神秘の島 連載第?回

『神秘の島』とジュール・ベルヌ。

(『CUT』1999 年 07 月)

山形浩生



 だれしも、ガキの頃に影響を受ける本は多々あって……いや、あったというべきかな。子供向けの本をいろいろ出してる出版社に勤めてるぼくの弟によると、もう最近のガキは本なんか読まないんだそうだ。えらくいい給料をもらってやがるので、てっきり児童書ってドカドカ売れているのだと思ったら、そうではないんだとのこと。「いやぁ、子供の数も減ってきてるしぃ」。でもその分、親がやたらに教育熱心になって、一人あたりに費やす金は増えてるんじゃないの? 「いやいや。もう親のほうに本を読む習慣がなくて、だから子供に本を読んでやったりとかしないじゃん。そうすっとさ、やっぱ子供だって本なんか読まないよなー。テレビもあるしゲームもあるし」。ふーん、そういうものかね。

 ぼくにとって、ガキの頃に読んでその後の嗜好を決定づけた本ってのはいくつかあって、なかでもやっぱジュール・ベルヌの影響ははずせないだろう。『海底二万マイル』と『十五少年漂流記』(正式な題名は「二年間の休暇」だけれど、ぼくはまずジュブナイル版で読んだから、こっちの題名のほうがすわりがいいのだ)。この二作は、単に思い出深いだけじゃなくて、いまの自分のものの考え方にまで決定的に影響を与えていると思う。

 と書いたところでまわりの人にきいていみると、もう『十五少年漂流記』も『海底二万マイル』も知らない子が多いんだなあ。『十五少年漂流記』は、夏休みに 15 人の子供たちがちょっとした事故で帆船で外洋に出てしまう話だ。子供たちは、必死で船を操り、嵐を乗り切って、無人島にたどりつく。そして二年間にわたり、独力で住居を築き、食料を調達して、文明社会の縮図のような規律正しい生活を展開するんだ。

 『海底二万マイル』は、謎の潜水艦ノーチラス号と、それをつくって世界の海を旅しているネモ艦長の物語。イギリス船が次々に、変なクジラに襲われて沈む。それを退治しに派遣された船団もかえりうちにあう。たまたまそこに乗っていた三人だけは、助けてもらえる。そのクジラは実は世界最先端の技術の粋を集めた潜水艦ノーチラス号で、かれらはその艦長ネモと出会い、数年にわたっていっしょに世界の海を渡り歩く。

 最後にその三人は、ノーチラス号が沈没の危機に瀕しているときに、そこを脱出してくる。イギリス船の攻撃もその後はなくなり、ノーチラス号の行方はようとして知れない……『海底二万マイル』は、その脱出してきた一人が書いた手記ということになっていて、その最後で書き手は思案する。ノーチラス号はあのとき沈んで、ネモ艦長も死んじゃったのかな。でも、わたしはかれがまだ生きていると思いたいな。イギリス船への昔の恨みはもう忘れて、平和に海の王国で暮らしているんだと思いたいな、と。

 ぼくを含め、『海底二万マイル』を読んだたいがいの人も、そういう思いを抱いて本をとじるんだけれど。実はなんと、あの話には続きがあったのだった!

 先週、なんの気なしにこの『神秘の島』(福音館書店)を読み始めて、最後まできてぼくは目をむいた。ネ、ネ、ネ、ネモ艦長!(©斉藤美奈子)こんなとこでいったいなにを! そうか、艦長はインド人だったんだ! だからイギリス人に恨みがあるんだ。そしてこんな形で死を迎えて、ノーチラス号はこういうふうに海底に沈むのか。

 とはいえ、『神秘の島』は、構成としてはむしろ『十五少年漂流記』に近い。アメリカの南北戦争で南軍にとらえられた男五人が、熱気球で脱出。そして南半球の孤島に到達して、何もないところから文明社会の縮図を築きあげてゆく。しかし無人島だったはずのこの島で、一同の生死にかかわる危機が訪れるたびに、どこからともなく謎の救いの手がさしのべられるのだ。もちろんその救い主こそは……

 とってもジュール・ベルヌ的な小説ではあって、ベースには科学技術と民主主義への信頼が色濃く流れ、それによって人間たちが自然を制覇してゆく。おもしろいな。こういうストレートな書き方は、いまは絶対にできないのだけれど、なぜだろうか。古くさいのは確かなんだけれど、読んでいるときには古くさい気はまったくしないのだ。いまだと、絶対もっと引っかけをいれたり、変な人間ドラマをからめないと納得されないはず。でも、実はそんなのはまったくいらないのかもしれない。

 ただミッシェル・ビュトールはこの本を「ベルヌの全作品中一つの頂点」と呼んでいるそうなのだけれど、ふーん、そうかな。『海底二万マイル』や『十五少年漂流記』にくらべると、ぼくにとってはこの本は物足りない。それはたぶん、ぼくがなまじ成長しちゃって賢しらになったことも影響しているんだろう。でも、それだけじゃない。

 たとえば『十五少年漂流記』では、十五人のガキがない智恵をふりしぼって、少しずついろんな生活環境を整えていくのが楽しかったわけ。それにくらべてのこの「神秘の島」では、登場人物たちがあまりに苦労しなさすぎるのね。一団の指導者的立場の技師サイラス・スミスは、あまりに万能なんだ。いきなり製鉄するは、陶器はつくるわ、爆薬もつくるは、発電はするわ、紡績はするわ、ガラスはつくるは、造船までするは、とにかくなんでもできちゃうのね。おいおい、こんなすごいエンジニアがいるかぁ? いまのふつうのエンジニアを無人島に放り出したって、三年たっても鉄はおろかつまようじさえ作ってくれないぞ。

 人間的にも、はじめっから役割が完全に決まっていて、内部的にはいささかの対立も抗争もない。『十五少年漂流記』では、なんせ十五人もいるから、階級的な争いもあれば出身国の差にもとづく考え方のちがいとかもある。かなり深刻な対立もあって、それをいろんな形で政治的に一つ一つ克服するのも、自然の克服と同時に大きな課題だった。それはガキだったぼくが感情移入する大きなポイントでもあった。『神秘の島』ではえらいのが一人いて、みんなその人を中心に仲良くしているだけで、盛り上がりに欠けるんだ。

 あるいは『海底二万マイル』では、なにより海中の世界の驚異があった。あちこち旅するなかで出会う新しい環境の目新しさもあったし、さらにはネモ艦長というのがずっと謎の人物のままで、物語の緊張を保っていた。それは『神秘の島』にはないなあ。島を一通り調査し終えると、あまり新しい驚きや発見はない。

 それでもこの『神秘の島』が、いまなお十分におもしろかったのは事実で、ぼくとして気になるのは、うーん、なぜいまこういうのが書けないのか、ということ。そしてもう一つ、こういうおもしろさをいまのガキに理解させられないというのは、いったいどういうことなのかな、ということ。もちろん本を読むという技能というか才能というか訓練というか、そういうものに関係しているのはもちろんなんだけれど、一方でいまこういうのを書けないし、書いてもバカにされてしまうというのと、なんか関係があることのような気がするんだ。そこらへんをどう考えればいいのか、ちょっと首をひねっているところなのだけれど、まあ当分答えは出そうにないな。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>