Valid XHTML 1.1! 行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙 連載第?回

「行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙」。

(『CUT』2002 年 2 月)

山形浩生



 行方不明の得体の知れない伯父さんから手紙をもらった「ボク」がどんな子なのかはわからない。ふつうの日常を送る、ふつうの男の子なんだろう。そういう子の前にエキセントリックな叔父さんがやってきて、いろいろ変わったことをやったり、ほらばなしをいろいろしてくれたりして、男の子はひたすら目を丸くしてあんぐりと口を開いたまま聞き入っている、というのは古今東西不変のパターンで、それこそジャック・タチの一連の「ぼくの叔父さん」シリーズなんかの基本路線だけれど、この叔父さんのへんてこぶりは群をぬいていて、数十年前に結婚から突如家出をして船乗りになってから消息を絶ったと思ったら、数十年して突然手紙が舞い込みはじめた。それがこの「行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙」(国書刊行会)だ。

 伯父さんは、冒険家だ。テーブルをボートにして船を脱走してからは、家来の亀犬(亀と犬のあいのこだ)ジャクソンをつれて世界各地を縦横に旅している。そしていまやあの(ってどの?)北極の白いライオンを見つける一歩手前まできたところで、その一部始終を書き留めて甥の「ボク」に送ってくれようとしている。どうやって北極のクマやクジラやライオンしかいない氷原から毎日手紙を送っているんだろう。そして道中でカメラはなくしてしまったけれど、伯父さんは絵の名手だから、あらゆる場面を絵にしてくれる。実はチマチマとタイプライターを叩いて文を書くより、絵を描くほうが好きみたいだな。しょっちゅう、紙に余白ができたといっては、アザラシだのカナブンだの、ワニだのカバだの、まったく話の本筋と関係ない脱線イラストまで描いてくれる。

 著者のマーヴィン・ピークは、一大オドロ小説『ゴーメンガスト三部作』で有名だけれど、イラストレーターとしても有名、というかむしろそっちが本業みたいなものだ。だからこのイラストはどれも、ふざけてるのか真面目なのかわからない、でもすてきなものばかり。だから本書は完全な絵本にだ。ガキ向けの、くっきりした原色イラストではなくて、ちょっとラフな鉛筆画だけれど。ピークは第二次大戦前後に出た質の悪い自分の本の印刷が気に入らなかったそうで、本書もそれをもとにしたらしく、決して鮮明とは言い難いけれど、まあいいか。さらにそのイラストとマッチした翻訳がすばらしいし、原文のミスタイプだらけの、マニュアルタイプライター特有の印字の高さのずれが、複数の書体を入れ混ぜることできっちりと表現されている。さらにぎくしゃくした文面を、汚らしいようなぎこちない書体にうまく置き換えて、あちこちにちょっとくせのある手書き文字も多用することで、文面と絵とがうまくマッチ。ひながたにテキストを流しこんで終わり、というんじゃなくて、一ページ一ペずつ字面とイラストと描き文字を組み合わせて細かくいじり込みながら作りこまれているのがすごい。えらく手間だったはずだけれど、訳者も編集者もデザイナーも、たぶんすごくおもしろがってこの本を作ったんだろうな。イラストのちょっとラフな感じとうまくかみあっていて、本全体から制作に関わったあらゆる人々の愛情とノリが漂ってくる。いいねえ。すべての本が、このくらいの愛情を持って作られていればねえ。そしてこの手紙を受け取った甥っ子も、とまどうと同時にさぞかし喜んだことだろう。かれはこのお話を信じたのかな。どうだろう。

 ちなみにこの「ボク」がいま何歳くらいなのか、そもそもこの伯父さんと面識もあるのか、この本を読んでもまったくわからない。これはひたすら、伯父さんの手紙だけが集まっていて、それを受け取った側のリアクションは一切描かれていないからだ。これを受け取った「ボク」はどうしただろう。そもそも手紙をもらったとき、この「伯父さん」がだれかわかったんだろうか。ちなみに伯父さんと叔父さんのちがいをご存じだろうか。いま気になって調べて初めて知った。父母の兄が伯父で、弟が伯父なんだって。ということは、この伯父さんは「ボク」の両親の兄なんだから、「ボク」とはちょっと歳が離れている感じかな。とはいっても、英語では単に「Uncle」になってるので、伯父なのか叔父なのかは実はまるでわからないのだけれどもね。それに「ボク」なんてのは原文には一切出てこない。邦訳でも「ボク」も「伯父」も表紙で使われているだけなんだけれど。それを「ボク」と表現した訳者としては、たぶん十歳くらいの男の子をイメージしてるのかな。

 でもひょっとしたら……自画像で見る限り、伯父さんも結構歳を喰っていそうだし、もう五十歳とか六十歳にはなっていそうだ。すると「ボク」も結構歳がいっていて、実は作者マーヴィン・ピーク自身の当時の年齢、つまり三十七とか三十八歳とか、そのくらいになったいるのかもしれない。ちょうどいまのぼくくらいの歳か。それがこんなへんてこりんな手紙を次々に受け取って、どこまで信じたものやら、どこまで真面目なのやら、困り果てた顔をしつつ、頭をぽりぽりかきながら、この伯父さんの希望通り博物館に通報したものやら、はたまたよくできた冗談だと思ってニヤニヤしつつしまいこめばいいのか、どうにも決めかねて、途方に(よい意味で)くれつつそこに立ちつくしている――それはまた、この本を読んできたぼくたち自身の姿でもある。そうやって手紙を受け取ることで、ぼくたち自身がその本の世界の一部となれる。ぼくたちが、ときどき作者の仲介さえ経ずに、直接この「伯父さん」から手紙をもらったような、そんな気分になれる。これはその意味で、とてもとても幸福感あふれる本だ。あなたが十歳だろうと四十歳だろうと。

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