Harry Potter Phoenix 連載第?回

魔法の世界は不思議と驚異をなくしてしまったのだった。

(『CUT』2003 年 8 月)

山形浩生



 ハリポタ第五巻が出たのは、すでに旧聞に属する。なんと、850 ページの超大作だが、もちろん飛ぶように売れている。題して『ハリー・ポッターと秘密結社不死鳥』(一部で仮の邦題として出回っている『フェニックス勲章』というのはどう考えてもちがう)。で、これをやっとの思いで先日読み終えましたよ。前回の『炎のゴブレット』の書評で、ローリングはむずかしいテーマを敢えて持ち込んでハードルを高くしている点を評価したんだけれど、それがこの巻でどう展開されているか、そしてもちろん、全七巻の後半戦がどう処理されるのかが興味の中心だった。

 だが、残念ながらあまり高く評価できない。こんなに分厚いのに(あるいはもしかするとそのために)印象に残る部分は驚くほど少ない。読み終わって数週間だけれど、ぼくはすでに、この本のあらすじを思い出すのさえ苦労している。はて、いったいヴォルデモートは今回、何をあんなに大騒ぎしていたんだっけ? 巻末で延々とダンブルドア校長が、自分の失敗についてしゃべっていたけれど、結局その失敗ってなんだっけ? 途中でいろいろ騒いでいた、進級だか卒業だかの試験はどうなったんだっけ? 今回のクィディッチはどこが優勝したんだっけ?  これまでの四巻では、おじさん一家で虐待され続けてきた孤児ハリー君は、実は自分が魔法使いで、しかも魔術界を脅かす悪の魔術師ヴォルデモートの攻撃をはねかえして倒した英雄だというのを知らされる。そしてアルバス・ダンブルドア校長の下、ホグワーツ魔術学校で魔術師としての勉強を受ける一方で、復活を試みるヴォルデモートを再三撃退するが、四巻でついにかれは復活してしまい……そして今回かれは、ヴォルデモートに対抗すべく結成された秘密結社「不死鳥」(といってもシリーズの善玉が雁首を並べているだけだが)に紹介される。一方、ヴォルデモート復活を信じない魔法省は、これをハリー君の虚言癖とダンブルドア校長による権力奪取の陰謀だとして、ホグワーツ校に官僚主義の権化のおばさんを送り込んで介入をはかる。このおばさんの専横の下、周囲からの疑惑の目にもめげずにハリーと友人たちはヴォルデモートの企みを阻止し、仲間の危機を救おうと活躍する……

 そして問題はここだ。活躍はおもいだせる。あれもあった、これもあった。でもヴォルデモートの企みというのが、ずいぶんセコイのだ。これまでのかれは、自分の復活のために各種アイテムを求めていた。だから必死なのもわかる。でも今回は? もう復活はとげたんだから、あとはさっさと世界征服をすればいいのに。でもかれはそうせず、なんかどうでもいいアイテムを求めて山ほど手下を犠牲にする。バカですか? さらに秘密結社不死鳥とヴォルデモートの一党との激戦の中で、ハリーの親族に近い魔法使いが死ぬんだけれど(あと、蛇足ながら魔術師同士の戦いって間抜けで、いちいち技の名前を言わないと魔術が繰り出せないのだ)それがずいぶん投げやり。それに対するハリーの反応も、なんかよくわからん。そして最後の長ったらしいダンブルドア先生の解説も、ずいぶんとくどく、こじつけがましく、謎解きとしても爽快感がない。

 また本巻の違和感は、この小説の位置づけにもある。ハリポタは基本的に児童小説シリーズだ。でもいまやハリー君ももう十五歳。もうすでに児童小説の主役を張るには大きすぎて、むしろヤングアダルト小説の年齢だ。それが違和感の原因になっている。児童小説の中に置かれた就職の進路相談だの、デートの心得だの女心の読み方だの、裁判や細かい行政手続きといった話はいかにも場違いだ。リアルタイムで読んでいる読者はいいかもしれない。でもこれからシリーズを通読する将来の読者は、とまどうと思う。最終巻でハリー君は、最終的には大学生近くになってしまうわけだけれど、どうするんだろうか。児童小説的な枠組みで大学生的リアリティは出せるのか?

 そして……この巻を読んでぼくが何よりも感じたのは、もっと根本的なところでの失望だった。かつてはあれほど魅惑的だった魔法の国が、急速につまらなくなってきている。魔法の国の魅力は、それがぼくたちの世界とちがうところだった。いままで読者はハリー君といっしょに、想像もしなかった世界が次々に開けてくるのを驚異をもって味わってきた。違う中で、たまに妙に似たところがあるのがおかしかった。でも、その種はもう尽きてしまったようだ。魔法の弾を使い果たし、今回では魔法の国は、われわれマグルの住まう国との共通性ばかりが強まる。役所だの就職だの商売だの、こちらの世界と同じ平凡な日常が積み重なるだけ。学校の魔法の勉強も、ひたすら詰め込みと暗記に終始。ふと目を上げると、そこはもういまいるこの世界と何のちがいもない。いまはみんな、とりあえず惰性で読んでいる。でも、ハリポタをハリポタたらしめていた魔法の世界の魅力が消えたことに気がついたとき、読者はついてくるんだろうか。

 残るはあと二巻。さてどうなるだろう。世界の新鮮さが失われ、さらにキャラクターの年齢が設定と明らかにずれてきて、それを補うために長く、くどい小説にせざるを得ず、そのために全体の印象が薄くなってしまう――この構図を打破できるだろうか? つらいだろう。予想を書いておくと、たぶん来年末くらいにこの邦訳が上中下のセットで出るけれど、いまほどは売れないだろう。いまの読者たちは、たぶんそれまでに四巻までのストーリーを忘れていて、話についていくのに苦労し、読んだ内容に失望するだろうから。再来年くらいに原書第六巻が出るだろうけれど、たぶんその売れ行きも下がるはず。そして完結編はどうかな。最後のところだけ立ち読みして終わり、かもしれない。さてローリングはどう出るか。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>