パーキンソンの法則 連載第?回

本誌の読者たる最高の知識人諸子必読――『パーキンソンの法則』と組織の病理。

(『CUT』 1998年4月発売号)

山形浩生



 本誌の読者たる最高の知識人諸子は、疑いもなく『パーキンソンの法則』(至誠堂)について熟知されていることであろう。熟知せざる諸賢は、残念ながら最高の知識人階級に所属されてはおらぬというだけのこと。さりとてこれが気に病むべきことだというわけでもない。人には器があり、属する階級というものがある。東洋の釈迦も、悟りはやみくもに伝えるべきものではなく、相手の器量を見定めた上でなければ害をなすことすらあると看過している(世に言う「知らぬが仏」とはこのことである)。パーキンソンの法則もまたしかりであり、この英知を過小なる器に敢えて盛ることは百害あって一利なしの愚行といわざるをえまい。盛る側にとっても、盛られる側にとっても。

 かように書いたところで、読者諸賢の旺盛なる好奇心はいやが上にも刺激されたことであろう。本書に盛り込まれた英知とは何であろうか。

 それは組織というものへの洞察である。余を含めあらゆる人間は孤高のうちに生きることを望んではいても、どこかの時点で税務署や企業やバニーガールクラブ等何らかの組織と関わりをもたざるを得ないことは、異論のないところであろう。本書はその組織の生態について、きわめて鋭い洞察を加えた書物である。

 組織への洞察と言っても、「チーム重視」だの「リーダーシップ」だの甘い惹き句で読者を慰撫籠絡せんとする凡百のビジネス書とは、本書はそもそもの出発点となる認識がまったく異なっている。本書は現実に立脚しているのであり、それは以下のごとき記述を見れば明らかである。曰く。

「学校の生徒や教師らにとっては、世界は物事がいちおう合理的に行われるところであろう。すなわち国民はおのおのの自由意志によって国会議員を選出し、その中のもっとも有能で聡明な人物が大臣になり、また民間にあっては株主が重役を選び、その重役は、社内の持ち場で頭角をあらわしたものたちにポストを割りふって行くというがごときである。(中略)しかし、多少とも世の荒波にもまれた人間たちにとって、かかる考え方はまさに笑止の限りである」(まえがきより)。

 むろんこれが笑止であることすら理解できぬ御仁はいくらもおいでだが、そのような人々は本書(および本稿)の相手にするところではない。そして本書の偉大なる所以は、かかる怜悧な現実認識に基づき、組織一般に適用されるべき法則を抽出しおおせたという一事につきる。

 一例を。本書の出だしの一文は「仕事は与えられた時間をすべて埋めるように拡大する」というものである(翻訳は若干ちがっているが)。この何気ない一文にこめられた洞察の意義は自明であろう。仕事「量」というのは一定ではなく、いかようにも変動するものであり、したがって業務効率化などというのがいかに空疎な世迷いごとであるかを、この一文は簡潔に示しているわけである。そしてこれに基づき、かれは組織成長について次のような法則をうちたてる。

 「役所(あるいは企業)が拡大するのは、業務量の増大(あるいは職員の怠惰)のためではない。むしろ、組織が拡大するがゆえに業務も増大するのである」

 すなわち組織が拡大すれば、組織内での調整作業が幾何級数的に増大する、ということである。かれらは怠けているのではない。必要不可欠な「仕事」のため、残業と休日出勤に心身をすり減らしたりしている。仕事はいくらでもつくりだせるのだから。そして「部下は多い方がいい」「ライバルは少ないほうがいい」という組織内力学により、組織は常に(年率 6% 前後で)拡大を続ける!

 組織そのものに関する分析もさることながら、その要素たる会議、パーティー、予算、建物などの検討においても、パーキンソンの分析はさえ渡る。「議題の一項目の審議に要する時間は、その項目についての支出額に反比例する」「立派な建物の完成は、その組織が瀕死であることを告げる」(新宿の某庁舎や関西の某駅舎などが即座に連想される。ところでロッキングオン社もずいぶん立派なビルに移転したが……)

 そして本書の大きな長所はそのパッケージングである。上述の組織論と似た内容は、マックス・ウェーバーの官僚論にもある(ただしパーティーや会議の分析はない)が、正気の読者であれば、ウェーバーの鹿爪らしい文章よりはパーキンソンの諧謔的なユーモアあふれる文体のほうに必ずや軍配を挙げるであろう。さらにこの文体は、ユーモアと真剣な洞察が両立することが理解できぬ愚かな堅物に対する効果的な目くらましとしても機能している。したがってもし読者諸賢が、万が一にも本書から得られるがごとき英知の恩恵に浴せるだけの地位ないし知性を持ち合わせぬにしても、せめてこのイギリス式嫌味全開の文体(そしてそれを見事なまでに再現した名訳。これを概して文才と明晰さに欠ける人文系の人間ではなく、物理学者に訳させた当時の至誠堂編集者の眼力にはまったくもって敬服させられる)から多少の笑いくらいは得られるはずで、それだけでも本書の定価 880 円(なんとお安い!)の価値は十分にある。

 そしてもちろんその洞察を理解しうる人々にとって、本書はまたその実用性や現実の政策示唆という面でも、きわめて有益であることはまちがいない。余が本書においてこよなく愛する章は、「第 8 章 劣嫉症――組織病理学」であり、組織が末期症状へと突入する様を精緻に分析した見事な論となっている。まずは「目標低下」そして「独善」、最後には「無頓着」へ――わが国においても、こうした症状にどっぷりと冒されきった組織は、ちょっと考えるだけで枚挙にいとまがない。かかる組織に対してパーキンソンが勧める療法とは以下の通り:

「一人のスタッフも、一つの設備も、一つの伝統もその場を動かしてはならない。厳格な隔離ののち完全な消毒を行うべきである。病気をうけた職員は、彼等が特に敵意をいだいていた競争相手の機関に引き取られるべきである。すべての設備および書類は、ちゅうちょなく破壊されなければならない。建物に関する最良の方法は、十分の保険をかけしかる後やきはらうことである。敷地が真っ黒な廃墟になったとき、はじめて我々は、病菌が完全に死に絶えたことを知って安堵しうるのである」

 心洗われるような一文ではないか。これほどまでに見事かつ実効性ある処方箋を、余は寡聞にして他に知らない。このためだけにでも、30 年前にはあらゆるインテリの常識だった名著『パーキンソンの法則』再評価の機運を高めなくてはならない(同時に続編『かねは入っただけ出る』も、財政再建の処方箋として速やかに復刊されなくてはならない)。本稿がそのきっかけの一端にでもなれば幸いであり、その結果として上記のごとき抜本的な療法が霞ヶ関周辺の相当数の組織に対して適用されるようなことになれば、余の喜びこれにしくはない。



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@mailhost.net)