会社はだれのものか 連載第?回

現実ばなれした会社論の問題の根っこはどこにあるのか。

(『CUT』2005 年 8 月)

山形浩生



 ちょっと前だが、ライブドア対フジテレビのけんかが話題になったのをご記憶だろう。さて本題に入る前に、この両者についてちょっとクイズを:

  1. 設備や機械に頼らない事業展開をしてるのはどっち?
  2. 新しい試みに積極的に取り組んでいるのは、相対的にはどっち?
  3. 同じことだけど、新しいアイデアを持った人が集まりそうなのはどっち?
  4. 企業の形として新しいのはどっち?

 もちろん好き嫌いはあるだろう。でも上のクイズすべてについて、あくまでフジテレビとの比較では、たぶん答はライブドアになると思う。古い放送設備に頼ってるフジテレビに対し、ライブドアの設備といえばちょっとしたサーバくらいか。目新しいことを次々にやっているのは、明らかにライブドアだ。片や前近代的な同族経営のフジに対して、ライブドアはいまをときめくネット企業。これはたぶんあまり異論がないはずだ。

 さてここで今回とりあげる岩井克人『会社はだれのものか』だ。この本は、いまや会社というものの概念が変わっていると主張する。これまでの会社は産業資本主義だ。でかい機械設備をそろえ、大量生産で儲けるのが基本だから、どれだけ設備を買う金を持っているかが重要だった、と岩井は主張する。でもこれからは設備ではなく、新しいアイデアをどう集めるかで会社の価値が決まるポスト産業時代なのだ!

 この議論自体かなり怪しい。これまでは機械さえ買えば儲かったなんて、そんなわけないでしょ。でもそれはおいとこう。で、かれはライブドア対フジテレビをどう評価するか? 驚いたことに、かれはフジテレビがポスト産業資本主義の新しい企業で、ライブドアは金で何でも買おうとする古い産業資本主義時代の企業なんだ、と主張する!

 でも会社としての実態を見ると、明らかに逆なんですけど。そもそもなぜライブドアがお金を持つようになったと思うの?

 さらに、人は設備とちがってお金じゃ買えないから、これからは金に頼った経営はできなくなるのだ、と岩井は議論する。会社としての魅力とか、仕事のおもしろさを提供できるかどうかが会社の運命を分けるのだ、と。

 はい、確かに。でも人はお金でかなり集められるし、それが魅力にもなる。それは単なる給料だけじゃない。福利厚生とか、同じ給料でも勤務時間が短いとかでもいい。お金がある会社のほうが、おもしろい仕事もしやすいよ。アイデアが重視されるからって、人が重要だからって、別にお金の役割が下がるなんてことはないでしょうに。そして実際の会社としてのあり方を見ても、岩井の言ってることは完全に逆でしょう。

 だから本書は現実をちゃんと分析できていない現実離れしたダメな本です、と言って終わらせることもできるんだけれど、本書はある種の経済学者にありがちな、症例の典型でもあるんだ。

 著者の岩井克人は、そこそこえらい経済学者ではある。でも経済学、特に近代経済学というのは、ある意味でしょっぱなからすでに結論が出ている学問だったりするのだ。基本的には経済は、自由な市場に任せとけばいい。これを近代経済学の始祖アダム・スミスが看破してしまったので、その後の経済学はほぼすべて、それが当てはまらない例外的な状況を分析する学問と言っても(あまり)過言ではない。

 でも一部の経済学者は、例外的な状況を一生懸命研究するうちに、それが例外的な滅多に起こらない状況だというのを忘れてしまいがちだ。岩井克人は、非常に特殊な状況だとお金に対する信用が失われてものすごいインフレが起き、市場が成立しなくなるという理論を研究していた。理論的にはおもしろい。でも岩井の指摘するような事態は最近はほとんど起きたことがない。むしろ世界でデフレが問題になっているときに岩井はハイパーインフレの心配をし、ドルがそこそこ安定していた時代にドルの暴落を心配し……岩井の議論はいつも、理論的には意味があってもその時代の現実にとってはピントはずれなものばかり。この本もその典型だ。特殊な状況の過度の一般化、現実への適用に際してのピントはずれぶり。

 そして市場の失敗をあれこれ研究しているうちに、一部の経済学者はそれがどれほどどれほど珍しいことかを忘れて、市場は信用できないと思い始め、複雑系とか社会主義なんかに走ってしまう。岩井のこの本もそうだ。お金の価値がなくなる、というのはかれの(現実離れした)ハイパーインフレの議論そのものだ。そしてそれをもとに岩井は会社が国営企業化し、社会主義化すべきだという。会社は自分の利潤を追求してはいけない、利益を度外視して社会貢献に精を出さなくてはいけない、とのこと。

 さてそれをやったのが社会主義だ。あるいは各種の国営企業や日本の公共事業は、収益性がなくても公共サービスの使命を果たすとか地域経済への貢献とかいうお題目で、赤字を垂れ流し続けている。岩井はそれでいいんだ、という。

 でも、国営企業の垂れ流す赤字やお手盛り経営のツケは、結局は国民の税金を使った補助金という形で社会の負担になるんだよ。それが長期的には社会そのものをつぶしてしまう、というのが社会主義の教訓だったでしょうに。岩井は経済学者でありながら、それさえ忘れてしまっている。本書の問いかけは重要なものではあるんだ。でも本書から価値を引き出すには、なぜ岩井がそれに対する答をことごとくまちがえているのか、というのを考えなきゃいけない。会社は絶対に社会のものなんかじゃないし(でも社会の一部ではある)、利潤の追求はほとんどの場合はよいことだ。それをきちんと書いた会社の解説書ってのがあってもいいと思うし、この本を反面教師としてそれが書かれることになればいいな、とは思うんだけどね。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>