アホウドリの糞でできた国 連載第?回

発展途上国が抱える問題の絶好の見取り図みたいな本。

(『CUT』2005 年 4 月)

山形浩生



 何度か書いたように思うけれど、ぼくは開発援助のコンサルが仕事なので、年柄年中世界中の貧乏な国をまわって、いったいどうすればここがもっと発展するだろうか、ということを考えている。

 ただ、これがなかなかうまくいかない。数十年いろんな援助をしてきても一向に発展しない国はたくさんある。なぜだろう。内戦とかで国も人もめちゃくちゃになったり、せっかくそこそこのところまできてもいきなりアメリカが爆弾を落としたりする場合は仕方ないだろうけれど、これという話がなくても発展しないところが結構ある。なぜだろうか。

 これに対して、反グローバリゼーションとかいうバカな運動を嬉々としてやってる連中がいて、そいつらは言うんだ。それはかつての帝国主義による植民地政策の影響が云々、とかグローバリズムで大企業がかれらを収奪しているからだ、と。

 でも……実際に行ってみると、ほとんどの国は別に搾取されてるから貧しいわけじゃないのはすぐわかるのだ。その原因の多くは、実はその途上国自身が創りだしている。現地の政治家や金持ちが自分の懐を肥やそうとして内輪もめと足の引っ張り合いばかりして、目先の利益ばかりを考えて長期的な配慮をまったくしない政策ばかり展開し、問題をひたすら先送りし続ける――それが何よりの問題だったりする。そしてそれは、先進国がいくら援助してもどうしようもないことだったりもする。

 もちろん、先進国や企業との交渉でババをひくことはある。ちょっと大きな国になれば、交渉でヘマこいた事例はいくらでも出てくるし、反グローバリズムとかの連中はそういうのをひたすらあげつらう。でも全体の中でそれは本当にどこまで問題なんだろうか。

 そういうことを考えたい人に是非読んでもらいたいのが、この『アホウドリの糞でできた国:ナウル共和国物語』だ。題名は、別に悪意をこめた罵倒じゃない。太平洋の小国ナウルは本当にアホウドリの糞が積もってできた島で、それが燐鉱石として高く売れたのでこの国は税金ゼロでほとんど働く必要さえない夢の国になった……そしてそれが、この国の墓穴を掘ることにもなったのだった。

 この本の書き方は、とてもフェアだ。文章もほとんどなく、そこにちょっととぼけたイラストが入っていて、すぐに読めるし、結局の所問題がどこにあるのかすぐわかる。確かに先進国との交渉でババをひいたこともあった。でもとんでもない小国だから、それが国全体の動向に極端な影響がなかったことはすぐわかる。大企業だってナウルを収奪したわけじゃない。ナウルの燐鉱石は、とってもよい値段で買ってもらえた。大企業は、ナウルでもむしろ途上国の発展に貢献した。

 でもナウルの問題は、お金が入ってきたときに、それを単に右から左へ使うだけだったことだ。お金がなまじあるので、だれもまともに働かなくなった。多少は国の将来のことを考えた人もいたし、またそれに使えるお金も一時は結構たくさんあった。でも、それをお気楽でバブリーなリゾート投資やら不動産投資やらにつぎこんで、全部すってしまった。

 そして燐鉱石が枯渇しつつあるのがわかったときにも、何も抜本的なことはしなかった。問題を常に先送りし、つまらない内紛に終始していた。そして目先のお金をもとめてマネーロンダリングの温床になったり、面倒見る能力もないのに目先の援助ほしさにアフガン難民を引き受けて、ほったらかしにしてみたり。

 そしていまやナウルは財政的にも借金漬けでめちゃくちゃで、産業もなく、人々は仕事の仕方すら忘れ、資源も枯渇し、どうしようもない状態となってしまった。

 でも全部、身から出た錆、だったりするのだ。そして、ここに書かれた話は、多かれ少なかれほかの発展途上国にもあてはまることなのだ。もっとも他の多くの国は、ナウルみたいに一時的とはいえお金が余るほどのよい身分になった試しがないんだけれど。

 こう書くと、いや資源ほしさにグローバル企業が途上国民をお金漬けにし、コーラやテレビやハリウッド映画で愚民化したのが悪い、やっぱりグローバリズムが悪い、なんてことを言い出す人もいる。でもこれは、その途上国の人たちをバカにした物言いだ。それはその人たちが、目先の誘惑と将来の利益をはかりにかけることもできないダメ人間だと言っているに等しい。どっかでこの人たちには自主的な選択の機会があった。だれも怠けることや無駄遣いをすることを強制はできない。そこでちゃんと貯金をし、産業を育て、教育にお金を使い、発展をとげる国だってあるんだし。さて、そのちがいはどこにあるんだろう。

 本書には、もちろんその答えはない。というより、答えは当たり前すぎて言うまでもない。どっかでだれかが先見の明を持って、みんなにそれなりの規律と努力をするように納得させるしかないのだ。でも、それをどうやろう? シンガポールのリー・クアンユーみたいなのが出てきてくれるのをひたすら待つのがいいのか? あるいはガキをどんどん留学させて教育水準をひたすらあげればいいのか?

 本書の扱っているナウルは小さな国だし、各時点での選択肢がそんなにあるわけじゃない。たぶんシムシティの市長さん役よりも少ない選択肢しか常時存在しない感じだ。適当な悪者(企業や先進国や悪徳独裁者)を見つけてすべての責任をそいつにおっかぶせようにも、そういう問題じゃないことはすぐわかる。国としての全体像の中で、何が現在の惨状につながったのか――本書はそれを、各種のお題目にとらわれずいろいろ考えてみるためのとても便利な教材だ。そしてそこで考えるべき課題が、いまの日本でもやっぱり考えるべき課題だということに思い当たったとき、この一見軽く楽しい読み物がもっと深い意味を持っていることにあなたは築くだろう。いい本です。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>