山形浩生せんせい 「宙返り」

作者である山形さんの「ぼくのは著作権とか無視して好きにしてくれて結構でーす」のお言葉に甘えて、わらし Tytek のログ失礼掲示板わらしから、まとめ読み用に転載し整形してみました。


元の掲示板のログを指すリンクは次の通り:

[ (前編) | 2 回目 | 3 回目 | ついしん | 宙返り 3.3 | その 3.3 | 美とはなにか | その4.1 | | つなぎ | 連載再開 ]


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失礼小説のリンク集 [ フレームなし | フレームあり ]

宙返り(前編)

読んでないので断言はできないんですけど、噂をきく限りでは時代錯誤なほどにさわやかな びるどぅんぐす・ろうまんである点が優れているらしいです。なんかこんな話で、とても感動的だそうな。


あらすじ

さいしょは逆上がりもけんすいも できなかった少年、健三郎。だが、きびしい田崎せんせいの理論的指導と仲間たちの励ましをうけて、 斜けんすいから逆上がり、大車輪、とんぼがえりを経て人間としても大きく成長。 「そうか、ぼくもやればできるんだ!」

だが、ある日突然、沖縄アクターズスクールから送り込まれてきたメスサル軍団たちによって、平和な学園生活は一夜にして崩壊。結果じゃない、物事の本質を見る力なのよ、という田崎せんせいの教えに 対し、牧野新理事長は、「計算して結果が出ればよいのだ! 下手なメスザル数うちゃアムロ!」 とばかり、全校生徒に無謀なダンス技を強い、脱落者は雑益と機材運びのタコ部屋送りにする という恐るべきスパルタ体制を敷く!

「あ、あなたはそれでも教育者ですか!そんなことで生徒はどうなりますか!」

「うはははは、怒ったあなたもお美しい、田崎先生。しかし甘い。時代はもう変わっておるのだ。あんたのような考えでは、論文も できませんぞ。わたしのやりかたなら、何をやっても仕事になるのだ!進歩に犠牲はつきものではないか!それにあんたの生徒とやらは、ほれ、あの大車輪がやっとの健三郎くんか。 それにひきかえ、こちらは新必殺技太陽系スピンをマスターした者が続々と! もはやバックストリート・ボーイズもオール・セインツもTLCも敵ではないわ!  ゆくゆくは世界制覇も! 結果がすべてじゃ!」

「く……それではわたしも結果で勝負よ! 来月のDDRコンクール文京区決勝に、わたしは健三郎くんを優勝させてみせます!」

「ふん、おもしろい。受けてたとうぞ。だが負けたらあんたはわしの囲い女となるのじゃぁぁぁぁっ」

それから田崎せんせいと健三郎くんの特訓がはじまった。「そんなことではダメよ! あなたは理想 気体かなんかのつもりなの! ファン・デル・ワールスを忘れてどうする!」「せんせい、ぼくはもうイヤだ!そんなのシミュレーション すればすぐじゃないか」
「バカッ!」(ピシッ)
健三郎くんの頬にとぶ田崎先生の愛の平手打ち。「まわりをごらんなさい。あなたの同級生たちは、現実をわすれてコンピュータばかりいじるゾンビになりつつ あるのよ!かれらを救えるのはあなただけ。あなたは忘れたの、あの逆あがりが初めてできたときの感動を!それをこんどは、あなたがみんなに伝えるのよ!」 田崎先生の頬をつたう涙。はっと胸をつかれる健三郎くん。

「そ、そうだった。ぼくはあの気持ちを忘れていたんだ……」

それから狂ったように練習にはげむ健三郎くん。そしていよいよ DDR コンクールの日がやってきた……

(ここまでで、単行本 50 巻くらいです。健三郎くんたちは、アルファマシンを大量に使ったクラスタリング処理を誇る、牧野理事長のリアルタイム・ビジュアリゼーションに守勢を強い られますが、そのときアルファマシンが一台ハング! その隙をついて、秘密の特訓を続けてきたクラウジウウス・ステップで反撃。当然優勝。学園には再び平 和が……しかし平穏は長くは続かない。 70巻以降、健三郎くんと田崎先生は、仲間たちとチームを組んで恐怖のカルスタ小魔王率いるパラダイム軍団との一大決戦だ!これに負ければ、科学研究予算 が削られてしまうのだ!  外人コーチアランと田崎せんせいが、健三郎くんに授けた秘策とは! 刮目して次号を待て!!!)

