Valid XHTML 1.1! BLITZクロノログ 連載第?回

「BLITZ」廃刊とシド・ミード衝動買いの関係。

(『CUT』1992 年 2 月)

山形浩生



 「『BLITZ』がつぶれたぁ!?」

 山形の叫びは雲をつらぬき龍神をも目覚めさせ、生暖かい東京の空に雪を降らせたと言う。「『BLITZ』がつぶれただあ!? 例のロンドンご町内雑誌『i-D』なんか、まだ本国版がウダウダ続いているのみならず、日本版まで出ちまったってえのに。提携誌の『Interview』だって、未だ健在だし日本で提携雑誌(この「CUT」のことよ)が出てるってのに。『GORO』がつぶれたって昔懐かしいだけであんまり悲しくないし、『03』なんて自分が書いた時以外は見もしなかったけど、なんであの『BLITZ』がつぶれるわけ?」

 むろん出版元に問い合わせても、教えてくれやしない。昨年春の「スペクトラム」と「High Technology Business」と「Asia Technology」に続き、また一つタネ本を失った山形の嘆きは察するに余りある。

 このイギリスの「BLITZ」という雑誌、「CUT」に時事っぽい内容の記事をたくさん入れて、書評や映画評やテレビ評や音楽評やファッションのページを充実させ、おふざけっぽい特集(「酒特集」とか)を入れたもの、という感じだろうか。トレンドに目配せしつつも「おれは関係ないぜ」と見栄を張るスノッブ雑誌。とにかく、「雑誌なんか一行でも読める箇所があれば十分もとがとれる」と日頃から公言している山形ではあるが、平均読破率50%を維持していたコスト・パフォーマンスの高い雑誌群が、一年で8割がた壊滅したという顔のひきつる事態はそれなりにショックであり、そのダメ押しが今回の「BLITZ」廃刊に象徴されているわけだ。あわただしい師走の青山ブックセンターで「クズ、クズ、紙の無駄」とつぶやきながら雑誌の棚を端から端まで邪険な手つきで荒し回っていた男を見かけた人は、虫の居所の悪い山形という面白くもない見せ物を目にしたことになる。かれがこの時期、「資源の無駄がどうの」と頻繁に口にしていたのも、うなずけよう。

 人がエコロジストに成り果てるのは、こういうなんでもないことが原因なのかもしれない。こういう些末な日々の絶望が、人をして新興宗教に、あるいはドラッグに、あるいは飲酒や自殺やスキーやテニスやゴルフに走らせるのだろう。

 そういう悪徳に走るかわりに、かれは衝動買いといういじましい(または資本主義的な)手に出た。シド・ミード画集「クロノログ」(バンダイ)。定価金四萬五千円也。LDつきとは言え、画集とは言え、個人が買うには法外な値段だ。もっとも、そうでなければ衝動買いの対象にはならなかっただろうから、世の中なにが幸いするかわかったものではない。

 シド・ミードという人物、工業デザイナーというのが最も近いところだろうか。ただ、フロッグ社やポルシェ・デザイン、曲線を多用したデザインで有名なルイジ・コラーニや倉俣史郎のような意味での工業デザイナーとはちょっとちがう。こうしたデザイナーたちは、ある商品の機能やコンセプト、あるいは自分のこだわり(「直線は絶対に使わない」というコラーニ)の表現としてデザインを行うのだけれど、シド・ミードは、物体そのもののデザインより、それを通じて描かれる、ある未来世界の様相を表現しようとするのだ。

 かれを一躍有名にしたのは、「ブレードランナー」のレトロフィットされた未来のロサンゼルス像だった。思えばあれはシド・ミードの世界としてはかなり異質だ。たぶん「エイリアン」を見てショックを受けたんだろう。大半は、もっとツルリとした、テクノロジー万歳的な未来未来した世界だ。しかし、いずれにしても、きれいな方から汚い方まで、過去10年以上われわれの「未来」のイメージはシド・ミードに決定づけられている。大友克洋の「アキラ」も、一時期はやった誇大妄想的首都改造案や、あるいは最近ゼネコンが相次いで発表した超々高層ビル構想も、明らかにシド・ミードの影響下にある。

 実際につくってみると、絵ほどはよくないのがシド・ミードの世界で、サンリオ・ピューロランドの一部や、あるいはDr.ジーカンスでも、変にこけおどしっぽくなってしまう(チンケなソフトも大いに影響しているけれど)。ディスコ「トゥーリア」なんか、人死にまで出た。これはやむを得ない。かれの描く未来世界では意味と機能を持つはずの物体が、いま、この世界では、ただの貼りぼてだもの。「クロノログ」を見ると、かれの設計する物体は、一つ一つのこぶに至るまで理由があって存在している。一方で妄想に近いようなイメージを抱きつつ、それを視覚化するにあたって、徹底的に技術的な実現性の足枷をかけた結果としてかれの絵のリアリティは生まれているのだ。「現実は最大のインスピレーションの源泉だ」ということばは、シド・ミードの口から出ると異様な重みを持つ。

 かれの世界そのものは、好き嫌いが別れる。でも、その細部の一つ一つにこめられた世界観の表現は圧倒的な説得力を持つ。たとえば「整然とした市街地パターンは、巨大な中央集権を物語る」とシド・ミードはあっさり言うが、ちょっとした未来図を描くときに、それを成立させている行政体制まで想定する絵描きはまずいない。未来の東京の絵を描くために、かれは東京湾岸の開発プロジェクトを地図にプロットして、それをベースに絵を描き起こす。完成した絵を見て、それを読み取れる人間はおそらく一人もいないだろう。それでもシド・ミードはそれだけの手間をかける。「クロノログ」にはそのプロセスまで収録されていて、眩暈のような感動を与えてくれる。それが4万5千円と見合う感動かどうかは人それぞれだが、少なくとも山形にとっては出資分をはるかに上回る効用をもたらすはずだ。

  山形だって、たぶんバカではないから、帰りついてこのでかい箱をあければ、そのへんはきっと理解するだろう。そうすれば、多少は気も晴れよう。だが、いまはまだ「BLITZ」は廃刊で頭がいっぱいらしい。悪態をつきながら歩くかれの目に、涙が光ったと見えたのは、あるいは月のせいだろうか。空にかかる月は(ホントに月並だけれど)満月、であった。



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