クラウドコレクター 連載第?回

アゾット/亜素州をめぐる幻想と現実。


(『CUT』1999 年 3 月)

山形浩生



 ぼくの曾爺さんは夢多き実業家だったそうで、戦前から戦中にいろんな事業を立ち上げてはつぶし、立ち上げてはつぶし、結局何もモノにならずに晩年は消息がわからない。いろんな事業のなごりだけが、うちの親の実家にはたくさん転がっているそうだ。貿易会社をやったり、出版社をやってみたり、大陸の鉄道事業と鉱山事業を組み合わせてみたり、アイデアはいいのにこらえしょうがなくて、どれもろくに続かなかったとか。

 その曾爺さんの一世一代の大ばくちが、大日本帝国の傀儡国家たる満州帝国の成功にあやかって、蒙古帝国ってのをでっちあげて搾取しようという一大計画だった。いろんなお膳立てまで整えて、関東軍とも話がついていたとかいないとか。どっからか傀儡用にフビライ汗の末裔ってのまで見つけだしてきて、擁立の準備は着々と進んでいたらしい。

 蒙古帝国は結局ポシャって歴史にも残らなかったけれど、そこはさすがにぼくの先祖。こりもせずにチベット帝国を画策して奥地に入ったところで、消息がとぎれているんだって。残されたのは、その事業計画の素案みたいなのと、道中の何通かの手紙だけだ。

 かれは富士映画という会社もやっていた。日本映画史にも出てこないけど、どうも蒙古帝国の話といい、二番煎じの気が多い人なので、これも松竹まがいを目指したんじゃないかな。親の実家の押入に、フィルムが何巻か転がっているそうだ。でも蒙古帝国プロジェクトの進行で富士映画も活動を大陸に移していて、プロパガンダ映画作成を考えていたらしい。でもチベット帝国構想と前後して、あるとき機材を含めて全資産が売却されている。

 さてその曾爺さんの最後の手紙には、これから亜素州に向かう、と書いてあるのだ。調べても出てこない地名だし、夜逃げで高飛びする際の攪乱用ガセねたかなと思っていたんだけれど(その前後に全資産を処分してるし)、そこへ出たのが本書クラフト・エヴィング商会『クラウド・コレクター』(筑摩書房)だった。

 これは同商会の創始者吉田傳次郎氏の戦中の旅行メモと各種手みやげ、さらにはその資料をもとに、三代目が再現した各種の文物をまとめた名著である。そしてその傳次郎氏が訪ねるのが、なんとアゾットという都市なのである。アゾット、亜素州! まちがいない。あの古の伝説は真であった! その者、青き衣をまといて……じゃなくて、曾爺さんはホントに亜素州に行ったんだ!

 さらに本書には注目すべき記述がある。p.76 には、このアゾット/亜素州の人々を「観光旅行というのは光を観ることだ」とだまし、観光旅行装置と称して映画機材を法外な値段で売りつけた過客がいたという記述がある。この地域にまで映画機材をもちこんだ人間がそうそういるとは思えない。確証はないけれど、たぶんこの過客こそ、ぼくの曾爺さんだったのではないか。かれが富士映画の資産を売り飛ばした相手は、おそらくこのアゾット/亜素州の人々だったのだろう。インチキ王国をつくろうという人間なら、物忘れの激しいアゾット/亜素州の幻想人どもをペテンにかけるぐらいは朝飯前だっただろう。それがあんなキテレツな使われ方をするとは、さすがの曾爺さんも思ってはいなかっただろうけれど。ぼくはこの部分を読んで、半世紀の時を一挙に越える、めまいにも似た感動をおぼえた。

 それだけに、本書の編集方針には大きな疑問を感じる。これほど入念な記録や資料が残されているのに、著者は冒頭で「『旅日記』のすべては祖父のフィクション、まったくのでっちあげ、嘘八百」と決めつけるのだ。根拠はなにもない。1943年は戦争中で、邦人が海外に出られたはずはないという憶測が唯一の論拠だが、日本はアジア全域で戦争していたんだから、戦地周辺なら簡単に出かけられた。アゾット/亜素州が大叔父の向かったチベット周辺なら、話はもっとわかりやすい。チベットはナチスと結びついていたといわれる。ヒトラーは晩年にチベット仏教に傾倒していて、かれが自害したときには、チベット坊主が死体を取り囲んでいたという噂もある。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』というブラピ映画をご記憶だろうか。あの主人公は実際にはナチスの使者としてチベットに赴いたとも言われているのだ。当時の日独関係からして、この地域に日本人が出入りするのはそこそこ容易だったろう。

 さらに本書によると、アゾットには「ナーン」というパンがあった。インド周辺なのはまちがいない。腑におちないのは、コーヒーがあったという記述だ。この地域にコーヒーはない。だから傳次郎氏の記憶ちがいや脚色も多少はあるだろう。でもおそらくアゾット/亜素州は、実在したのである。そして傳次郎氏も、ぼくの曾爺さんも、そこをほんとうに訪れているのだ。本書はこれまで歴史からまったく姿を消していたアゾット/亜素州を初めて現実のものとした、貴重な記録なのである。

 吉田傳次郎氏はその後帰国している。一方曾爺さんは消息を絶っている。蒙古帝国は、チベット帝国は、現実の光を見ずに幻想のまま消えた。一方、幻想と決めつけられたアゾット/亜素州が、こんどは現実の世界に現れかけている。幻想が現実と交錯し、現実がいつのまにか幻想となる。クラフト・エヴィング商会は、名著『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房)以来、そうした境界で活動を展開してきた。このアゾット/亜素州もまさにその境界にある。それだけに本書がせっかちに、すべては幻想と断じているのは惜しい。この幻想は、三代目の考える以上に現実なのだ。そしてもちろん、三代目はこの思いこみに復讐される。ほぼ同時期に、幻想のはずのアゾット人たちによるアゾット事典が『すぐそこの遠い場所』(晶文社)として刊行され、アゾット/亜素州はますます現実に近づきつつあるのだから。

 だから本書『クラウド・コレクター』は、著者の意図をはるかに越えた現実的な意義をもつ本なのだ。著者はこの本を全部幻想に押し込めようとするあまり、祖父吉田傳次郎氏その人まで「実在ではない」などと語ってしまう。(自分の祖父の実在を否定してどうする!)でも吉田傳次郎氏は、架空の人でありながら、現実にかなり足をつっこんでいたのだろう。一方の曾爺さんは、どこにいってしまったんだろう。かれはこの現実にいながらも、夢多き幻想の事業家だった。そのままアゾット/亜素州に居着いてしまったのではないだろうか。そして未だにそこで、すべてを忘れ続けながら暮らしているんじゃないだろうか。あなたもこの本を読んで、アゾット/亜素州に思いをはせてほしい。いずれこの本を忘れ果てたとき、ひょっとしたらわれわれもアゾットにたどりつけるかもしれない。それは実は、案外簡単なことかもしれないし、そのやり方もこの本には書いてあるのだ。これぞ真に実用的な、すばらしい本である。

 そういえば曾爺さんは、シルクハットが大好きだったそうだ。そのかれの帽子は、富士映画のフィルム缶といっしょに実家の押入に残っている。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>