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宙返り その 2

でも、健三郎くんはだんだん、近くの喫茶ロックウェイブにたむろする、京都の朝田や 知ったかぶりの唐谷など、ポストモダンかぶれの 悪い仲間とつきあうようになって、バント「まぁきゅりーず」を組んだりしてぐれてしまいます。そして物語は一挙に、暗く苦い ものとなるらしいです。喫茶ロックウェイブのマスターは、実は以前追われて 復讐の機会をねらう、牧野理事長の世を忍ぶ狩りの姿なのでした。目をさませ、健三郎! 衝撃の次号を待て!

あと、なんか150巻を過ぎたあたりで、恐怖の牛魔王が登場して 失礼小説化するという噂もききました。いろんなシリーズがあとのほうで一本化するのは、 サイフィクト的角川・徳間商法の定石ですねー。

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宙返り その 3

> 外人コーチ アランはどうなったのでショッカー

いやあ、だからぼくは読んでないので知らないんですけれどお、カルスタ軍団を倒したあたりでやおい小説にも なるようで、いろいろと展開があるみたいです。

で、カルスタ軍団ザ・パラダイムズの一人はベイト村出身の グレたゴリくんで、必殺技ダブルバインド攻撃で敵の動きを封じる間に本を書き上げてしまったりするすごい やつ。これに対してアランの教えた返し技が、東洋の神秘タートルバインド。縛られるもの・縛るものの 二律背反をアウフヘーベンして、縛り=バインド自体にも表現を持たせた起死回生の大業だぁ!

「ぐぐぐ、そのような手があったとは!うぬれぇぇぇっ!」(ザ・パラダイムズは、東洋の神秘にはとても 弱いのだ!)

こうしてまたも恐ろしい敵が倒された。見つめ合うアランと健三郎くんの間には、もはや師弟関係の枠を 超えた強い絆が……

しかし読者のみなさん。ここに残る一つの謎。アランはいったいどこで、あの東洋の秘術タートルバインドを 学んだのであろうか? しかもちゃんと二本どりで。そう、実はアランは田崎せんせいとぐちょぐちょの 愛欲生活を繰り広げ、夜な夜なタートルバインドはおろか各種縛り技の実習に精を出していたのである。 そしてあの悪夢のような運命の一夜、健三郎くんは偶然その光景を目撃してしまった。

(ここから話はがぜん、団鬼六風に展開するので、ここでは詳述できないのを遺憾とするところですが)

「フフフフフ、ついにミーたちの秘密を知ってしまいましたねー、ケン。でもおそれることはないのデース。 さあユーもミーたちとジョインして、メイクラブしようではないかー(はあと)」
「うぐうぐうぐ」(しばられて猿ぐつわをされているので何を言ってるかわかりにくいが、恥辱に涙を 流しつつかぶりをふる田崎せんせい)
「そ、そんな!どうしてこんなきたならしいこと!みんなみんなぼくをだまして!大人なんか、もうだれも 信用するもんか」
「ラブはすべて美しいのデース、きたならしいなんて、Oh no! 田崎せんせいだってそう思うだろう」 (とさるぐつわをはずす)
「ああああ、こんな恥ずかしい姿、健三郎くんだけには見られたくなかったわ」
「せんせいはそんなことでいいの? XXをXXXXXXされたうえにXXXにXXXXなものまでつっこまれて、 さらにXXXXXXXにXXXX処理を受けながらひいひいいって喜んで、しかもそれを何度もなんども! そしてそのたびに(かなりこの後検閲)」
「見事な観察力だわ。ちゃんと野帳に記録しておいたのね……でも科学では追試は必要なこと なのよ。結果に再現性がなければ、実験も信用できないのよ!そうでしょう」
「イエース、さあケンもいっしょに、エクスペーリメントを続けてみまショッカー」
「うううう、あ、ダメ(涙)XXXXXXなんて、健三郎くんの見てる前でなんて!  ああ健三郎くん、せんせいはこんな恥ずかしい女なのよ……許してうぐうぐうぐ」(またさるぐつわ)
呆然とする健三郎くんの腕をアランがつかむ。
「いやだぁぁぁぁ!」健三郎くん、それをふりほどいて逃げる。
だが、さっき見てしまった忌まわしい光景は、いつまでもいつまでも健三郎くんを悩ませ続けるのだった。

泣き疲れて(それとほかのことでも疲れて)寝入り、ふと目をさました翌朝。 健三郎くんのつくえの上には、田崎せんせいからの手紙と書きかけの熱力学の教科書が置かれていた。

