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City Road : Other Writing


山形浩生



1990.06

60 年代サヴァイバーの貫禄を聴け! マリアンヌ・フェイスフル初来日

 今回の来日公演は、たぶん踊れるとか、ノリがいいとかいうコンサートには決してなるまい。ベースやドラムスの振動をからだで感じて、カタルシスをおぼえることもないだろう。1 時間半だか 2 時間だかの間、じっと立ちっぱなしか座りっぱなしで、マリアンヌ姐さんの歌をひたすら静かに耳で聴く、そんなコンサートになるはずだ。

 その雰囲気の一端は、来日記念のライヴ盤『ブレイジング・アウェイ』でもうかがえる。だが、この静かなアルバムを聴いて、非常にお行儀のいい客を相手に、マリアンヌ・フェイスフルが気楽にうたっているのだな、と思ってはいけない。おそらく実態はまったく違う。たぶん会場には、異様に張りつめた緊張感がみなぎっていたはず。そしてマリアンヌ・フェイスフルは、そんな緊張感などどこ吹く風でひたすら淡々と歌い、観客のほうは完全に貫禄負けで押し黙るしかなかった、そんな感じだったに決まってる。

 このライヴ盤収録の 4 ヶ月後の、NY ボトムラインでのコンサートが、まさにそうだった。3 月 24 日はジム・キャロルとの二本立てで、ぼくはそっちが目当て。マリアンヌ・フェイスフルはついでで聴いたようなものだ。マリアンヌ・フェイスフルなんて、たまにラジオでかかるのと、デレク・ジャーマンの撮ったプロモ・ビデオを観たことがあるくらいだったし。

 ステージに現れたマリアンヌ・フェイスフルは完全なおばさんだった。顔だけでなく、からだの線がたるんで中年太りになっているのも、服の上からはっきりわかる。「ここでやるのも久しぶりねえ」と笑ってみせて、ああ、こりゃ大懐メロ大会みたいなものになるのかな、と思ったとき、彼女が会場の笑いを制して歌い出した。曲は覚えていない。だが歌声が流れた瞬間、空気が一変して客が居ずまいをいっせいに正した。

 一言で、格の差。こちらはおよそ二,三百人。マリアンヌ・フェイスフルは、その全員の視線と張りつめた意識を完全に掌握しつつ、それを軽くあしらいながら悠然と歌った。客が一人だろうと一万人だろうと、まるで意に介すまいと思わせる貫禄。ギターとベース一本ずつのシンプルなバックで、あのしゃがれ声が会場を圧倒した。誰一人、身動きすらせず(寿司詰めで、する余地がなかったせいもあるけど)、何一つ聞き逃すまいと食らいつくようにステージを凝視していた。1 曲終わるごとに、あちこちから「ホウッ」と我にかえったようにため息がもれ、それから猛然と拍手が起こる。そのたびに、この大姐御はにっこり微笑んで、ちょっと芝居がかったお辞儀をしてみせるのだった。

 だから今度の来日も、ロック・コンサートというおり、いまが頂点の大歌手の歌を拝聴する、下僕の楽しみみたいなライヴになる、でも、構うもんか。あの驚異の貫禄を再び聴くためなら、下僕にでもなんにでもなってやる。

 では、会場でお目にかかろう。


1992.06

『ウォー・フィーバー(戦争熱)』(J・G・バラード)書評

 エイズ、病院、セックス、宇宙旅行、巨大宗教、車、産業廃棄物、戦争、メディア産業、昭和天皇の下血報道。ロナルド・レーガン、マーガレット・サッチャー。バラードの風景は既視感に満ちている。電車の中の週刊誌釣り広告に登場する記号を集めて、輪郭をマジックインキでグリグリと強調し、無人の巨大埋め立て地にぶちまけたような、見慣れた、しかし異様に歪んだ風景。高度な技術があって初めて可能になった、どこまでも人工的な風景なのに、人間を必要としていない。経験や感傷のまったく伴わない風景。

 既存の小説や工学は、こうした風景を「非人間的」と非難するか、そこに生えた草に過度に想い入れてエコロジスト的な感慨にふけるか、あるいはファシスト建築のように別のスケールを導入して秩序化を行った。でも、バラードはそういう逃げをうたなかった。何もなかった頃の幕張に出現した幕張メッセを見たときの不思議な高揚感や、車で高速に入った直後の感覚を捕らえたのは、未だにバラードのみだ。あとはギブスン/スターリングがかろうじてかすったくらい。

 この感覚を極端に深掘りしてセックスにまで到達してしまったのが、つい最近になってやっと翻訳の出た『クラッシュ』であり、こうれは暴力的な傑作である。本書『ウォー・フィーバー』は、短編集なので『クラッシュ』の深さはないものの、対象テーマの広さがそれを補っている。すでに世界はあまねくバラード化しているのだ。感情に乏しい淡々とした世界描写は、ほとんど神話に近い印象さえある。

