Valid XHTML 1.1! cc-by-sa-licese
ヒルサイドテラス本

連載第?回

数十年にわたって継続する都市開発を養うには。

(『CUT』2006 年 6 月)

山形浩生

要約: 数十年、5 期にわたる開発を経て町並みをつくりあげてきた代官山ヒルサイドテラスの歴史をつづった本書は、都市開発のあり方について非常に示唆的だし、一方で開発担当の地主さんがお金持ちだったという希有な事情が背後にあることもわかる。



 六本木ヒルズができたとか、表参道ヒルズができたとか、各種の開発は竣工時には話題になる。もちろん新しくてみんな見慣れていないから、町と調和していないだの自己主張しすぎだのとかなり不当な悪口を言われる。そして街になじんだ頃には、当初の目新しさが失われてだれも話題にしなくなる。竣工時にすべて建つものは建ってしまうことが多いために、それ以上その場が大きく変われず、注目を集めるには大規模リニューアルでもかけるしかない。建築がらみの「識者」と称する人はすぐに、最近の開発はスクラップ&ビルドでけしからん、といったことを言う。でもそれはある意味で開発者だけのせいじゃなくて、新しいときにしか建物や開発に注目しない見る側のせいでもあるのだ。ちゃんと時間をかけて街ができあがり、建物が街になじみ、人が建物になじむだけの余裕を与えてあげないのがいけない部分も大きい。見る側、利用する側も、一過性の感想を述べるだけじゃない、長期的な視点で見なきゃいけないのだ。

 その意味で、幸せな開発事例といえるのが代官山ヒルサイドテラスだ。この開発はぼくが大学で都市計画をやっていた頃にはすでに教科書に載っていたし、その当時からファッショナブルな街として確立していた。そしてもちろん、未だに古びることもないし、そして開発そのものも、30 年以上たっても少しずつ継続している。

 本書『ヒルサイドテラス+ウェストの世界』は、1969 年の第一期開発から現在にいたる、この代官山ヒルサイドテラスの30年以上にもわたる歴史をコンパクトにまとめた本だ。こんな本を読むことで、地主や設計者ではない一介の利用者として、どのように長期的に街を見るか、という視点も形成されやすくなるかもしれない。

 この本ではもちろん、この開発の図面や写真は満載だけれど、それとあわせてここがどのようにしてゆっくりと開発され、そのときどきでどう環境が変わり、何が重視されてきたかについて、一貫して設計を担当してきた槇文彦を中心に数人のキーマンからのコメントが出ている。まあ建前中心になるのは仕方ないが、それでもなかなかおもしろい。

 なぜこんな長期間にわたるゆっくりした開発ができたか? その理由はある面ではとても現実的なものだ。ここらへん一体の地主である朝倉家は、別にまとめて開発をする必要がなかったからだ。折々に相続税対策で土地を少しずつ放出していき、そのたびごとに開発が行われた、というわけ。なるほどね。多くの開発は、ぎりぎりまで容積をとって開発しなきゃいけない。それはかれらがごうつくばりだからではない。そうしないと採算がとれないという現実的な理由がある。デベロッパーに対して、金儲けばかり考えずに云々、すでに十分稼いでいる等々というピント外れな批判がよく出される。でもこの本を見ると、それがあたっていないことがわかる。代官山ヒルサイドテラスは、お金持ちだから余裕のある開発をするだけの余裕があった。一方、ものすごくたくさん借金を背負って開発をしている森ビルのようなデベロッパーは、でかい開発をしてはいても、お金が実はない。だとすると、ゆとりある街作りをするためには、デベロッパーにもっとお金を稼いでもらって、もっと儲けてもらったほうがいいのかも。

 もちろん、朝倉家は単なるお大尽だったわけじゃない。ヒルサイドテラスが面している、あの旧山手通りというのは、朝倉家先代の尽力でできた道路だとか。もともとそういう意識の高い一家だったのだ。極端に儲ける必要がない開発とはいえ、闇雲にだれにでも売るようなことはせず、代官山ヒルサイドテラスの展開とデザイン的な統一性を考えて進めてきた。その設計を担当してきたのが、名前の通り慎みある建築で知られる槇文彦だったのも幸運だっただったろう。同じ人が一貫して設計したことで、設計上の統一感は確実に出るし、槇文彦はあまりスタイルを変えることなく、鬼面人を驚かすようなところはないが、数十年古びない建物をずっと作り続けてきた。

 そして自治体や周辺住民とのゆっくりした幸せな関係構築もある。役所に対しては各種の用途変更について、実際の状況を見せることで説得できる。近隣住民も、優れた建築空間が自分たちの環境を明らかによくしていることを実感として納得できる。そこらへんの関係構築プロセスも、本書のおもしろい部分だ。

 ただ、これを読むと代官山ヒルサイドテラスは非常に特殊な条件のそろった一回限りのできごとで、他のところでおいそれと真似できるようなものじゃないんだね。とはいえ、多少は参考にできる場合もあるんじゃないかな、とは思う。たとえば六本木ヒルズなどの大規模開発の地上げには数十年かかったりする。その場合、初期に買った土地は、十年以上も放置されるわけだ。虫食い状に地上げが進み、駐車場だらけになった中にペンシルビルがぽつぽつ立っている光景は、よく見かける。ひょっとしたら、その地上げの進行にともなって少しずつ整備される開発なんていうのもあり得るんじゃないか。

 そしてまた、ぼくたちが他の開発を見るときの目も本書で 5 期にわたる開発のそれぞれの期を単発開発として見ることもできるけれど、代官山ヒルサイドテラスはそれらを一体とすることでもっと大きな価値を生み出している。他の地域でも、もっと広域的なとらえかたはできるだろう。六本木では大規模な開発がいくつかあるけれど、それをもう少し一体的に見られないものか。でかい開発が近くで並ぶと、競合だってことですぐに張り合うようになるけれど、そうじゃない一体感の出し方だってあるんじゃないかな。そして開発がいまいいとか悪いとかに加えて、それがどう人々となじんでゆくか、どう相互に対話するかという視点も、本書を読んだり実際にヒルサイドテラスを見たりすることで少しは養われるんじゃないか。

前号へ 次号へ  CUT 2006 インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。