barbarians 連載第?回

文字解読者の生涯の、それ以外の部分はとてもつまらないのでした。

(『CUT』2005 年 2 月)

山形浩生



 ガキの頃に考古学に興味を持った子であれば、たとえばトロイアを発掘したシュリーマンとか、ツタンカーメン王の墓を発掘したカーナヴォン卿とかいう名前は鮮明に覚えている。何か伝説やごくわずかな証拠をもとに「ここにちがいない!」と苦労を重ね、失敗につぐ失敗、資金難、失望して離れてゆく人々、でも自分の信念を曲げない主人公、そしてかれらが最後に大ばくちに出て、それが当たった! 金銀財宝ざっくざく! というクライマックス。で、各種考古学の流れの話では、そうした人々に混じって必ずシャンポリオンの名前が出てくる。ロゼッタストーンをもとに、エジプト文字を解読したあの人物だ。

 ただ、文字解読は地味な作業だ。そして実際の結果だけを見ると、あまり大した話に思えないことが多い。ガキの頃に読んだ話では、シャンポリオンは楕円で囲ってあるのが固有名詞だと見当をつけて、そこからアルファベットを抽出してエジプト文字を解読しました、という話だった。へー。そのくらいだれでも思いつきそうなもんだ。いったいかれにしかできなかった発見なり洞察なりというのは、何だったの?

 本書『シャンポリオン伝』は、一応それを中心テーマとした本ではある。のだが……

 まず忠告。こういう方面に関心がある人は、上巻はとばすこと。読む価値はまったくない。上巻は学者になるまでのシャンポリオンの生涯を描くんだけれど、大した話はないのを無理に引き延ばした感じだ。いくつかの話はおもしろい。シャンポリオンは天才ではあったけれど、かれにはお兄さんがいて、この人が金銭面とともに学問的にもかなり支援をしていた、とか。あるいはパリに出てきたばかりのシャンポリオンくんは、社交界に出入りしたがって日々新しい服ばかり作っては家賃を滞納し、お兄さんにお金を無心する手紙をたくさん書いている。それはエピソードとしてはおもしろい。でも、その無心の手紙を十通も載せる必要はあるの? シャンポリオンの家系を十代もさかのぼってみて、なんか意味があるの? シャンポリオンの女性をめぐるエピソードも、全部片思いばかりでまったく相手にされず、可哀想なだけなんだよね。

 やっと下巻に入って話は本番になる。それも全部じゃない。9章から12章までが、シャンポリオンが本当に活躍する場だ。エジプト文字解読の先人たちを紹介し、かれらがどこでまちがえていたのかをあれこれ述べていく部分は、大変におもしろい。エジプト文字は表意文字ではないかという思いこみがかなり強硬に存在していたこと、そして表音文字であっても、区切りをあらわす文字、あるいはちがう文字が同じ音をあらわす場合もあること、無音の文字もあること、といったいくつかの条件が、ガキの頃に読んだ本の記述ほどエジプト文字解読が単純にはいかない障害となっていた。シャンポリオンはそれを系統だって分析しては、ひらめきとともに解明し、そしてそれをいろんな手紙に書き残している。ここは、あまり整理はできてないけれど、いちばんおもしろい部分。

 そして中でも、トマス・ヤングとの確執は本書の山場だ。ヤングは、あの有名なイギリスの物理学者だ。いくつかの文字の解読で、ヤングは見事な洞察を発揮し、そしてシャンポリオンがヤングの成果を少しとりいれつつ、最終的な解読を達成すると、それを快く思わずに、あれはおれの発見だ、シャンポリオンはその成果を横取りしたんだ、とかなり後まで恨みがましいことを書き続けているというのは知らなかった。へえ、あのヤングがねえ。だけれど、このおもしろい部分は150ページほど。その後の晩年のエピソードは……これまた読む価値なし。

 著者の文体は、派手派手しくて要点を実に見えにくくする、いらだたしい代物だ。シャンポリオンが「ぼくは輝かしい成果を挙げました」と書いた手紙を引用すると「おお、学問と英知の偉大な輝き! だがそれこそ天才がこの世にもたらす恩寵ではなかろうか! 若き天才はそのときエジプトの輝ける太陽が頭上に降り注ぐのを感じたのではなかったであろうか!」てな具合の、手前勝手な感嘆符まみれの尾ひれ葉ひれがいちいちついてくる。うるせーよ、おまえ黙れ。とはいえ著者ジャン・ラクチュールは、カンボジアでポルポト政権が大虐殺を繰り広げているときに、それをいちはやく報道したえらい人だ。ちなみにそれに難癖をつけまくって、予断で書いているとか、ポルポト政権側の見解を公平に書いてないとか、低級な揚げ足取りを執拗に展開したのはノーム・チョムスキーという人物だったんだが、それはまた別の話。

 ぼくは暗号に興味があったりするので、文字解読者としてのシャンポリオンにはとても関心があった。しばらく前に出たコーツ『マヤ文字解読』は、マヤ文字の解読においてシャンポリオンの洞察と同じ発想が役にたったと述べているし、かれの発想は今でも重要なはずなんだ。でもやっぱりシャンポリオンの文字解読者以外の部分ってちっともおもしろくないんだ。その人物に焦点をあわせた評伝というのは、そもそもが失敗を運命づけられた企画だったと思う。核心の 150 ページ以外の章はそれぞれ3行くらいでまとめられる。訳者は、散文的な伝記じゃなくて評伝になっているのがすばらしい、と書いているけれど、まさにそれがだめなところだと思う。ちなみに上下巻あわせて 1,000 ページ近い大部の本とはいえ、翻訳が 3 人がかりで 15 年以上というのは信じがたいグズぶり。別に出版のタイミングが重要な本ではないとはいえ、最低限の職業的良心すらないと思う。訳の水準も並の下くらい。そのグズな訳者センセイのおもしろくもない旅行記が巻末に嬉しそうに載っているのも実に興ざめ。だれか文字解読に詳しい人に、その部分にしぼった解説を書いてもらったほうがずっと本書の価値をサルベージできたと思うぞ。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>