CUT 連載書評
CUT はいったいなんでぼくになんかこんな書評を続けさせてくれてるんだろう。渋谷陽一が「死の迷路」訳者解説を見て、こいつはなんか書けそうだと思って依頼してきたのが最初なんだけど、当時は(いまも?)ほとんど実績のなかった人間に、なんと大胆な。
新刊だろうと旧刊だろうと写真集だろうと経済書だろうと、なんでもできるのはホント得難い場ではある。でも、つまんないのが続くと怒られるし(「最近は山下達郎より反響が少ないですよ!」(涙))、しかも途中から吉本親子とタメはらなきゃなんないっつー……いつ打ち切りになるかとヒヤヒヤしながら書いてて、先日も「実はこんどから月刊になってコラムを刷新するんですが……」という電話がかかってきて、ああきたか、ついに終わるか、と腹をくくったら「山形さんには続けて書いていただくということで」と続くことになってしまった。なんで?!? 気がつけば、ぼくが
CUT 最古参のコラム書きになってるじゃん!
なお、下の月表示は、その号の発売月ね。執筆はその一ヶ月前。表紙の号数は、その翌月。
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2005.12 チアン&ハリデイ『マオ』
出ると聞いたときにはものすごく期待して、読んでみたんだが、確かにおもしろい。でも、信用できない。成長も迷いもないひたすら下劣で無能なだけの人物なんて、すぐ殺されちゃうよ。あまりに魂胆が見え透いているのは鼻白む。ホント、もっとおもしろい本になったはずなんだけど。チアンが文革で毛沢東に恨みがあるのはよーくわかったが、それをむきだしにするだけじゃだめ。さらに、死んだらそれで話はおしまいって、それはあまりに安易でしょう。でも、史書っぽい記述になったのは民族性というかなんというか。
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2006.01 Short『Mao』
前回の続き。両者を比較すると、チアン&ハリデイ『マオ』の偏向ぶりと、資料の意図的な取捨選択はかなり明らか。ショート版のほうが人間的な成長もあり、さらに毛沢東伝説をきちんと批判、思想史もちゃんと盛り込み、かれの政治的なたちまわりや長所も含めて描き出し、なぜかれがトップにのぼりつめたかをきちんと説明できている。こっちは訳されないのかな。
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2006.02 ウルフ『デス博士の島その他の物語』
三省堂でやった座談会で柳下としゃべった内容とほぼ同じ。というより、座談会の前日にこれを書いていて、自分でも意図せずに結論がこちらに流れた。が、当然ながら圧倒的に正しい見方。柳下は、たとえば「デス博士」や「アイランド博士」で小説や読書が登場人物にとってある種の逃避になっていることを重視したがるし、それはそれで結構だとは思うんだけれど、でも議論が変わるわけではない。もちろん閉じた世界の静的な描写という特性から目を背けることはできるし、ふつうの人の記憶バッファをあふれさせられるだけの細部はあるし、また描かれる世界自体は美しいんだが……そしてそこに登場人物を閉じこめたがるウルフの小説は、ときに(どんなに美しくても)救いがなく、美しいがゆえに残酷だという気がする。
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2006.03 サール『MiND』
あのジョン・サールによる意識問題についての本ということで非常に期待したんだが、これほど駄目とは思わなかった。著者が述べる新しい見方というのがまったく新しく思えなかったし、その他で当然のように挙がっている各種の例(ヒトラーになるのはどんな気持ちか考えると自分とは全然ちがうはずだ、とか)がまったく説得力を感じられないものだった。デネット的な切り込みを除けば、哲学にできるのはもうこんなことしかないんだろうか。中国人の部屋問題でそれなりにこの分野に貢献したサールであればこそなおさらがっかり。なお、訳者たちの『心脳問題』も前にけなしたことがあるが、別に恨みがあるわけじゃないし、まじめにいろいろやっているところはえらいとは思う。ただこのサール本で指摘したのと同じようなダメダメ感が漂ってくるのは否定できない。でも、かれらのウェブページの掲示板 (文中で触れた誤訳の指摘もここの 4/24 で行われているけど、本の正誤表には5/26現在も未反映) はどっかの哲学キチガイに荒らされていて本当にかわいそうだ。
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2006.04 池内恵『書物の運命』
