Valid XHTML 1.1! ソーシャルパワー 連載第?回

無謀だが壮大な試み:でも堂々巡りになってないか?

(『CUT』2002 年 12 月)

山形浩生



 その昔、ここでもレビューしたダイアモンド『銃・病原菌・鉄』を読んだときの感動というのは、人間の発達の大きな流れが、実は地域的な物質環境でここまで規定されてしまうのか、という驚きとともに、ここまで無謀なことをたくらむやつが、よくもまあいたもんだという感動だった。人間の数万年にわたる歴史を、ここまで単純化して説明してしまうとは! たいがいの人間であれば「いやあ、まあ歴史にはいろんな要因がありますから、そんな簡単にはいえませんよ」と慎重かつ臆病なコメントをして、こうした試みにはそもそも手をつけようとしないだろう。それをやってしまったばかりか、まがりなりにもつじつまをあわせてしまうとは。恐れ入りました。

 マイケル・マン『ソーシャルパワー』を読んだときの印象もそれに近い。石器時代からはじめて現代まで、人間の歴史をすべて説明しきろうとは、なんつー無謀な。ただしかれの批判によれば、これまでの社会学や歴史学においては、もっと単純な考え方が幅をきかせていたという。たとえばマルクス主義的な唯物史観によれば、要するにあらゆるものの源泉は、物質的な力だ(ちなみに『銃・病原菌・鉄』はそこらのぼんくらマルクス主義なんか蹴倒す、筋金入りの唯物論的説明となっている)。

 かれは社会のすべてを、4つの力によって説明しようとする。イデオロギーの力、政治の力、経済の力、軍事の力。というか、うーん、ここがややこしいところで、かれはまたそれらの力の源泉、という話をはじめて、そうなってくると非常に見通しが悪くはなってくるのだ。でも、従来の説明が三つの力を考えていたのに対して(昔は政治と軍事がいっしょになっていたそうな)、かれはそれを分けることで見通しをよくした、とのこと。  が、こういうやりかたは欠点もある。変数を増やすとデータのフィットはよくなるかもしれないけれど、何か変化が起きたときに、なぜそれが生じたのかを説明するのは至難の技になるだ。これは計量経済モデルとかで素人がよくやるミスだ。変数百個くらい使うとなんでもモデル的には説明できるんだけれど、じゃあバブル崩壊の理由は何? と聞かれて答えにつまる。「いやぼくのモデルが……」と口ごもるしかない。

 本書も、そういう雰囲気がするときがある。あるときはこっちの力、あるときはあっちの力、とそれなりに説明はついている。でも全体を見渡したとき、本当にわかったような気になれるかというと、どうしても口ごもる。『銃・病原菌・鉄』では、それがずっとすっきりしていた。『ソーシャルパワー』は、説明変数が増えた分高度になったような印象は受けるけれど、見通しはずっと悪くなっている。

 さらに、『ソーシャルパワー』は『銃・病原菌・鉄』で大きく欠落していた部分にまがりなりにも説明をつける。ヨーロッパの発展だ。というか、この本のメインとなっているのはそこで、『銃・病原菌・鉄』の対象となっていたいわば有史以前の多くの文明は、ほとんどかするだけに終わっている。でも、そのヨーロッパ文明のところもうまく説明できているか? さっきも述べたとおり、この本はそこで、その力の源泉、という話を始める。力の源泉は、社会的ネットワークだというんだ。そうなると、社会を規定したのは4つの力だけれど、その4つの力は社会のネットワークに規定されている、という堂々巡りに話が陥っているように思えて仕方がないところがたくさんある。本書を読んだあとでも、何かいままでよりヨーロッパの歴史について見通しがよくなったような気があまりしない。それが不満ではある。通史を提供するよりは、むしろ考える枠組みを提供することが目的だからそれでいいんだろうか? ぼくにははっきりわからない。

 でもぼくは本書の説明にそれなりの説得力を感じている。それはこの四つの力が、ローレンス・レッシグの唱える人を規制する四つの力にきれいに対応しているからだ。レッシグは法学者だけれど、人を規制するのは法だけじゃない、と主張している。人に何かをさせたい(あるいはさせたくない)と思ったら、法律、規範、市場、アーキテクチャ、という四つの手段があるのだ。たとえば自転車泥棒を止めたいとする。一つは法規制でそれを禁止できる。次に「自転車を盗むのは人間のクズだ」とか「自転車を盗むと鼻がもげる」とかいう社会通念を作って、社会の規範を通じてそれをやめさせることもできる。さらに自転車の値段を思いっきり引き下げて、盗むのがばからしいくらいにすることもできる(理屈のうえでは)。そして、もっと簡単に、自転車に鍵をかけることができる。だから法律を考える場合でも、ひたすら規制を厳しくしたって意味がなくて、こうした他の規制力の働き具合を見て、法律はそれを補うようなものにするべきだ。自転車泥棒をなくそうと思ったら、自転車泥棒は死刑という法律を作ることもできるけれど、それよりみんなに自転車に鍵をかけさせたほうがずっと有効だし合理的だ、というわけ。そしてレッシグの重要な指摘は、ある規制力は直接規制するだけでなく、他の手段を通じて間接的に機能することもある、という点だ。つまり、市場を通じて自転車用の鍵の値段を下げることで、自転車に鍵をかけるという物理的な規制を間接的に実現することができる。

 これがマンの四つの力と対応しているのは明らかだろう。軍事力は、物理的な規制。イデオロギーの力は規範による規制。経済の力は市場の規制。政治的な力は法の規制。もちろんレッシグの見方が絶対的に正しいわけじゃないだろう。でもいろいろ考え抜いたあげくに別々の領域の人が似たような認識に到達できているということは、ただの偶然とは思えない。今後、ヨーロッパの工業社会の説明になると、もう少しこういう力の諸関係を考える意味もはっきりしてくるだろうか? それが楽しみだ。

 あと、本書の翻訳はすばらしい。平易、読みやすい、そしておそらくきわめて正確(原書はチェックしていないけれど、不正確な訳は理屈が通らない箇所が頻出するので、往々にしてすぐばれる)。これだけの大部の本を3年であげたのは立派。これもシリーズの今後に期待する一つの要因ではある。

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