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ヤプーの教え

(シティロード 1992 年 3 月号)
山形浩生


 「SPA!」という週刊誌で、休廃刊した雑誌の特集をしていた。あるデブが、休刊した「GORO」について、「そういう時代なんだねえ」と卑しいものわかりのよさを垂れ流していた。その人と別の文化人が、これまた最近つぶれた「03」という雑誌の陰口をたたいて喜んでいた。「あれはダメな雑誌だから当然のようにつぶれたんだ」「ボクらははじめっからあの雑誌のダメさ加減がわかっていたけど、やっぱりね」。なんともご慧眼だけれど、そういうことは相手がいるうちに言え。本当に古くてダメな雑誌なら、つぶれて当然じゃないか。そんなことをしたり顔であげつらう余剰の時間がよくあるもんだ。ダメじゃない雑誌がいくらでもつぶれているのに。

 「スコラ」は、当分つぶれる気配もない、とても有意義な雑誌で、新しい号がコンビニに並ぶとつい手にとってしまう。お目当てはセックス特集。この雑誌の楽しさは、セックスへの(皮肉抜きで)科学的なアプローチにある。ただのテクニック図解にとどまらず、ありったけの科学技術を導入して、その有効性を実証しようとするのだ。体位ごとに心拍数の変化を測定。発汗量の変化をセンサーで把握。脳波の乱れを調べる。サーモグラフで体温分布を可視化。なんというテクノロジーの無駄づかい! CT スキャンで、はまり具合を輪切りにして見せてくれる日も遠くはなかろう。こういう航行性的な興味をそのまま実行に移したようなノリがぼくはたまらなく好きだ。やっているうちに、当のセックスから興味は離れて観測結果のほうに関心が移るような、手段と目的がすりかわるフェティシズムの匂いが感じられるではないか。

 そのスコラが、『家畜人ヤプー』改訂版を出したというのは、妙に納得できる。『家畜人ヤプー』も、いつのまにか最初の思惑を離れ、手段が目的化して成立したような小説だからだ。正編刊行後数十年を経て出た「完結編」のあとがきに、そこらへんの事情がサラリとふれられている。

 『家畜人ヤプー』というのは、日本人青年と婚約者のドイツ娘が 2,000 年後の地球にでかける話だ。出かけた先は、ユートピアの名にふさわしい完全な身分社会。はくじんだけが人権を持ち、その下に半人権を持つ黒人、そしてそのさらに下に、知性猿類と定義された日本人のなれの果て、ヤプーたちが、ありとあらゆる肉体/精神改造をほどこされて、家具や便器や機械部品として生きている。効果的な条件づけにより、ヤプーはそうした生き方を歓びとしか感じない。ヤプー道におとしめられた日本人青年は、かつての恋人の所有物として好き放題の扱いを受け、悔し涙にくれる。でも、人はあらゆる環境に慣れることができる動物である。元来主体というものを持ち合わせないヤプーであればなおのこと。かれはしだいにその境遇に幸福を感じるようになる。

 話はこれだけ。あとは延々と、ヤプーたちの活躍ぶりが思いつくままに語られる。あるときは椅子、あるときは便器、あるときは生体素子、あるときは電動コケシ/フグならぬ生体コケシ/フグ。改造プロセスを含めたその描写は、解剖学的な細部にまで及び、それにともなう日本語や日本神話、天皇制を含めた制度までが変形され、主体を持たない人間以下の存在としての日本人のありかたが強調される。

 作者の沼正三は、終戦直後にイギリス女とつきあっていて、相手の差別意識でひどい目にあったそうだ、それで「ちくしょう、そんならあいつの望み通りの世界を作ってやる」というのでできたのが、この「家畜人ヤプー」だという。が、ふられた恨みの寿命なんて半年がいいところ。それを 10 年以上ももたせて 500 ページもの大著にしたてあげ、さらに 30 年かけて 600 ページもの続編を書いてしまうのは、怨恨で始めた世界構築の作業が、いつしかそれ自体で楽しくなってしまったためだろう。だがそれがこれほど長期間持続するとは。正編と続編を通して読むと、数十年も間があいているのに、対象にのめりこむフェチっぽい文体がまるで変わっていない! なんという集中力! なんという執念! 本書が日本の SF 業界と無縁のところで書かれたのは幸運だった。これほどの潜在的危険をはらんだ文書は、安全であるしか能のない日本の SF 界では黙殺されたろうから。作者が無用な SF の知識を持っていなかったのも幸運だったと思う。

 「サブカルチャー最終戦争」とか言って、相手もいないのに戦争をはじめようと気勢をあげている人がいる。でも、こういう本気でわけのわからないところに入り込んだ代物の前ではなんのパワーも感じられない。戦争はいいけど、結局あなたは何がしたいの? 沼正三は半世紀近くもかけて、やりたいことを黙ってやりおおせた。一時期、ゲリラ戦法だけが有効じゃないかと思えたこともあったけれど、継続は今でもやっぱり力なり、なのだ。人を本当に勇気づけてくれるのは(食欲も一割ほど減退させるけど)、こういう本なのである。

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