Valid XHTML 1.1! Helliconia Summer 連載第?回

ヘリコニアの季節たち。

(『CUT』2001 年 8 月)

山形浩生



 恐れるな、喜びなさい、と女たちは言った。二千年にわたる冬の間地上を覆い続けた雪がとけはじめ、各地が大洪水に覆われ、そして固い皮に包まれていた植物たちが突如としてはじけ、巨大砲弾のような種子を猛然と打ち出して人々を殺し、これまで見たこともないような恐ろしい獣や昆虫が地や空を満たしたその時、数千年にわたり角をはやした巨大ゴリラのようなファゴルたちの襲撃におびえ暮らしていた人々に向かって、女たちはそう告げたのだった。喜びなさい、実際の星を自分で見ることを忘れ、ゆがんだ伝承にのみすがる男たちよ。つかみ取った知恵と真理をいともたやすく手放してしまう人々よ。これは世界の終わりじゃないわ。終わろうとしているのは、あの毛深いファゴルたちの時代。われわれ人類にとって、いまこそ世界は始まろうとしているの。女たちは本当に空を見上げ、星をながめ、その意味するところを理解したわ。この星は、バタリクスをまわり、そしてそのバタリクスがさらにフライヤをめぐっているのよ。そしてついに、フレイヤがバタリクスよりも大きくなる日がやってくる。喜びなさい。それはあなたたちの時代なのだから。わかる? 数千年の時がめぐり、ヘリコニアには再び春がやってきたのだから

 混乱と恐怖の中であなたたちが語った希望のことばは、真実となった。予言の通り、人は栄え、ファゴルたちは周縁部と隷属に追いやられている。そしてまたあなたたちの危惧したとおり、人々はふたたび知恵を手放し、迷信と伝承にすがるようになり、その宗教が巨大宗教として猛威をふるっている。そしてその宗教、鉄、銃、家畜としてのファゴルの使用をめぐり、国家が生まれ、殺し合い、そして権謀術策を弄して増殖しようとしている。

 ヘリコニア。その星は一年の周期で副星バタリクスのまわりをめぐり、そしてそのバタリクスは三千年をかけて主星フレイヤを公転する。数世紀、数千年におよぶ長い春と夏、そしてさらに長い冬。春とともに人は栄え、そして冬の到来とともに文明はエネルギーを失って没落し、ファゴルの天下がやってくる。

 いまヘリコニアは夏の盛り。フレイヤからの放射エネルギーが大きすぎて、各地は干ばつと山火事に見舞われ、末法思想が世界を覆っている。

 『ヘリコニアの夏』は、キューブリックの遺作『A.I.』の原作者ブライアン・オールディスが一九八〇年代前半に発表した超大作『ヘリコニア』三部作の二作目だ。でもいまだに本書はまったく古びたところがない。オールディスは、ラブロックの有名な(だがいささか額面通りに受け取られすぎた)ガイア仮説を小説化しようとしてこの『ヘリコニア』シリーズを構想している。だがジャレド・ダイアモンド『銃、病原菌、鉄(および下巻)(草思社)を読んだ人なら、ここに描かれた各種のモチーフがいかにダイアモンドの指摘した各種のポイントを的確についているかを容易に読みとることができるだろう。地域のエネルギー収支、テクノロジー、家畜。そしてまたダイアモンドがとりあげられなかったモチーフ――宗教や個人の役割――も見事に融合できている。さらに、ダイアモンドが、所与の環境下でメソポタミア・ヨーロッパの優位性を強調するのに対し、オールディスは、むしろ相互依存の世界を描く。夏と冬で優劣が逆転するファゴルと人間たちですら、実は病原菌を通じて相互に依存しあっている。人類の半分を季節ごとに殺戮する病原菌ですら、実は季節の変わり目に人々の肉体組成を変えて適応力を増す重要な役割を担っている。そしてこれだけの背景情報を、オールディスは非常に通俗的な物語の中に埋め込む。『ヘリコニアの夏』は、ある野心的な若き王とその美しい女王との悲しい一代記として読むこともできるだろう。

 にもかかわらず……いや、この本が抜群におもしろいのは事実。テーマも深いし、文章も厚く重みがある。構成としても、いくつかのアイテム――地球からもたらされたデジタル時計、死体、子供の絵本――を配して複数のストーリーを見事に関連させている。読了直後には強い読後感と余韻を残すのも事実。にもかかわらず、その余韻は不思議と急速に消えていく一週間たたないのに、ぼくはすでにこの小説が自分に残した刻印を再現するのに苦労しはじめている。それはある意味で、本書があまりにバランスよくまとまりすぎているから、なのだ。それは、オールディスのすべての作品に言える。比較されることの覆いJ・G・バラードの小説は、何度も再刊され続けている。オールディスは、最高傑作とされるこの『ヘリコニア』シリーズですら、いまは絶版だ(注:その後、復刊が少し見られる)。刊行当時、この本は熱狂的なファンを生んで、ヘリコニア百科や架空研究書が多数出た。いまはまったく見あたらない。ウェブページもない。それはこの意識へのひっかかりの少なさに原因がある。

 でも、印象的な場面はある。冒頭で引用した、『ヘリコニアの春』での科学する女たちの高らかな宣言。『ヘリコニアの春』を読んで数年たったいまも、ぼくはこの場面だけははっきり覚えている。そして『ヘリコニアの夏』において、失われた女たちの研究成果を一人ひきついだ老科学者サルトリイルブラシュが、古代の伝承と生態の観察をもとに、人間とファゴルの関係を解明して巨大宗教を一気に崩壊させる場面など。これは単に、ぼくの趣味の問題なのかもしれない。でもそれ以上に、何かを真に発見した人のことばには胸をうつものがあって、オールディスもそれを知っているのだ。「ヘリコニアはこのまま焼き尽くされたりはしない! まもなくヘリコニアの夏はピークを過ぎ、人間たちはやがて必然的に没落に向かうであろう。そして再び世界はファゴルたちのものとなってしまう。だから人々よ、いまこそ立ち上がり、ファゴルを倒せ。いまこそが人類の栄え、ヘリコニアの夏の頂点なのだから!」

 本書は、この宣言からほどなくして終わる。夏の盛りはすぎ、やがてヘリコニアには冬がおとずれる。

 だが、それはまた別の物語だ。

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