「ごめんなさいね。せんせいはしばらく旅に出ます。しばらく一人で考えてみたいの。でも、健三郎くんの ために、この熱力学の教科書を置いていきます。こんど会うときには、この教科書も書きあがっている ことでしょう。でも、いまのままでも健三郎くんの力にはなるはずよ」
呆然とする健三郎くんの背後に、いつの間にかアランが立っている。
「イエース、彼女はいってしまったよ……」

(つづく)


ついしん

ちなみにこのときの衝撃が、『万延元年のフットボール』における「きゅうりを肛門につっこんで頭を 紫色に塗って自殺した友だち」という健三郎くんのオブセッションにつながっているんだそうです。

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宙返り 3.3

「美とはけいれん的なものであるか、さもなければ存在しない」

 ふと頭に浮かんだそのせりふがだれのものだか考える間もあればこそ、健三郎は聖橋から身を躍らせて神田川に飛び込んだ。落ちながらのかれの思考は:

 「いったいおれはここで手足をばたつかせるべきだろうか?」

 ということだった。テレビや映画のスタントでは、落ちながら人がしばしば手足をばたばたさせる。しかしソウルの宗教団体本部への警察突入劇で、ク レーン車から落下した警官たちは、人形のようにそのままてれーんと落ちていったのだった。そういえばバンジージャンプでも、手足を動かしている余裕などな い。手足のほうに意識をまわす余裕がないのだ。リアリズムからいえば、ここでは手足をばたつかせるべきではないのだけれど、しかしながら、手足を動かした ほうが、本物の人間です、という感じがするし、読者には、観客には、リアリズムの幻想を与えることができる。幻想のリアリズムか。現実のリアリズムか。

「しかしばたついたほうがけいれん的ではないか!」

 そう考える一方で、

「た、田崎せんせいの教えてくれた科学的ダンスは、そのようなごまかしを許しはしないぞ!」

 という思いも脳をよぎる。同時に、最後に観たあの田崎先生の姿が脳裏に浮かび、思わず股間に血液が集中するのが感じられてしまう。「いけない、考えるんじゃない、なにか別のことを!」

 そう思って目をふと横に向けると、ちょっと向こうのほうにふわふわと、黒ぶちのホルスタインが浮遊しているのが目に入った。

 「な、なんだあれは。LSDのフラッシュバックか……」

 人は転落死するとき、すべてはスローモーションになるという。今回も、落下する健三郎の周囲では時間が止まったも同然だった。あたりを見回すと、まだ中央線のホームの屋根にすら到達していない。レモン画翆の窓から、だれかがこちらを見て驚愕の表情を示している。

 もう一回見てみると、ホルスタインはまだそこに浮かんでいる。どころか、増殖していた。

「こ、これが噂にきく牛魔王ウィルスか!」

 健三郎は戦慄した。牛魔王ウィルス。噂にはきいていたが、よもやこのような形でやってこようとは。ところで美がけいれん的であるなら、戦慄も また美的であるとはいえないだろうか。もちろん言えない。

 牛魔王ウィルス。それははじめは、ごく無邪気なホラー論争として始まったという。しかしながらそれが、滅びゆくSFジャンルの生き残りへの意志を 結びついたとき、その恐怖のウィルスが解き放たれたのである。そして各地の掲示板には、ある日突然に以下のような書き込みが忽然と現れた。

 「この書き込みにレスをつけたものは、一週間後のこの時間に死ぬ運命にある。死にたくなければ藻則$2#oo\e★」

 メッセージの最後は文字化けを起こしていた。人々は、最初は悪い冗談だと思って、気軽にレスをつけていたという。しかし、かれらは即座に後悔する こととなる。牛魔王ウィルスは恐るべき繁殖力を示し、掲示板を完全に覆い尽くしては死に至らしめるのであった。通常のさまざまなワクチンも、まったく無力 であった。

 「あの最後の部分はなんだ!いったいどうすればこのウィルスを!」黒木博士の必死の解読にもかかわらず、あの最後の部分のデータは復旧できなかった。また、アクセス経路もつきとめられなかった。事態を憂慮した黒木博士は、次々に研究所を設立し、その対策を検討。

 虚栄心を満たすべく、ウィルス自体を宿主化させようという臣下研究所は、短命に終わった。ウィルスは宿主なしでは生き延びられないらしい。あとだ ま研究所では、特効薬の開発が日々進められ、古文書からの類似記録が次々と発掘されては分析にかけられていたが、やがてこの研究所は脳を冒された避難民の たまり場となってしまったために堕落し、いまや腐臭を放っていた。一方、あとだま研究所から追放されたはずの異端の学徒らが、失礼研究センターでかなり効 果的な手法を編み出しつつあった。体系的な撃退方法ではなかったが、ウィルスを積極的にネタにすることで共存を謀る手法は各界の注目を集めており、継続的 な試みとしは最長のものとなっていた。

