Valid XHTML 1.1!

CUT 連載書評 1999



 というわけで、1999年の書評集。相変わらず趣旨のわかんないまま続いています。いったい読者は、これを読んでどう思っているのかな。ちょっとむかしの吉本隆明以上に場違いだと思われてるんじゃないだろうか。(実は著書のファンレターに、「昔はそう思っていた」と書いたものもあったので、たぶんかなりの割合でそうなんだろうね)。でも、個人的には、今年は比較的よい原稿をいくつか書けたように思う。特に前半ね。
 なお、下の月表示は、その号の発売月ね。執筆はその一ヶ月前。表紙の号数は、その翌月。

1991-1992 1993-1994 1995-1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007


CUT 1999/02表紙は……だれだ、これ? 1999.01 チャペック『山椒魚戦争』

 バングラデシュで書いた原稿第 4 段。書き始めたのは 12/10 だけれど、書き上げたのは 12/12 、そしてそれを手書きで紙に清書して(プリンタがないし、部屋からは回線が悪くてファックスが送れなんだ)ビジネスセンターから送ったのが 12/13。この日は、バングラのどっかの選挙結果が操作されたといって、野党が抗議してゼネストになっていて、車がほとんど外を走っていないという珍しい日だった。
 296 ページの図版がヒンズー語なのは、泊まっているショナルゴン(Sonargaon だけど、みんなこう発音してる)ホテルのフロントのねーちゃんに教えてもらった。TNX! しかし、もともと「山椒魚戦争」をとりあげるつもりでバングラに持ってきたんだけれど、ここまで見事にはまるとは。バングラねたは頭のふりのところだけになるかと思っていたんだけれど。

CUT 1999/03表紙はなんとかいうお笑い芸人 1999.02 朝永振一郎『鏡の中の物理学』&森山和道『NetScience Interview』

 ミャンマー原稿。森山和道『NetScience Interview』もページを載せてくれとお願いしたんだけれど、デザインの都合とかあったのかな、載ってない。残念。「ノウハウをためこむ」話は、黒木掲示板で山羊さんに教えてもらったのだ。このネタはいろいろ応用というか展開があって、最新のHotWired原稿でも使っている。ほとんどこの原稿と同じになっちゃって恥ずかしいんだけれど。タイトルまでそっくりだな。でも、世界的に文明のありかたにかかわる本質的な話だと思う。それだけに、なんの結論もなくて、わからん、わからんと言ってるだけなんだけれど。でも、ホントにわからないんだもの。それにしてもなんで朝永本なんかミャンマーにもってったんだっけ。そもそもいつこんな本を買ったんだっけ?

CUT 1999/04表紙はローリン・ヒル 1999.03 クラフト・エヴィング商会『クラウド・コレクター』

 ほとんどバングラからの帰りの飛行機の中で書いた。構想は前の晩にふと思いついて、ダッカ・バンコク便の中でメモをまとめて、バンコクから離陸しようというところで文がだいたい思いついたんだけれど、バカが一人乗り遅れて、飛行機が出ないで、コンピュータが使えない。忘れそうなので、あわてて手書きで書いたけど、もっといい文を思いついたような気がする。ところでその乗り遅れかけたバカは出発時間から20分も遅れてやってきて、しかも「だれも呼びにこなかった」「アナウンスがなかった」とか開き直って乗務員を怒鳴ったりしてて、醜悪のきわみ。ほかの数百人の乗客は一人残らずアナウンスを聞いて、ちゃんと乗ってるのに。出発時間になったら自分で確認するくらいの智恵もまわらんのか。スッチーさんたちもこんなバカに威張られてかわいそうに。ところで、どうしてスッチーさんは、人が明らかに寝ているのにわざわざ起こしてまで飯を喰わせようとするのであろうか。
 ところで今回の原稿はほとんど事実だけれど、多少脚色は入っているので訴えたりしてはいけないよ。掲載時には大叔父になっていたけれど、あとできいたら曾祖父だそうなので、オンラインでは訂正。

CUT 1999/05表紙は北野武 1999.04 スタニスワフ・レム『虚数』

 これまた、大半はバングラでの最終ミッションからの帰りの飛行機の中で書いた。その後でまとめるのは一苦労だったけれど。『虚数』の書評はいろいろ読んだけれど、一つとしてまともなものがないのはなぜかな。SF って、ヘタすると野放図になりすぎてご都合主義のつまんないものになるけれど、こういう発狂したことができる場でもあったはずじゃないか。その発狂ぶりにちゃんとつきあえなくて、なにが楽しくて本なんか読んでるんだろう。レムはほんとうにすごいです。

CUT 1999/06表紙はStar Wars 1999.05 Kenneth V. Iserson 『Death to Dust: What Happens to Dead Bodies?』

 これは去年の 11 月に NY にいったとき、ローラたちの大お墨付きをいただいて読んだ本だった。書き出しの一文が「Being dead is a mutilating experience」で爆笑。中身は、まじめをいっしょうけんめいやっているうちに発狂した感じとでもいおうか。ちょうど別冊宝島で自殺の話を書いていて、なんとなく接点があるような。ただし書くのは結構苦労して、頭の整理で軽く目次をまとめているうちにそれがそのまま本文になってしまった。やはり手で考えるのが正解だよな。最初は同じ書き出しからはじまったんだけれど、最後にがらっと変えた。

