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マインド

連載第?回

大英帝国のスーパーおばさんが見た李朝朝鮮の実態。

(『CUT』2006 年 11 月)

山形浩生

要約: 本書は李氏朝鮮のひどい状況を、イギリス帝国主義下のスーパーおばさんが 19 世紀末に実際に見て歩いた希有な一冊。ただの高圧的たかり屋にすぎない貴族/役人階級と、少しでもがんばるとかえってたかり屋に目をつけられるから、一切努力をしない一般市民の姿は、朝鮮の衰退が朝鮮自身のせいであることをはっきり描き出す。高い文化を持っていた朝鮮を日帝が収奪して衰退させたというのは明らかなウソ。その一方で、本書をひく『嫌韓流』も、日本のおかげでないことを日本に帰着させたりして、うのみにできないこともわかる。



 しばらく前に『嫌韓流』という本がベストセラーになって、いろいろ議論を呼んだ。韓国や北朝鮮が何かと第二次世界大戦中のあれやこれやを持ち出して、謝罪と賠償を請求してみたり、内政干渉じみたことを口走ったりすることに対して、その多くの主張は無根拠かすでに公式には解決済みのものであって、いまさらとやかく言われる筋合いはないことをマンガで述べた、非常におもしろく有益な本だ。

 さてこうした議論の一つの核となるのが、日本の朝鮮半島に対する準植民地政策の評価だ。それを否定的にとらえたがる人々は、かつて高い独自文化を持ち栄えていた朝鮮半島を大日本帝国が蹂躙して収奪したのだ、と言いたがる。それに対して、『嫌韓流』などでは、二〇世紀初頭の朝鮮半島実質的に清の属国でしかなく、早晩どこか列強の植民地になっていただろうし、日本が入って各種の改革を強制したことは朝鮮半島にとって圧倒的によかったのだ、と主張する。そしてその議論でしばしば引き合いに出されるのが、このイザベラ・バード『朝鮮紀行』だ。

 この本は、ちょうど日本が朝鮮半島に進出しはじめた頃に、著者イザベラ・バード・ビショップ(ビショップは結婚後の姓)が四回にわたって長期に朝鮮半島を旅して、そこで見聞きしたものをつぶさに記録した本だ。女性の旅行記だからといって、いまのそこらのお手軽な観光旅行日記だと思ったら大間違い。当時、朝鮮半島の奥地を旅した西洋人は、少数のキリスト教宣教師を除けば皆無。この人は一九世紀末の化け物おばさんで、日本の奥地も、ペルシャも、中国の奥地も、とにかくいたるところでこの手の旅行をしている。そして農業も漁業も鉱工業も各種産業もすべて熟知しており、各地の旅行記は地政産業調査の様相を呈している。建築。風習。産業。風景。人々。その記述は微に入り細をうがっていて、抜群のおもしろさだ。そして何よりも、彼女は特に政治的な偏向がない。そりゃもちろん、大英帝国の臣民であり、キリスト教徒ではある。でも日本に対しても、当時の李朝朝鮮に対しても、特に肩入れすべき理由は持っていない。比較的フェアな記述として信用できる。もちろん、旅行者だから誤解もあるだろうけれど、概ね正確な観察者であることは日本の旅行記などを見てもわかるのだ。

 で、本書に描かれた朝鮮半島は、どんな具合だろうか? 韓流ドラマに登場するような美しい文化の華開く国だったろうか?

 まったくちがう。一九世紀末の李朝朝鮮は、確かにひどい状態にあった。それは日本が進出したせいじゃない。かれら自身の悪しき伝統と制度のせいだ。住民たちのありとあらゆるものを収奪する貴族階級と役人たち。そして、なまじ努力して豊かになると、かえって貴族に目をつけられるから、とかつかつ暮らせる以上の努力を一切放棄した無気力な住民たち。貧しいから収奪が熾烈をきわめ、そして熾烈に収奪されるから貧困脱出努力がないという悪循環の中で、朝鮮半島は停滞と衰退の道を歩んでいた。それはすべて、朝鮮人たち自身――特にその支配階級――が腐りきっていたせいだ。支配階級である両班たちは「無能であるほど地位が上がるようだ」とバードは嫌悪をこめて記述している。悪しき伝統にしばられ、すさまじい女性蔑視が横行し、貧困と無知と迷信にとらわれた末期的な状況が、この本からはありありと伝わってくる。

 一方、満州などロシア配下にあった地域にも朝鮮人たちがたくさん入植しており、著者はそこまで足を伸ばしている。働いただけ豊かになる仕組みがあれば、朝鮮人たちも見違えるような豊かさが実現できていることを、バードは率直な驚きとともに記述する。公正な制度のもと、努力が報われるようになれば、かれらもすばらしい成果をあげる。そして日本が(いささか強引にとはいえ)導入した各種の改革は、まさにそうした方向を目指したものだった。

 が、一方で『嫌韓流』が思いたがるほど日本の支配が立派だったわけではない。いや、志はよかったのかもしれないが、やり方がとてつもなく下手だった、とイザベラ・バードは記述している。妙に細かいことにこだわってみたり、地元の感情に注意を払わずに画一的・高圧的な改革を押しつけ、といった日本のやりかたは「買わなくてもいい反感を買っていた」とのこと。やれやれ、今もあまり進歩がないねえ。朝鮮半島に必要な改革の先鞭をつけたのは日本だったが、それを進めたのはロシアだったし、絶望的に思えた財政改革を実現させたのはイギリスの援助ではあったそうな。

 そして、『嫌韓流』などでは本書に掲載された日帝支配前のソウルの写真と、支配後のソウルの写真を並べてみせる。当時のソウルはひどい状態で、一面スラムに等しく、大通りは掘っ立て小屋に不法占拠され、ゴミや排泄物が平気で投げ散らされる中を皮膚病のイヌや子供がころげまわる、「北京以外では最も不潔な都市」だったとのこと。それが日本の支配下で見違えるほど豊かになった、と『嫌韓流』は主張するんだが、本書の最後の部分を読むと、実際にソウルの都市美化の先鞭をつけたのは、西洋留学から帰ってきた朝鮮官僚だったとのこと。この時期にソウルが急激に美しく立派になったのは事実だけれど、それをすべて日本のおかげとするのは無理があるようだ。『嫌韓流』の主張はかなり理があるものだけれど、すべて鵜呑みにしちゃいけないってことですな。

 だが本書は、そうした政治論争の種以前に、旅行記として超一流のおもしろさなので、下心ぬきで是非どうぞ。気に入ったら、東洋文庫収録の日本旅行記も是非。そして、こんな化け物みたいなおばさんを排出した、大英帝国とその植民地主義の底力にもちょっと思いをはせてほしいな。ぼくは植民地主義のいい面にそろそろ注目すべきだと思っているんだけれど、本書を種にそんな話もできそうだ。が、これはまたいずれ。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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