 また、ほかの掲示板に転移させることで延命が計れると考えた者たちもいた。が、かれらもそのまちがいを思い知らされることになった。もはや人類に打つ手はないのか……

「これが初期症状なのだろうか。無邪気にふと、意識空間に進入してくる信号として」

 牛魔王ウィルス史をはんすう(し、しまった、自ら牛魔王化しているぞ!)するうちに、健三郎はすでに中央線の線路より下にきて、そろそろ丸の内線の屋根まできているのだった。

「しかしおかしいな。牛魔王なら、そろそろ(いや即座に)何か言っているはずだ。さらにあの増殖ぶりは、うわさに聞くよりもだいぶ遅い。さっきから一向に増える気配がないぞ」

 そう思ったとき、健三郎はふと気がついた。あっちは秋葉原だ……

「そうだ、ちがうぞ、あれはゲイトウェイのアドバルーンだ!」

 そう気がついて、とたんに気が抜けた。牛魔王との対決は、まだ先のようだ。と同時に、時間の進行が復旧した。健三郎の身体は、一瞬のうちに神田川 の水面に激しく叩きつけられた。駿台予備校の山本義隆の物理教科書を抱えた女の子が、すぐその速度を計算してこう語りかけた。「あれじゃ助からないわね、 自分。ウチの AIBO ならなんとかなるかもしれないけど、まだ届いてないの」

  1. ここで問題です。聖橋から神田川水面までの落差は、およそ四〇メートルほどあります。水面をうったときの健三郎くんの速度を求めなさい。また、か れが跳んでから水面に到達するまでに要した時間を計算しなさい。空気抵抗は無視すること。必要に応じて、適切な仮定をおくこと。(10点)
  2. 上記の女の子の仮説を評価しなさい。健三郎が助からないという見解は正当でしょうか?100字以内で論じること。(10点)

健三郎はすぐに答えようとした。が、無駄だった。水面を打ったその瞬間、かれはジョウントした。


おれの名前は健三郎
そして地球がおれの国
無限の宇宙に住みなれて
わが赴くは星の群

――(アルフレッド、悪いね。)


「ここはどこだ……」

 気がつくと、まわりには一面の荒野が広がっていた。ところどころに、建物の痕らしきがれきが見える。全身が痛む。

「こ、こんなところは見たこともないぞ。まさかおれは、あのガリー・フォイルにしかできなかったブルー・ジョウントを……」

 そう思ったとき、声がした。

「気がついたか」

 痛む首筋をまわすと、ぼやけた視界に暑苦しいレザーファッションの男が入ってきた。えらく筋骨たくましい長身の男だ。が、その面影に、どこかなつかしいものを感じ、健三郎は必死で目をこらした。

「おまえはだれだ……」

「おれの名はケンシロウ。おまえは何者だ?どこからきた?いやまて。あた!」

 いきなりかれは、指でこちらの胸をえぐった。同時に全身の痛みが引いた。

「無双絡の秘孔をついた。少しは楽になったはずだ」

 ケン……シロウ?記憶の底に、なにやら引っかかるものがあった。それにこの面影。だが思い出せない。

「お、おれは……それより水をくれないか」

 ケンシロウと名乗る男は、だまって不細工な器を差し出した。と、その指に光る指輪が健三郎の目にとびこんできた。

「そ、その指輪、どこで手に入れた?」

 その指輪の紋章は、まぎれもなくオーエ家の者のみに与えられるあの徴ではないか!

「物心ついた頃から持っているが……きさま、何かしってい……」

 それをさえぎって健三郎は叫んだ。思い出した。が、まさか。

「ケ、ケンシロウ! だがそんなばかな、ケンシロウは生まれてすぐに死んだはずだ!」

(つづく)

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美とはなにか

健三郎くん、美とはなにかを激しく追求しているとついつい時のたつのを忘れています。ぼくが読んでいるわけ ではないので、噂がきこえてくるまでいましばらくお待ちを。

しかし牛の相手は重苦しそうでいやだなあ。アメリカのモンタナにはこういう冗談があります。

農夫A 「いやなに、おれはあのヒツジを柵の向こう側に移そうとして押していただけなんだよ」
農夫B 「……わざわざズボンおろして?」

これをここ風にアレンジすると:

