Valid XHTML 1.1! Lou Reed血みどろ臓物ハイスクール 連載第?回

文学ロックと非文学小説

(『CUT』1996 年 2 月)

山形浩生



 ルー・リード! その昔、「ワイルド・サイドを歩け」(だれだ、あれをヴァネッサ・パラディにカバーさせたバカは!)がラジオから何度目かに聞こえてきたとき、いきなりその歌詞の意味に気がついて笑いがとまらなくなってしまったのは、もう十年も前になる。「ヒッチハイクの道中で/まつげカールさせて/脚を剃ったら彼も女/ちょいと兄さん、遊んでかなぁい?」だもんな……

 最近はウォーホールの追悼コンサートだの、「マジック・アンド・ロス」なんていう高尚なアルバム(でも、最高だけどね)を出したりして、お高くとまってるルー・リードだけれど、基本的にこの人の原点は、こういう倒錯とか麻薬とか貧乏人とか犯罪とか、街のいかがわしい部分にある。幸か不幸か、おそらくは対象を愛しすぎるせいで、それがちっともいかがわしく聞こえないのだけれど。「こんばんわワルトハイムさん」みたいなストレートなプロテストだと、この人はいま一つおもしろくないし、昔のセックス・ピストルズやパブリック・エネミーみたいな噴出する怒りや不平不満ってのはない。淡々とその世界を描くだけ。あの、抑揚のないぼそぼそした歌い方も、それに拍車をかけている。そしてもう一つ、かれに文学的な才能がありすぎて、それが時に、対象へのストレートな取り組みを殺してしまっていることは見逃してはならない。

 詩集「ニューヨーク・ストーリー」は、結果としてかれの文学性を非常に強調する本になっている。これはプラスでもあり、マイナスでもある。たとえばかれの最高傑作の一つ「ベルリン」。街の生の声というよりも、ミュージカル的に構築された架空世界だ(もちろん現実のできごとは反映されているらしいけれど)。あのアルバムの持つどろどろした良さも、一方で時としてすごくカンにさわる、つくりものめいた自足性も、結局はその文学性から発している。「ニューヨーク」ではほとんど感じられない感覚だ。「『ベルリン』は『ニューヨーク』と同じことをやろうとした」とルー・リードはインタビューで言うけれど、結果は全然ちがう。ぼくにとって、この二枚はルー・リードの両極に位置するアルバムだ。一方に「ベルリン」の文学的脚色の世界。一方に「ニューヨーク」のジャーナリズムめいた素材への密着。どっちが絶対的にいいわけじゃない。「ベルリン」! いいアルバムだけど、でもちくしょう、ロックのくせに高尚だぞ! 気取ってんじゃねえ! やっぱ「ニューヨーク」! でも、「ベルリン」もいい! ぼくにとってのルー・リードは、そういう堂々巡りの逡巡の中にある。この両極の間で、他のすべての曲を舞台に素材と文学的な処理がせめぎあう。歌詞カードの対訳ではわかりにくい部分なので、ファンの皆様は、この本でそれを確かめてほしい。それに、なんと言ってもかっこいい本だ。あとがきにはぼくの名前まで登場する。すばらしい。

 同じくあとがきにはぼくの名前が登場する、すばらしい本がもう一冊。キャシー・アッカー「血みどろ臓物ハイスクール」! ワハハ、見よ、この発狂したタイトルを! 中身もすごいぞ! 一面にとびちる便所落書き! 四文字ことばオンパレード! 露骨でグチョクチョの風情のかけらもない洋ピンみたいなファック・シーンの連続! そこに無茶苦茶な論理で挿入される、難解哲学の大洪水! ついに上陸、二十世紀末のイジョー小説真打ちの一人の本邦初訳小説である。

 洋ピンみたいな、と書いたけれど、洋ピンと和ピンの差というのは(健全な高校生活を送った男の子ならご存じのように)、和ピンで重んじられる一定レベルの間や叙情性ってものが洋ピンではほとんど顧みられることがなくて、アクロバット的な技巧と超人的持久力だけが重視される、という点にあると思っていい。文学性というのは、ここで言う間や叙情性にあたる。

 ルー・リードの場合、その素材と文学的な処理のブレンドに価値がある。キャシー・アッカーは、そういうきれいな調和なんかいっさいなし。素材も文体もバラバラで、それが我も我もと飛び出してきては、こっちの耳元でボリューム全開でわめきたてる。ルー・リードにはありすぎる文学性が、この人には皆無なのだ。それがむきだしの小説世界をひきたてる結果となったのは幸いだった。ついでに、翻訳者にそういう無用な文学的なバイアスがなかったのも、日本人にとっての幸い事項である。

 そしてこの会話の鮮度! 翻訳屋なんてみんな、なまッチロイ本の虫ばっかだから、人がどういう口をきくかなんてホントは知りゃしねえんだ。だから翻訳書の会話の文体って三十年前とまるっきし変わっちゃいないんだけど、この渡部佐智恵ってねーちゃんはスゴイ。ホラ、街の女子高生の会話って聞いてると、お下品だし、昔ながらの女ことばなんて六割以下しか使ってないじゃん。この人は、それをそのままもいできて、紙にブチまける(時々やりすぎるけど)。この人の横に並ぶと、ぼくのお下劣な訳ですら時に色あせる。訳文のスピード感も並みじゃねーぞ! 最初に読んだときは、内容を頭が拒否するのと、訳のスピードとがあわさって、目が頭の追いつくひまもなく、ひたすらズラズラと紙の上をすべっていってしまう。頭は「ちょっとまった、こんな馬鹿な、見直してよ」とか言ってるのに、目は、まるで耳になったみたいに、わかろうとわかるまいと字を(絵を)追い続ける。そしてちょっと遅れて、脳がことばの意味を理解しはじめる。

 その時どう反応するかは、人それぞれだろう。アメリカにはこれをズリねたにする人もいるそうだけど、これは日本にはいないかな(ただし、ギーガーの画集で抜く少年もいるそうだから、こればっかりはわからない)。あとは、即座に拒絶反応を示すか、眉根にしわをよせて、マジに読んでしまうか、あるいは「ワイルドサイドを歩け」を聞いたぼくみたいに、ゲラゲラ笑いはじめるか。旧西ドイツでは、拒絶反応を示す人が多かったため、本書は(いまどき)発禁処分になってしまったんだよ。

 まあ、最近と みに人気を高めてる人だから、いずれInterviewにも登場すると思うね。ってことは、この CUT にも、ってことだ。それも写真入りで。この人のポートレートってのが、またものすごいんだけど、それはまた、その時のお楽しみってことで。では。



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