 翻訳は、せいぜいが下の上といった程度の代物だけれど、小説としての本質的な部分は比較的よく保存されている。福本直美が言ったように、バラードや三島由紀夫のような悪文は、細やかな文体上のニュアンスに左右される部分が少ないために翻訳者を選ばず、確実に国境を越える。翻訳がよければ翻訳者がえらいのであり、翻訳が悪ければバラードがえらいのだ。それでもタイトル作「戦争熱」の末尾がいきなりヒューマニストになる誤訳は疎ましい。あのラストは、戦争熱を世界に広める決意を固めた主人公のせりふなんだから、「とことんやると人類絶滅だぜ」とやるのが正しい。他にもあるが、こんなチェックを無料でやるほどの暇も善意もない。ただ、こうした費用対効果の低さには留意されるよう読者のみなさまには警告しておく。この文を差し引いても、決して損な買い物ではない。


1992.06

B級ホラーの王道映画 「ヘルハザード」レビュー

 おどろおどろしいオープニングの音楽に、チープなタイトル。変な霊気じみた光をバックに、ちょっと古めかしいタイトル文字がせりあがってきて、音楽の盛り上がりとともにそれが赤く変わる、という非常に安上がりな代物。オープニングは雷雨の夜の精神病院。カメラがゆっくりと門をくぐり、その不気味にライトアップされた古めかしい建築に接近する。

 うーん、いかにも低予算。いかにも B 級定石! というわけで、この映画が不必要に凝らない正当ホラーなのはこの時点でほぼ明らかになる。この期待は最後まで裏切られない。何の衒いもない B 級ホラーの王道映画、それがこの『ヘルハザード』だ。

 一時の SFX 勝負が頭打ちになってきた今、ホラーの醍醐味は、どれだけ思わせぶりな伏線を視覚/聴覚的にたくさん張れるか(どんなに張っても張りすぎということはないのを『ツインピークス』が証明してくれた)、そして怪現象に対する疑似科学的な説明をどれだけ違和感なく出すか、という昔ながらの脚本の力にかかっているのだけれど、『ヘルハザード』はこの点で非常によくできている。魔法やオカルト科学によって登場した怪現象は、原爆や化学兵器など現代科学技術の産物によって解決されてはならず、ちゃんとその魔法やオカルト科学の枠内で解決されなくてはならない(その解決法も、事前に何らかの形で示しておくこと)とか、女はいざというときに足手まといにならなくてはならないとか、最後にはそのすべてが灰燼と帰して、あとに痕跡を残してはならない(ただし続編をつくる予定の場合は別)など、ホラーのルールは、ほぼ完全に遵守されている。

 原作ラヴクラフト! これもホラーの王道だ。原作が三流のくだらないものであるほど、映画化したときにおもしろくなりやすいというのは、かなり普遍的な法則であり、その意味でラヴクラフトのこけおどし小説は、いい映画となる可能性が非常に高い。この映画の場合もしかり、である。

 また、映画作法としても、SFX は暗いところで小出しにするように、といった基礎ができているのはうれしい。大きな声じゃいえないけれど、クローネンバーグなんか、ここらへんが全然できていないもんで、最近のなんとかいう映画がスゲーことになってるからね。夜、雨、丘の上の一軒家、地下室、懐中電灯、ランプ。ホラー映画に必要な小道具は、低予算の中ですべてそろえてある。ここぞという時にはしっかりおどろ音楽がかかり、場を盛り上げてくれる。上映時間も 95 分できれいにおさめてある。観ていて非常に危なげない。

 とりあえずの不満は、こいつが健全すぎるということで、まともな濡れ場の一つもないし、せっかく美人の人妻依頼人を出してきたのに、そっち方面の展開が一切なにのにはがっかり。だいたいこの奥さん(ジェーン・シベット)、どう見ても貞淑な妻には見えない。裏でなにやら企んでいそうな、腹に一物あるような様子で出てくるのだ。「アメリカでは一部カットした修正版が出回っているけれど、日本では完全版が公開される」と聴いて変な期待をしてしまったのだけれど、考えてみればホラーでは、あまり濡れ場で緊張感を削いだりはしないのが定石ではあるな。その意味で、これも基本に忠実なだけであるということで、評価すべきなのかもしれない。

 もう一つ不満があるとすれば、これがあまりにまっとうに定石通りに作られすぎているということかな。予想外の驚きというのは、この映画ではまずあり得ない。先が完全に読める、ということでは決してないけれど、決して過大な期待を抱いてはいけない。それでも『夢の涯てまでも』や『ポンヌフの恋人』みたいに、期待の重圧に押しつぶされたあげくに放り出されたみたいな映画を続けて観た後には、こういう職業意識に忠実な、堅実な映画を観るとホッとするのだ。予算もはずさず納期も厳守。無用な野心を抱いてつまらない小細工に走ることもない。映画史上空前絶後の傑作と騒がれることもないけれど、払った金に見合うだけのサスペンスと満足感はあたえてくれる。そして、おそらくはカルトとなることもなく、消費されて忘れられていく。だが、健全な映画とはそういうものであるべきだ、とぼくは思っている。

 ついでに言えば、この意味不明の邦題もこの種の映画の定石で、ぼくは好きだね。

City Road インデックス YAMAGATA Hiroo J-Index


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