時はすでに期待のベースが 4% だったからだ。いまは期待のベースはさらに下がっている。金融再編と合併リストラみたいな一時的(というのが、もう 10 年も続いているのはさておき……)な問題が片づいても、いま日本の潜在成長力ってのは、まあ 2% かそこら、と言われている。

 さて、期待に応じて、人がものに払うお値段はちがう、と言った。その伝でいくと、日本経済が年率 10% 近くで成長している時期と、今後改善しても 2% かそこらでしか成長できない時期とを比べたとき、人がそこで同じものに対して払うお金はまったくちがうはずだろう。たとえば、日本経済とがっちり結びついている土地。あるいは日本企業(の株)。ほかがまったく同じ条件でも、経済全体への成長期待がちがえば、その土地や株への期待も当然ちがってくるはずだろう。

 ぼくはいまこれがなんとなく気になっている。地価はどうだとか、適正な株価水準は、とかいう議論がよくあるだろう。ああいうのの元になっている議論を見ていると、その期待が20年前といまとでまったく同じだ、という想定が暗黙になされているものがそのほとんどだからだ。でも、それはおかしいんじゃないか。経済への期待が明らかに変わっているのに、その部品であるものへの期待が変わっていないはずはないじゃないか。

 するとどうなるか。その手の議論は、たいがいが地価なり株価なりがバブル前の水準に戻った、とかいう文脈で使われる。そしてそういう議論がなんとなくにおわせようとしているのは、バブルってのは異常な時期だったので、まあ世の中はその前くらいの水準に戻ったんだから、そろそろ落ち着くよ、というような話である場合が多い。

 でも、ちがうんじゃないか。お値段は昔くらいに戻ったかもしれない。でも、それをとりまく期待感は、たぶん半減くらいしているわけだ。ということは、下手をするとまだまだ……


近況:フリー翻訳プロジェクト「プロジェクト杉田玄白」本格始動。デカルトと「不思議の国のアリス」と「ちびくろさんぼ」その他、豪華ラインナップがすでに完成。詳細は http://www.genpaku.org/を見よ!



『サイゾー』インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


Valid HTML 4.0!YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>