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ユダの福音書

連載第?回

『ユダの福音書』は非主流派のひがみが産んだ創作物にちがいない。

(『CUT』2006 年 7 月)

山形浩生

要約: キリスト教の歴史をひっくり返すと言われていたユダの福音書だが、実際に出てきたものを見ると、ストレートなグノーシスの教典そのまましゃべっているだけの本でいささかがっかり。グノーシス派の悪しきエリート主義、「ポアされてよかったね」というに等しい物言いなんかは鼻白むし、それは結果的に本書が後世のユダの役割が完成した後の後付け創作だということをはっきり物語っている。



 ナショナル・ジオグラフィックといえば、それなりに権威のある地理・科学・歴史系の雑誌ではある。そこが鳴り物入りで公表したのが『ユダの福音書』だ。あの裏切り者で知られるユダ! その福音書! もちろん、これまでの正統キリスト教からは異端扱いされて抹殺されてきた文書ではある。タイミング的に露骨に『ダ・ヴィンチ・コード』便乗商法だが、まあそれはご愛敬か。ただ、その出し方はいささかずるいすりかえを使っているんじゃないかという気はするのだ。

 素人として初めてこの話をきいたとき、ぼくはこれが、ユダが記録したイエスの言行録なんだと思っていた。これが「本物」だというのは、つまりこれまで知られていなかったキリストの言行が明るみに出るのか、と期待していたのだった。

 でも、これはそういう意味の本物じゃない。これは20世紀半ばにナグ・ハマディ洞窟で発見された、初期キリスト教の非主流一派による大量の経典の一部だ。「本物だ」というのは、それがその洞窟で発見された紀元200年頃の実在文献です、というだけのこと。今回出た『原典ユダの福音書』は、その発見過程と訳文、およびその解説を一冊にまとめた便利な本だ。

 基本的なお話は簡単だ。ユダの裏切りは、やらせだった! ユダは、さっさと死にたいと思っていたキリストに命令されて、忠実だったからこそキリストを売り飛ばしたのだ、という話。そして、他の使徒たちはバカで無知だったからハブにされてて、真にイエスの教えを理解していたユダだけが荷担させてもらえた、という。

 確かにそれが本当なら、すごいことだ。が……この『原典』に出ている実際の福音書を読むと、この福音書がキリストの本当の発言を多少なりとも記録してるはずがない、創作物だというのはすぐにわかるんだよね。このイエスは、ソフィアがどうしたとかアイオーンがどうしたとか、当時のキリスト教非主流派だったグノーシス派の教義をそのまんましゃべるんだもん。

 もちろんそれを言うなら今の聖書の各種福音書だって、いろいろ残っていた断片的な記録や創作をもとに作った後世の創作物ではある。でも、この『ユダの福音書』というのは、もうユダだけがえらい。その他の弟子どもは一人残らずいないほうがマシな連中にされていて、あまりに不自然(もちろんいまの正統聖書でも、使徒達はかなり間抜けで、なぜこんな連中が使徒に選ばれたか不思議に思う部分は多々あるが)。すでに、ユダは裏切り者というイメージが確立していたところで、わざと悪者を英雄として仕立て、その迫害に「真理を知っているが故に迫害される自分たち」という非主流派のひがみを重ねた創作なのは露骨に見えてくる。

 そしてここで主張されるその異端グノーシスの説とは何か? それは、この世は駄目だからさっさと死んでおさらばしましょう、というひどい代物だ。本書は、それを非常に簡潔にわからせてくれるという点で、グノーシスの研究者によるくだくだしい本よりずっと役にたつ。

 ご存じの通り、この世には欠点が多い。これは全能の神という発想にとって困ったものだ。神様がそんなにえらいなら、なぜこの世はこんなにもダメダメなのか? なぜ正義は破れ、善人が苦しみ悪人がのさばるのか? 神様がコマンド一発でそういうのを削除すればいいじゃないか!

 これに対しては、神様が人を試そうとしているとか、悪魔が神様の御業を歪めたとか、いろんな説得力のない理屈が出されている。でももちろんそれに対して、じゃあ神様はなんで悪魔なんかを創ったのか、なんで人間を創るとき、試さなきゃいけないほど信用のおけない設計にしたのか、という小学生でも思いつく反論も当然出てくる。

 さてグノーシス派は、これに対して全然別の答えを出してくる。実はこの世を作ったのは、あのいちばんエライ本当の神様ではなく、その一部が勝手に分かれてできちゃった二流の不完全な神様なんだよ、と。だからこの世はできが悪くて、あちこち粗の目立つこんな不完全な代物なんだよ、と。

 ふつうの人なら、これで納得するはずもない。だって話はちっとも解決してないじゃないか! そんなできの悪い二流の神がそもそも出現するのを許した神様ってのはかなり力不足では? だがこの一派は、あれこれ言を弄してこれをはぐらかす。

 そしてその不完全な世界に生まれてしまったぼくたちが、どうやったら救われるのか? どうしたら完全な状態になれるのか? ほとんどの宗教はそこで、善行を積みなさい、という。ところがグノーシス派は――特にこのユダの福音書に出てくるグノーシス派は――死ねというんだ!! 人が不完全なのはこの物質界=肉体に捕らわれているから。真の世界からの叡智に触れて、さっさとこの不完全な世界を脱しようという。ポアしましょう、というわけ。ユダの福音書のイエスは、自分が死ぬよう手配してくれてありがとう、とユダに言っているわけだ。

 いやあ、オウム真理教なみにひどい教義だ。ヴァチカンに都合の悪い真理を知っていたために迫害された、いう陰謀説もある。でもいまより宗教をマジメに扱っていた二千年近く前の時代には、こんな教義を主張した宗派は即お取りつぶしでしょー。こんな教義を真に受ける人がたくさん出てきたら、殺人も自殺もなんでもオッケー、危険きわまりない。

 とはいえ、実際にこの一派が集団自殺した等の記録はないそうだ。この一派は、どうもインテリの知的お遊びとして存在していたらしいそうな。ふーん。要するに口だけね。この『原典ユダの福音書』も、まさにその口だけの連中が作った創作で、だからイエス・キリスト自体の理解には何ら役に立たないけれど、そこからこうした宗教の果たす役割や主流派と非主流派の関係、そして非主流派の使う手口といった点で、結構現代に通じるものがあってなかなかおもしろいのである。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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