Valid XHTML 1.1! ソーシャルパワー 連載第?回

形見の函に幾重にも詰め込まれた好奇心たち。

(『CUT』2003 年 1 月)

山形浩生



 メメント・ホミネームというのが、18世紀に本当に流行っていたのかどうかは知らない。でもこの小説は、その一つを手に入れた男の紡ぐ物語だ。広口瓶、鸚鵡貝、編み笠茸、木偶人形……話者が手に入れたその箱は、10個の仕切でできていて、そのそれぞれにモノが入っていた。自分の人生において、転機となったり重要な意味を持ったりしたものを集めることで、自分自身の人生をまとめあげるオブジェ集――それがこのメメント・ホミネームだ。

 何の気なしに手に入れたこの函が、ひょんなことから実は18世紀のある天才発明家のものだったことがわかる。話者は、その一つ一つの物体を調べ、その発明家クロード・パージュの半生を再構成する。その再構成された物語が、本書『驚異の発明家の形見函』(東京創元社)だ。

 ものの構造や仕組みについて、天与の才を持った、フランスの田舎商人の小せがれとして生まれたクロード・パージュは、指にできたいぼを切除してもらおうとしたところ、ヒトの奇形に興味を持った医師によって、いぼだけでなく指ごと切除されて、9本指となってしまう。しかしそれをきっかけに、科学に情熱を燃やす領主に引き取られ、かれのもとでエッチなからくり時計の制作にたずさわることとなる。だがその後、領主がハプシコードの演奏のできない女性を殴り殺すのを見てパリに逃走し、からくり時計をパリで売りさばいていた書店主に雇われ、ポルノグラフィー販売に従事することとなる。書店主のじゃまを受けつつもかれは、昔からの情熱だった音の機械的な再現とからくり仕掛けに熱中し、やがてかつての領主と再会し、二人でしゃべる自動人形の制作にとりかかる。だがその自動人形は、折しもフランスに拡大していた共和国革命運動に糾弾され――こうした物語が、ちょうど博物学が花開き、科学が異様な進歩を開始しつつあった18世紀のヨーロッパを舞台に展開される。描写は実に生き生きとしていて、まさに見てきたようだ。冒頭の、寒風がふきすさぶ中でトランプの家をつくるクロードの描写、指を切られた時の血、各種の料理や香り。臭い不衛生なパリの生活(下痢よけに水に必ず酢を入れる御者の描写)、狭い屋根裏生活――本書の魅力の一つは、こうした五感すべてに訴えかけてくるような臨場感ではある。と同時に、解説で指摘されているような、きわめて入念なリサーチをバックにした、それとない一言半句にこめられた情報量の豊かさも大きな魅力だ。リンネの『自然の体系』が初めてあの有名なリンネ分類法を採用したのが第10版からだった、なんてことは普通の人は知らない(ぼくだって知らない)。でも、そうした具体性のある情報が本書の記述に厚みを加え、単なる発明家の半生記にとどまらず、18世紀という時代そのものの見事な再現になっているのはまちがいがない。原題はA Case of Curiosities. 好奇心の函であるとともに、好奇心の時代の物語でもある。ここらへんの事情については、若島正による解説が実にうまくまとめている。

 そして――いちばん最後のところで、読者はいきなり現代に引き戻される。冒頭でちょっと顔を出しただけの話者が、突然また姿を現し、ほとんどシームレスに話を終えてしまう。読者はそのとき、ふと不安におそわれるだろう。いままで読まされてきたものは、実は単に現代の話者による、見てきたようなウソなのかもしれない。だって数世紀前の人物について、ここまで詳細な記録が残されていることはあり得ないだろう。だからこれは、現代の話者が創作した、実際とはまったくちがうお話、なのかもしれない。でも一方で、クロード・パージュについては友人の作家プルモーによる『年代記』がかなり詳細な記録を残していることにもなっている。そしてそれに対するパージュ自身の訂正やコメントも残っていることになっている。とすれば、これはやっぱりかなり忠実な記録なのかもしれず――それに対して作者は(別の読者の口を借りて)こう述べる。「どうやらある発明にまつわるあなたの物語は、結果として物語の発明を招来したようですね」。そして本を閉じるぼくたちは、ふと思い出す。これが実はただの小説、ただの作り話でしかなかったことを。実はこんな函もなければ、クロード・パージュなんていう人物も(たぶん)いなかったんだ、ということを。でもその人物は、まさに本当にあり得たかもしれない説得力を持ってぼくたちに迫ってくる。

 本書のカバーには、実際にそのクロード・パージュのメメント・ホミネームの函が、文中の記述通りに(いや、ちょっとちがうけれど。広口瓶は、隅の仕切になきゃいけないのだ)再現してみせてある。すごいね。本を読み終わった後、表紙を見るだけで、本書全体が再現されてくる。だってこの物語は、もともとこの函をもとに展開された、発明された物語なんだもの。一読した後では、このカバーの絵は最初に店頭で見かけたときに感じたのとはまったくちがった意味合いを持つようになってくる。本書のラスト近くで、クロード・パージュは自分の青春を注ぎ込んだ機械人形「口をきくトルコ人形」をギロチン送りにされ、イギリスに亡命しようとする直前に、自分のそれまでの人生をふりかえってこのメメント・ホミネームを作るのだ。この函の発見から始まった物語は、その函の作成によって幕を閉じる。その函が(物語に関連する他の各種オブジェといっしょに)表紙に置かれ、この本は問題の函の中に何重も組み込まれていて、そしてそれが読んだ後も何重にも余韻を残す。そしてひょっとしたら、その人独自の好奇心が赴くままに、作者の語った物語とはまったくちがうお話をこのカバーの絵から作り上げられる人だっているかもしれない。翻訳も実に見事。ちなみにカバーを取ると、そこには機械仕掛けと動植物の組み合わせ。いいなあ。ここまできっちり内容に即して作りこんでもらえたら、本としても冥利につきるってもんだろう。

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