
連載第?回
この 5 年ほどは、ぼくにとってはすごく楽しい時期だったんだ。1993 年夏、それまでちょこちょこ、大学やパソコン通信の電子メールで気分だけ味わっていたインターネットが、MIT にいっていきなり日常茶飯のあたりまえの環境になって、しかもそこへ情報スーパーハイウェイ騒ぎがあってそれが突然世間的な注目まで集めて、さらにそこにあつらえたみたいに NCSA Mosaic が出てきて、うわー、絵が出る! 音も出る! おお、ほかのページにどんどんつながる! そしてインターネット上に Web ページなんてものがぼこぼこ出てきて、おまけにそれまで影くらいしかなかったインターネット接続プロバイダがわさわさ湧いて出てきて、家からもインターネットにあっさりつなげるようになって――突然世界が爆発したみたいに広くなった。パソコン通信のフォーラムの、疑似メンバー性からくる狭苦しい内輪の感じはまるでない。ぜんぜん知らない本や論文の著者にメールを出すと、あっさり直接返事が返ってくる! すごい! ここまでわずか半年。それが爆発するようにして先進国の常識と化し、さらに中年化してやっと落ち着いた見方がされるようになるまでにまたほんの数年。
それはなんてすごい、なんてわけのわからない日々だったろう。みんながそこに新しい可能性を見た。ある人にはそれは自由と希望だったし、ある人にはそれは商売のタネだったし、ある人にとってはよくわからない、山からタヌキがそれをつたっておりてくるようないかがわしい代物だった(ネットポルノ規制とか言ってる連中の認識ってのは、実はこんなもんだ)。何よりもすごかったのが、自分がまさにそこの当事者の一人であり、このぼくにもなんだかしらないけれど、よくわからない可能性があるんだという感覚だった。そしてそこにふっと湧いてきたのが、WIRED という雑誌だった。
インターネット雑誌はいろいろあったけれど、中途半端な市販ソフト紹介以上の幅と深みを持ったは Byte (この雑誌もはっきりしない状態が続いている)と本国版 WIRED だけ。サブカルチャー的なにおいをちりばめつつ、ビジネス面もおさえ、暗号規制にからんで政治的にもきちんとしたスタンスを持ち、しかもビジュアル的な目新しさも追う。そりゃ今でこそ、アメリカのバブル礼賛雑誌に成り下がっているけれど、当初の WIRED はこのインターネット普及期の夢と不安と打算をそのまま形にしたような、本当に新しい雑誌だったんだ。
その日本版の『ワイアード』は、やはりアメリカ版と同じくインターネットの爆発的な普及とその夢や打算にのっかりつつも、最終的には本国版とはぜんぜんちがう雑誌になっていった。それは一つには、インターネットをめぐる思惑と利権が日米でぜんぜんちがったせいだろう。そしてインターネットがある意味で、日本の抱えていたいろんな問題点とストレートに関係していたことと、さらにはいろんな組織が情報化のお題目に踊らされて、いとも簡単にこのインターネットを自分の中に引き込んでしまったということも影響しているはずだ。それをつたっているうちに、『ワイアード』はかなりインターネットとは離れたところで動くようになっていった。たぶん、日本の通信業界の話を特集した頃が一つの節目だったんじゃないかな。
というわけで、翻訳を減らしてオリジナル記事中心でいくという方針をきいたときは、本国版のこのライター層の厚みを出せるライターが日本にいるわけないのに、バカだなあ、すぐにくだらんサブカル雑誌に成り下がるよ、と思ったけれど、この見通しはうれしい形で裏切られた。そりゃ最初の頃は、慶応大学 SFC のちょうちん特集とかろくでもない代物は出たりしたけれど、だんだんレベルはあがってきて、みてごらん、最近の充実ぶりを。もうインターネットとはほとんど関係ない。音楽特集も、マンガ特集も、ソニー特集も、ほかのどの雑誌でもあり得ないようなオリジナリティと厚みを持っている。最初の頃は、『CAPE-X 』だの『デジタルボーイ』だの、いかがわしいインターネット系サブカル雑誌がライバルだと思われていたけれど、まったくお呼びでないね。昔、ここでとりあげた朝日グラフ別冊『0-24』が続いていたら、あるいは張り合える雑誌になったかもしれないけれど。
その『ワイアード』がこんど、休刊になるんだ。いまあなたが読んでいるこの『CUT』とほぼ同時期に店頭に並んでいるのが、現『ワイアード』の最後の号となる。いつかまた『ワイアード』の名を冠した雑誌は出るかもしれないけれど、それは今とは似てもにつかないものになるだろう。
この雑誌がいずれ、日本の新たな「総合誌」になるとぼくは思っていた。『世界』だの『中央公論』だのには総合のかけらもない。たこつぼな爺さん婆さんどもが、たこつぼたちだけに向けて書いた、もったいだらけの文がならんでいるだけだもの。あんな戦前の遺物まがいをいまだに読む人がいるんだろうか。何一つ新しいものはない。すでに確立した「先生」がたが、どっかできいたような話をトロトロ書いて、そのくせ雑誌としてのプライドだけは妙に高い――むしろあれは、そこに書くことがいっぱしの「文化人」の証拠だという、「主流」知識人業界お仲間雑誌なんだ。
『ワイアード』はちがう。ちゃんと取材して裏もとって、それをもとにした分析と主張がある。まじめな論考もあれば冗談企画も山ほどあって、分野だって、マンガも音楽も小説も、企業も経済も科学も技術も映画も、なんでもござれ。ビジュアル面での工夫もあって、さらに警察方面やアムウェイみたいな面倒そうな相手にもちゃんとケンカを売るだけの良心と度胸もあった。これぞ真の意味でのジャーナリズム。受け売りするだけの、伝えるだけの「メディア」なんかじゃない。すべてがある。これこそ本当の意味での「総合」じゃない? 少なくともぼくは、いまの日本でその名に値する(した)のは『ワイアード』くらいだと思っている。そしてぼくは、そこに書けてすごくうれしかったんだ。それはあの、インターネット普及期入り口で感じられた、あの夢と興奮と期待の入り交じった感覚に似ているけれど、でもそれが最後まで裏切られるどころか、ますます強まりつつあったのに。無念。
とりあえず最後っ屁の終刊号には期待しておこう。この『CUT』といっしょに買っておくといい。いつかこの『ワイアード』も伝説となるだろう。ここに集まっていた人が、すぐにいろんな方面で、いろんな形で活躍するようになる。編集長も早速なにやら暗躍しだしたらしいし。いずれ必ず、みんなふと気がつくだろう。あの頃はわからなかったけれど、そういえばいろんなことがあの『ワイアード』から始まったんだな、と。さようなら、そしてありがとう。
CUT 1998 インデックス YAMAGATA Hirooトップ