Valid XHTML 1.1! WWW激裏情報完全に行方をくらます法 連載第?回

セキュリティとアイデンティティ隠しについて。

(『CUT』2001 年 10 月)

山形浩生



 インターネットがらみの話はいまだに何かと大きく喧伝され ネットの出会いサイトで知り合ったとか、その手の話は未だに週刊誌やスポーツ紙ネタの前フリで結構使われることが多くて、さらにネット上の悪事とかプライバシー侵害とかその手の話も後をたたず、その原因の一つはネットというのが未だ一部のスキルとお金のある人間しか使えないという面はあって、だから「インターネットやパソコンが使えないとこれからは生きていけない」といったまったく根拠レスな煽りをきいて不安に思っている人たちにとってもはけ口として機能してはいるわけだ。その一方で、そこには本当にセキュリティにからんでくる話も登場している。

 で、『WWW激裏情報』(三才ブックス)。これは……よいこのみなさんは読んではいけない情報、知らないほうがいいネタがいっぱいつまっている本。ドラッグの入手と製造法・使用法、はまあかつてここで紹介した故青山正明『危ない薬』にも多少はあったし、ここに載っているコンピュータのクラッキング手法はまあ概論レベルではあるけれど、それ以外にも留置所体験とか、交通事故の保険の正しいとりかたとか、あるいは消費者ローンの裏事情、その他ネットの有料サイト「激裏情報」やそのメーリングリストで流れているネタを編集して本にしたものだけれど、結構参考になる。いや、それは別にぼくがドラッグを作るとかそういうことじゃない。個人がいろんなセキュリティ(ネット上のものであってもそれ以外のものであっても)を考える際にいろんなヒントになるものが詰まっているという意味で。クレジットカードの各種処理の背景とリスク管理のあり方なんか、参考になるよ。クレジットカードも安全/危険があって、それは紛失時対応の仕組みに現れるという話を、処理業務の請負先で働いていた人が書いている。自社で人をはりつけてすぐに判断ができるところと、外注にまかせっきりで自社員は土日夜間きっちり休みます、というところではトラブル対応で差が出るし、だからカード選びもそこまで考えたほうがいい。

 悪趣味、といえば悪趣味な本だし、そしてこういう情報がネットで流れていることをもって、ネットを罪悪視する人もいるんだろう。でも本も情報も、その人の読み方次第ではある。実はぼくはいま、コンピュータセキュリティに関する本をちょうど訳し終わったところで、その本の主張は、結局コンピュータといえどもセキュリティを確保するには物理世界と同じ形の保険とリスク管理、という発想が要るんだ、ということ。いまのコンピュータセキュリティは、ひたすらリスクの排除と予防ばかりに専念していて、それ以外の部分が一切ない。もっとリスクの全体像を考えて、逆にリスクを積極的にとっていくことでビジネスチャンスを作り出すことだってできるんだ、という話。そしてその、リスクの全体像というものを考えるとき、たとえばこんな本でもそこそこ参考にはなるし、ぼくたちがふつうはまったく考えないようなリスクの形は、こういう本や情報源にしか出てこない。

 さてリスクがあるのはわかった。問題はそれに対してどうするか、ということではある。

 一つのやりかたは、徹底的な予防措置を講じるということ。そして個人の場合、それは徹底的にアイデンティティを隠す、ということでもある。そのための本がこれ。J・J・ルナ「アメリカ版完全に行方をくらます法」(はまの出版)。

 ストーカーとか、あるいはアイデンティティ窃盗(これはつまり他人が自分になりすます)を防ぐためのいちばんの方法は、自分がどこにいるのかをだれにも知られないことだ。つまり、自分と自分の実際の住所との関係を徹底的に隠すことだ、というのが本書の主張。警察は、事後の対応はしてくれるけれど何か起きるまでは動いてくれない、だから自分で自分を守らなければいけないという本だ。そのために、郵便は転送サービスを使い、公共料金は別名義で支払い、ゴミはすべてシュレッダーにかけ……そして『WWW激裏情報』に出ているプライバシーがらみの各種手口とここに載っている手法を比較すると、なんとなくその有効性というのはうなずけるはずだ。

 が、問題は、あなたがそこまでして守りたいものってのはなんなのか、ということだ。

 実際にやってみるとわかるけれど、郵便はすべて転送サービスを経由させて、いちばん信用できる親類数人にしか実際の住所は教えず――というのをやるのは、精神的にもかなりきついし、お金もかかるし、長続きするものじゃない。ネットはすべてが漏れるから警戒しろ、と本書は教える。フリーメールとネットカフェを使え、と。自分に関する情報は一切明かすな、と。でもぼくはそこまではとてもできないし、する気もない。本書の教えは、社会的存在としての自分を一切捨てろ、ということでもあるからだ。一時代前ほどは親密ではないにしても、一応大家さんと顔見知りだということからくるセキュリティもある。これは何かが起きたときの対応チャンネルがある、という形でのセキュリティでもあるのね。本書の教えは、かなりそういうものを捨てることで成立している。そしてまた、人は自分についての情報を出して認識してもらうことでアイデンティティを確立している。隠すだけじゃたぶんやっていけない。

 そしてそれが一つ面倒なところでもある。インターネットの一つのよいところ(人によっては最悪なところ)はその匿名性だとされる。でも、いろんな活動を見る限り、完全な匿名性だけで成立しているところというのは(あの悪名高い2ちゃんねるですら)思ったより少ない。適度な、そこそこの匿名性というのがみんなの求めているものではある。すると……いや、結論があるわけじゃない。ただ、この「行方をくらます法」なんかを一つの極端として、なにか社会として落ち着くようなバランスというのはあるだろうとは思うわけだ。

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