CUT 1999/07表紙は男いろいろ 1999.06 『ゴミ投資家のためのインターネット株式投資入門』

 このゴミ投資家シリーズの最初はとてもよかったんだが、今回のはなあ。指摘しておくのは大事なことだと思う。なんか、どんどん変な方向に向かっていって、ちょうどまちがえた曲がり角のところが出てきているという意味では興味深い。まさにその曲がり角で、この変な「波動」なんてのにはまっちゃってるというのも、タイミング的に示唆的な気もするんだけど、これは深読みがすぎるかな。

CUT 1999/08表紙はルーカス 1999.07 『神秘の島』

 ジュール・ベルヌ!実は祖父の葬式で久々に弟に会って話をしたことがちょい影響している。いやいや、ネモ艦長が出てきたのには驚きました。最後のほうの、素直な小説、というのを少し考えていたんだけれど、この話の現代版をつくるとしたらゴールディングの『蠅の王』とかになるしかないんだろうなあ。

CUT 1999/09表紙はクルーズ+キッドマン 1999.08 『ブレイン・ヴァレー』

 瀬名秀明の第二作。瀬名秀明というのはきちんと勉強しすぎていて、きれいでわかりやすすぎるのね。だからあげあしをとりやすい。もっとクダクダしたレトリックに頼ってみたり、変な権威主義を発動させたりしてもったいつけると、小説的にはみんな恐れ入ると思うんだ。深読みして喜ぶ人も増えると思うんだ。そういうサービスはしないよね。それがかれの慎みというか良心というか。
 あと文中に書ききれなかったこととして、伏線張りの下手さね。BV の最後で「神が奇蹟を見せるとみんなびっくりして、それが人類進化の原動力だ」という変な議論が出るんだけれど、それなら前のほうで、奇蹟にびっくりして人間が進歩しちゃったエピソードとか入れとかないと。ときどき、BV の設定そのままいただいて、もっといい小説が作れるような気がするときもある。
 次回作では、「Paradigm Alley」とか書かないかな。ある小道に入ると、そこはカルスタ野郎の巣窟で、そこだけパラダイムがちがうのね。で、ゼノンしてるからなかなか目的地につかなかったりするの。ペストはまだ発見されていないので、みんなペストにはかからないのだ。で、原因不明の奇病で死ぬんだけれど、外からきた、近代科学主義にどくされた医者が「それってペストじゃないの?」と言ったら、「おまえがペストという概念を持ち込んだからみんなペストで死ぬようになったぁ、殺人者め!」とリンチにして殺しちゃう。瞬間速度の概念は言い抜けのいんちきなので、うっかり接線とか引けなかったりして、とても不便。で、家に帰ると奥さんがクモになってて……ラファティだなあ、これじゃ。

CUT 1999/10表紙はジョニー・デップ 1999.09 『Why Cats Paint』

 これまた Blast Books の二人組に教わった本。グレート。なんでも昔、飛鳥ナントカから邦訳が出て、ぜんぜん話題になんなかった、という話はあとから知った。どうしてかなあ。おもしろいのにぃ。レビュー自体はちょっとかたすぎたかな。まじめくさってふざける、というのをやりたかったんだけど、これじゃちょっと読むまでいかないかも。

CUT 1999/11表紙は浅野忠信 1999.10 『ロボコンマガジン』

 ちかくの本屋にたまたまあった。買って、うぉー! という感じで読みふける。いいなあ、こういうノリ。なお、同時期に発売された Linux Japanで、なんと中村正三郎もこの雑誌に言及していて、うーむシンクロニシティ。なんか、あるものの立ち上がり時期って、いっせいに独立していろんなものが立ちあがって、同時にいろんな人がワッと注目するのでおもしろいんだけど、まさにそれがおきてる。
 なお掲載時には、P3がトヨタだとかかんちがいしてて、さらにはP2なんて書いてて、タニグチリウイチ氏に笑いものにされる(10/20づけのトップ)。うううう、おはずかしうございます。

CUT 1999/12表紙は豊川悦司 1999.11 『Annals of Improbable Research』

 この AIR は、前身の Journal of Irreproducible Results の頃から購読してる。まじめな冗談科学と、冗談みたいなまじめ科学のオンパレード。日本的にはたぶんうけないだろうけれど、こういうのができる余裕があるところっていいなあ。

CUT 2000/01表紙はブラッド・ピット 1999.12 『消滅の時代』『脳は美術をどのように理解するか』

 ネタがなくてどうしようかと思って、インドネシアとベトナム出張にこれを持っていったのだ。前者は本当にねらいはおもしろそうだったのに、腰砕けもいいところ。いまさらマイロン・クルーガーをほめているあたりですでに気がつくべきだったかも。で、後者を誉めるのがメインだったのに、後者は表紙を出してもらえなかった。いまのCUTのコラムのレイアウトは、てっぺんに写真が入るところがシネスコ画面くらいの感じでとってあって、映画評や人物写真やイラストだとおさまるんだけど、本だと左右がものすごく空いて変な感じ。
 内容的にもどうかな。ここに書いたことを考える一方で、やっぱつくった人の内面みたいなものが感じられるような気がすると、迫力が出るのは事実なんだ。ここで書いたことは極論すぎたかもしれない。


1991-1992 1993-1994 1995-1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007

YAMAGATA Hiroo 日本語トップ


Valid XHTML 1.1! YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>