よい本なのに、タイトルで損をしている部分がかなりあると思う。単なる書評集として出したのは本書にとって必ずしも幸運なことではなかったんじゃないか。もっときちんとした論説として出すのがよかったんじゃないかとは思う。本当にサイード批判を読むべき人は、本書を見逃してしまう可能性大だと思うから。
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2006.05 槇文彦編著『ヒルサイドテラス+ウェストの世界:都市・建築・空間とその生活』
いまの家に引っ越してから、やっぱ何かと家とか古い建築の保存とかには注意がいくようになっていて、この槇文彦の数十年にわたるプロジェクトはその意味でかなり興味をひかれるものなんだけれど、やっぱこの本を読むと、とても幸せな関係とはいえ、一人の強い意志を持ったお金持ちの志が発端でこの街もできているんだなあ、という感じ。いっしょうけんめい「住民みんなのナントカ」とか言いたがるんだけど、読めば読むほどそんなものじゃない。
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2006.06 カッセル他『原典ユダの福音書』
映画『ダヴィンチ・コード』公開記念、というわけではないが、本のほうは明らかに便乗企画ではある。でも、鳴り物入りで出た割には、拍子抜け。こんなグノーシスの教典そのままだとは思わなかった。悪者とされていた人が、実は汚れ役を一身に引き受けることで犠牲になっていた真のヒーローだったのです、というストーリー作りは古今東西どこにでもあるもので、そういう枠組みに頼ったということ自体が、すでにユダ悪役というストーリーのできあがった後の創作だということを物語っている。もうちょっと仕掛けのあるものだとおもしろかったのに。
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2006.07 アップルボーム『グラーグ』
すごい力作。ソ連の強制収容所の実態を、最初から最後まできっちり描ききった名作。ちょうどソルジェニーツィン『収容所群島』再刊とも重なっていいタイミング。まあ地味な本なのでそんなに売れないのは仕方ない。でも、収容所群島以後の歴史、グラーグ解体も描き、またソ連経済にとって強制収容所の強制労働が必要不可欠だったことお示してくれるのはうれしい。
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2006.08 モンテロッソ『黒い羊他』
書肆山田の本なんかを手に取ることがあるとは思わなかった。寓話に皮肉がからみすぎて、かえって切れ味が薄れているものが多々あるのは、まあちょっと残念ではある。寓話だけで十分シャープなんだが、そこに皮肉を入れるとなんだか説教くさくなるのね。でも、そこそこおもしろい本だし、流し読みには最適だと思う。
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2006.09 ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』
AERAでの書評と重なってしまったけれど、グラスの話も触れておきたかったもので。本書で英米小説を読みふける女学生たちは本当に感動的だし、その読みも鋭いけれど、それは彼女たちが抑圧されているがために、それに惹きつけた特殊な読みができたとうことなのだ、ということ。どこまで理解してもらえたかは心許ないけれど。
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2006.10 バード(ビショップ)『朝鮮紀行』
あの『嫌韓流』のネタ元の一つだけれど、完全に中立で実におもしろい。李氏朝鮮の停滞は、朝鮮民族自身の怠惰と貴族階級による搾取が原因であることがきちんと見て取られ、インセンティブの考え方から比較優位の考え方まではっきりと理解して観察に反映できているのは驚異。
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2006.11 ロンリープラネット編『Micronations 』
ミクロ国家! いろんな小国が世界にはあるけれど、やっぱりこうした変な国の一覧を見ると誰しも思うのは「なんで国なんか作ったの? なんかいいことあるの?」というものだと思う。こういう国が日本にないのは、アメリカみたいに「不満があったから独立しました」という国としての成立事情が明確だったり、あるいは国を作るか作らないかが権謀術策の一部だった欧州とはちがって、国ってものの成立があいまいだったからだと思う。そしてそれが愛国心談義のダメさ加減にもつながっていると思うのだ。
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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>