Valid XHTML 1.1! Cryptonomiconスノウクラッシュ上スノウクラッシュ下 連載第?回

ホントの現実を描くには粗雑すぎる作家だけれど。

(『CUT』2001 年 8 月)

山形浩生



 なんだぁ、こりゃあ!! せっかく気張って分厚い小説を読んだのに(なんせ全部で900ページ!)、ニール・スティーブンソンの最新作(といっても出たのは 1999 年)Cryptonomiconはすさまじくひどい小説だったのである。

いや、パッと見はおもしろそうなんだ。第二次世界大戦の、ナチス暗号エニグマ解読チームと、旧日本軍の隠した埋蔵金探し、さらに現代のデータヘーブン構築とが絡み合い、暗号によってネットの自由を守ろうとする人々とそれを阻止しようとする国家連合と強欲弁護士がわたりあう! いやあ、これだけ聞くととってもおもしろそうなんだが……

ニール・スティーブンソン。かれは、いろんなおもしろい(これは興味深いという意味でもあるし、笑えるという意味でもある)エピソードをたくさん考えつくのは得意だ。それを次々に繰り出して、スピード感のある話を展開させるのは、かれの真骨頂。そしてこの最新作でも、その才能はいかんなく発揮されている。ニルヴァーナを産んだシアトルのロックシーンをある人が探す部分。実はそんなものはない。なんとなくいくつかグランジっぽいバンドがいただけなんだ。そこである人が、じゃあシアトルのロックシーンをねつ造しちゃおうと言って、それらしいバンドを集めてコンピレーションを作って……というエピソードとかね。

またこの小説の主要なテーマである暗号の話もとってもおもしろい。公開鍵暗号システムの簡単な説明から、使い捨てパッド方式の解説、さらにはチューリングマシンの説明とそこからゲーデル問題の解説にまで進んでしまうというマニアックぶり。しかも、それを解説してくれるのが、アラン・チューリング本人だ! これはおもしろいよ。しかも一方では、単なる暗号理論だけの話じゃなくて、ヴァン・イック盗聴(というのは、テレビモニタから漏れる電磁波を拾って、隣の部屋とかのモニタに何が表示されているかを読みとる技術)や暗号ソフトPGPの使い方、さらに暗号を解読しても、解読されたと相手に気がつかせないためには、といったややこしい駆け引きが、マニアックな細かさで書いてあるのは、この手の話が好きな人(ぼくとか)にはうれしい。マニラの描写も、いや懐かしいね。マニラホテルはすてきだし、イントラムロスもいいよね。それはいいんだがぁ。

根本的なミスが多すぎるのだ、この小説は。まずこの人は、世の中が金本位制で動いてると思ってるのね。東南アジアのある架空の島国にデータヘーブンを作って、データロンダリングができるよう、さらにそこで電子通貨を発行して、そうしたデータの売買も足がつかないような形でできるようにしよう、と主人公(の一グループ)は思うんだ。だけれど、その電子通貨は裏付けがない! 裏付けになる金がないと! そしてそこで出てくるのが、旧日本軍がフィリピンの山奥に隠した黄金なのだ。

でも、もう世の中金本位制じゃないんだよー。日本だってアメリカだって、別に通貨を金に裏付けてもらってるわけじゃない。ケインズがすでに、金本位制なんて野蛮な遺物、と看破している。金なんかあっても、別にその貨幣の信用力が高まるわけじゃないんだ。だからジャングルの奥底に埋蔵金を探しにでかける後半部分は、わかってる人にとってはもう完全に無駄でしかない。

さらに構成も、後半にいくにしたがって実にいい加減になる。話も粗雑。主要登場人物の一人は、みんなの目の前で死んだはずなのが、何章かたつと何の説明もなく生き返ってくるし。おいー、そりゃひどいだろう。編集者もなんか言えよ。ラストで、主人公の同級生で、サバイバリストでクレーマーだった弁護士が、主人公たちを追ってシリコンバレーからマニラのジャングルまできて弓矢で襲ってくるとか、あまりに荒唐無稽。結局、スティーブンソンはいまこの現実のきめ細かさに耐えられるほどの精度がなくて、それを速度で補っている。だからいまの現実を舞台にした小説は無理なのだ。

だがなんとも恐ろしいことに、早川書房はこいつを翻訳出版する気なのぉ? やめたほうがいいよ、絶対。長くてだれも読まないだろうし。

これが近刊だっていうのは、こんど文庫化された「スノウ・クラッシュ」(/)の解説に書いてあった。この「スノウクラッシュ」(/)は、昔この欄でちょっと触れたことがあるけれど、それはそれはすばらしい小説なのであった。スティーブンソンのむちゃくちゃで大仰なところ(いきなり日本刀持ってうろついてる主人公とか、防弾チョッキのをも切り裂くガラスのナイフとか)も、とにかく設定がはちゃめちゃだから、ぜんぜん気にならない。粗雑なところも、Cryptonomiconみたいにぼくたちがいまの現実とつきあわせて考えたりできないので関係ないのだ。

こちらの設定は、近未来のアメリカ。もはや産業は、ピザの宅配と音楽、映画、ソフト開発だけしか残っていない。さらに人々は、巨大な仮想世界メタヴァースと現実世界との二重生活を送っている。が、その仮想世界と現実世界の両方を冒す、古代シュメールの人類奴隷化言語ウィルスが人類を存亡の危機に……

途中に出てくる、神話や遺跡・遺物の強引な解釈は爆笑ものだし、最後の戦いとチェイスのシーンも、よく考えるとつじつまがあっていない。でも、さっきも言ったとおり、この作品ではそれが欠点にはならないのだ。細かい話はいーのいーの。とにかくスピード感だけで突っ切ればいい。現実世界の動きが鈍くなったら、すぐにメタヴァースに移動。そして古代ウィルスにはもちろん古代ワクチンソフト! ミイ・ル・ル・ム・アル・ヌ・アム・ミイ・エン・キ!

 というわけで、これは傑作。歴史には残らないけれど、でもたぶん読んだ人にお代分の満足は与えてくれるだろう。よい本です。暇つぶしにはお勧め。

最後に蛇足。本書ではローマ字のままNgとなっている名前は、普通は「ナン」と発音するよ。ではまた来月! (注:その後飛行機の中で、「ン」と発音する、という人に会った。流派があるみたい)

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