Valid XHTML 1.1! Peddling Prosperity 連載第?回

罵倒と茶化しの効用/非効用 ――おまけにBeavis & Butthead讃。

(『CUT』1994 年 6 月)

山形浩生



 「山形さんはあっちこっちで無用な茶々ばかり入れるから」とその編集者は言うのだ。「だから敬遠されるんです! だから訳した本だって、あんまり書評してもらえないじゃないですか! それじゃあ本をつくるほうとしても……」

 うーん、そう言われると考えてしまうのだ。少し前なら、他人がどう思おうと知ったことかと突っ張ったろう。でも幸か不幸か、いまは「少し前」ではなかったりするし、自分のお気楽な発言のせいで、せっかく本を出してくれた人たちをがっかりさせるのもねえ。そうかなあ。そういう業界的なおつきあいも考慮しなきゃならないのかなあ。とはいえ、頭も悪けりゃセンスもない、流行り言葉とくだらん思いつきで聞いたふうな口をきくだけが能の連中(いや、もちろんあなたは別よ)がせっかく野放しになっているのに、見逃すのももったいないし……

 編集者さらに曰く「その茶化しがなまじあたっているだけに、みんななおさら頭にくるんですよ」。あたってるならいいじゃんかよぅ。バカをバカと言ってぬぁにが悪い! 長期的には正論が勝つ、はずではないか!(青いね)と内心は思いつつも、口先ではヘラヘラ笑ってその場をしのごうとするあたり、我ながら大人になったなあと思う。

 確かに長期的には正論が通るとはいえ「長期的にはわれわれみんな死んでしまう」のだ、と言ったのはケインズである、というのを知ったのは、最近同じく罵倒と茶化しで悪評高いポール・クルーグマン最新刊 Peddling Prosperity (繁栄の大安売りって感じな)でのことだった。

 クルーグマンは「世の中、行きがかりとか成り行きというも大事なのだ」という理論(いやホント)を唱えている経済学者で、その理論とは別の部分でもぼくはこの人の文章が好きだ。なんとなくぼくの文に似ているのだもの。特にその嫌味と茶化し方が。

「言い換えれば、サプライサイド経済の連中はイカレポンチである。

 それは別に、かれらが間違っていてわれわれが正しいから、ではない(もっとも、事実かれらは間違っていて、事実われわれは正しいのだけれど)。(中略)進化論を否定する天地創造論者や、地球が文字通り生きていると信じている『ガイア』一派も立派なイカレポンチである」

 真面目な文中に、いきなりふざけた罵倒語を持ち込む不意打ち。そしていったん蹴倒してから、引くと見せかけてさらに追い撃ちをかける後ろ回し蹴り的手口。ワタシも愛用してます。

「嫌味な言い方だが、学問の世界で熱心な支持者を得るのは、頭はよくても独創性のない若者に、賢さをひけらかす機会を与えてやれる理論なのだ。脱構築派の文学理論がそうだった。均衡ビジネスサイクル理論もしかり」

 いきなり無意味に脇道にそれる、通りすがりに平手打ち的手法。「ガイア」とか「脱構築派の文学理論」なんて出てくる必然性はまるでないのに、つい筆がすべるのがお茶目だ。頭はよくても独創性のない若者、ね。うっふっふ。

 そして、茶化しや嫌味の最大のポイントは、それがあくまで添え物だというところにある。クルーグマンだって、相手をけなすために茶化すのではない。自分と立場のちがう人でも、評価すべき人はページを割いてきっちり評価している。この本は、70-80年代のアメリカ経済学界の風潮と、それと関係ありそうで実はないアメリカ経済政策の変遷を、おもしろ可笑しく(だが真面目に)概説した、本当なら名著なのである。ガルブレイスは経済学の世界では相手にされていない(そうなのか!)とか、レーガン時代に流行ったサプライサイド経済はレストランのナプキン上で生まれ育った(そうなのか!)とか、EC通貨統合の失敗の解説や、英サッチャー政権が実はスカだった話や、異常にわかりやすいのは相変わらずのクルーグマン。万人必読。と、これだけですませられれば幸せだったのである。しかし。

 本書はこうしめくくられる。「よい考え方は、いまだにしょっちゅうお手軽なナンセンスに負けてしまう。その時、真面目な経済学者を最終的に支えるのは、正しい考えはいずれ受け入れられるという信念である。(中略)ないものねだりかもしれない。(中略)が、そうとでも信じてなきゃやってられないよ、まったく」(一部超訳TM

 そしてクルーグマンは最近になって、ついに「やってられない」状態に突入してしまったのだ。クリントン政権の経済顧問の座をローラ・タイソンに取られたのが原因だという。それでかれは、あっちこっちに論文の体裁を借りた罵倒文を発表しだした。余裕皆無の、ひきつったような悲痛な文ばかり。ターゲットは主にそのタイソンと、日本でも通俗ビジネス書で有名なレスター・サロー。コケにされたサローが訴訟に持ち込むのいう話もあって、本書はそういうキナくさい状況下で出た。で、あちこちで書評されたけれど、みんな罵倒の部分しか見てない。そんなレトリック以外に読むべき部分があるだろうに。

 クルーグマンはまめな人だから、いずれ正気にかえって事態を何とかするだろう。そう期待しよう。それまで本書はまっとうには評価されないだろうが、それにしても惜しいなあ、やっぱ世間って、そういう一番さまつなところしか見てくれないのだねえ。うーん、するとおれの場合も、みんな茶化した部分だけ見て喜んでるのかしら……

 ところで先号のビービス&バットヘッド紹介に追加。この二人組が無知蒙昧文盲の不潔きわまる輩どもなのは事実だけれど、音楽とビデオに関してだけは、異様なまでの水準の鑑識眼を有する点はお見逃しなく。量をこなすうちに達する境地が何事にもあって、日がな一日 MTV を観暮らす二人のセンスはすでに洗練と呼べる。白痴寸前のかれらの評価が、妙に自分の評価と同じで苦笑するのがこの番組の醍醐味である。うわっつらだけの商業へびめたや、イギリス/カレッジチャート系の軟弱音楽、なまじビデオに作品性を持たせようとした気取った代物は全部ダメ。ロックも、ビデオクリップも、ある種の切実さか余裕がなくては「Cool!」ではない。ミュージシャンがつまらん演技に自己陶酔していては最悪。音楽は大絶賛されるジューダス・プリーストでさえ、ビデオはボロクソにけなされてしまうのである。

 一番好きなのが、ミニストリーの Doomsday かなんかのビデオがかかるやつ。曲はスゲーしビデオは強烈だし、かかり始めからもう二人とも「Yes! Yes! Cool!」「Ministry kicks ass!」と喜ぶことしきり。で、途中でウィリアム・バロウズが登場すると、B&B 曰く「おお! ジジイまでクールじゃん!」ふふふ、わかってるじゃないの、ぼーや。やれアメリカの若者退行の象徴とか、PTA や女どもには評判悪いこの番組だけど、「ぼくは時代の感性を信じている」と言ったのは、あれは浅田彰だったっけね。

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