CYZO 1999/08号表紙は野村佑香。なんかどんくさい写真。 山形道場 復活第 3 段

オープンソース/フリーソフト Part 1

(『CYZO』1999 年 08 月)

山形浩生



 ご存知の方も多いだろうけど、いま Linux っていう変なソフトがあって、それがどんどん勢力をのばしてきている。こいつの面白いところは、別にどっかのすごい企業が天才プログラマに書かせたとかいうものではまったくなくて、世界中のひまな趣味人が片手間にワサワサ書いて、それがある面でウィンドウズを蹴倒すくらいの代物に仕上がっちゃったから。しかもだれも金儲けしようと思って書いてないから、これが無料でどんどん配られている。もらった人が、知り合いにコピーしてあげるのもぜんぜんかまわない。おまけに、ほかの人もどんどん機能とかをすぐ追加できるように、ソフトの中身が全部公開されちゃってて、好き勝手に変えてかまわない。

 これってマイクロソフトとか、ふつうのソフト会社とはまるっきり逆のことをやってるわけだ。ふつうのソフト会社は、もちろんお金を払わないやつにはソフトを使わせないし、コピーしてばらまいたりなってもってのほかで、中身なんか、もうだれにも教えない。そうやって差別化を図って、お金儲けをして、それを開発につぎ込むことで品質も上がって……というのがこれまでのソフト開発の常識だったわけ。

 ところがその常識とあらゆる面で正反対の代物が、どういうわけか成功して、しかもいままでの好き者おたく専用のマイナーソフトというポジションから、帰還業務にもどんどん導入されるメジャーなシステムになりつつある。こりゃまたどういうわけだ?

 この手のソフトは、ほかにもいっぱいあるのだ。さて、それはまぐれで、たまたま一時的にそうなっただけか、それともこの先も続くものなのか? そしてこんな非常識な代物が出てくるようになったら、いままでのソフト屋さんはどうなっちゃうの? というあたりが、気になる人には気になりはじめている。ふつう Linux が週刊誌の記事になるときには「ウィンドウズを超えられるか?」とかいう見出しになることが多いけれど、ホントに気になるのはむしろ、そういうことのほうなわけね。

 さて、このような配布自由で中身が公開されてるソフトをフリーソフトとかオープンソースソフトとかいうのだけれど、そのご意見番のエリック・レイモンドってのが、こないだ日本にきた。かれはソフトウェアのほとんど(「85% くらい」だそうな)がいずれはオープンソース化されて、商業ソフトというのは限られたところでしか成立しなくなる、という見通しを立てている。

 ぼくは商業ソフトってのはもう少し残るはずだし、世間で行われている「なんとかシステムの開発」ってのは政治的な関係だの、わかってない人たちの心配だのもあって、いままで通りの開発がずっと続くと思っている。仙台市の住民基本台帳管理システムが、「オープンソースでみんなが片手間に開発」とかいう作られ方をするか? それはないだろう。いまの企業や自治体の予算の取り方とかを考えても。ただし、オープンソースのソフトをうまく組み合わせて、コストを下げる賢いソフトハウスが出る可能性は、うーん、あるかな。

 オープンソース的なソフトのあり方がもっと広がるだろうという見通しについては、ぼくもかれに同意はしているのだ。コンピュータそのものが、人の暮らしの中でいままでとはちがう意味合いを持つようになってきている。いままでは単体のブツだったのが、みんながコンピュータを持つようになってきたので一種の社会基盤、いわゆるインフラになりつつあるのね。ぼくを含む多くの人にとって、電子メールはもうなくてはならない通信手段。そうなったとき、その基本的なサービスの部分での目新しさは不要だ。するといままでの商品づくりとはちがってくるだろう。オープンソース的なソフトが入り込む余地も出てくる。

 ただ、それがすぐに商業ソフトの滅亡になるかというと、そんなことはないはず。実際の道路や電気みたいなふつうのインフラの歴史を見れば、それはわかる……という話を次回に。


近況: 収益還元法の話は先送り、あと、脱稿直後にエリック・レイモンドの論文が出たが、いままでと言ってることがちがうぞ! まあいいや。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>