農夫A 「いやなに、おれはあの牛魔王を向こうの掲示板に移そうとして押していただけなんだよ」
農夫B 「……わざわざズボンおろして?」

うーむ、アダルト。意味不明ですが。

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宙返り その 4.1: ああ、文学と科学のわからぬ者どもは呪われるがよいのだ。

 ああ健三郎くん、きみは不幸な子であることだよ。きみはあるものしか見えないのか。見えるものしか理解できないのか。人は、見えないものでも実験 や観察を通じて概念化してきたのではなかったか。江沢洋も言っている。「だれが原子を見たか?」見えなくったって、人は、牛には、信じる力があるんだ。理 解する力があるんだ。きみはそれがわからないのか。よろしい。ぼくが一つお話をしてあげよう。


 その国の女王様は、とってもファッションコンシャスだったんだ、という話は知っているだろう。そしてそこへ仕立屋たちが やってきて、最新ファッションを提供しようという。そしてその日、女王さまがその新しい服を披露するパレードをすることになっていた。主人公の女の子も、 その群衆の中にいたんだよ。

 さて行列がお城から出てきたよ。むこうのほうでは、ため息と歓声と拍手があがっている。

「まあなんと大胆なカッティング」
「素材のよさを充分にいかした、独自の風格が」
「やはり今年の流行のパステルカラーが取り入れられて」
「あの胸元のスリットが女王様の放漫なバストを強調してこたえられませんな」
「最近いまいちのアナ・スイなんか目じゃないわね。シビラを思わせる、あの素朴さとシンプルさと風格が兼ね備わった雰囲気が」

 女の子はどきどきわくわくしながら待っていた。ざわめきと歓声が、だんだん近づいてくる。そしてさんざん待ったあげくに、やっと女王さまの行列が見えた。女の子は目をこらした。

 ところが。女王様は何も着ていないじゃないか。下着だけ。スリップもない。ガードルとブラだけ、それも放漫なはずの女王様なのに、あれはトレーニングブラ。ぺったんこだ。それなのに、みんな賞賛のことばばかり投げかけて、女王様は得意満面だ。

 女の子は思った。ああ、このお話は知っている。女王さまは、仕立屋たちにだまされているんだ。服なんかないのに。ここの人たちも、まわりに調子をあわせているだけなんだ。勇気がないからいえないだけなんだ。

 そこで彼女は、思いっきり息を吸い込むと、大声で叫んだ。

「女王さまは貧乳だ。バストなんかない」

 あたりは一瞬で、しんと静まりかえった。女王様が、女の子をキッとにらみつける。

 「おまえなの? いま言ったのはおまえ?」

女の子はこわかったけれど、自分の勇気がちょっと得意だった。だから胸(Cカップ)を張って答えた。

 「はいそうです」

 女王様はツカツカと近づいてきて、その女の子の真ん前にたって、じっと彼女の顔を見つめた。と、その目に、大粒の涙が浮かんできた。

「おまえ、本当にそう思うの?かわいそうに」

 女の子は、え?と思った。どういうこと?

「かわいそうに。おまえ、あるものしか見えないのね」

女王さまの目から涙がポロポロと地面に転がり落ちた。次々に。やがて二人の足下に、大きな涙の水たまりが広がった。

――佐英さん、ごめんね


 ふーん、と健三郎くんは言った。よいお話ですね。あなたのおっしゃりたいことはわかりました。 つまり、ない乳を見る力、それこそが文学の営為である、と。あなたはこうおっしゃりたいわけですね。 そして女王さまというのは、やはりSM的なメタファーとして共時的に解釈すべきなのでしょうね。

 何を言ってるんだ、ばか者めが、と男は言った。人の話は最後まできけとお父さんに怒られなかったのか、スカタンめが。まったくこれだから生まれ育ちの卑しいガキはいやだよ。たいへんなのはその後だったんだ。


 いやね、その場はそれでおさまったんだけれど、もちろんその後、それがレポートになって、全国の掲示板の壁新聞に出たんだよ(ここは後進国で、新聞やテレビやインターネットが普及していなかったんだ)。そうしたら、くだらない投書が殺到したんだよ。

「貧乳ということばに不快感を覚えました。謝罪してください」
「そういう目でわたしたちを見ていたとは、怒りをおぼえます」
「わたしは『シビラ』と言ったのではなく、『91年頃の全盛期のシビラ』と言ったのです、わたしの発言として不正確なものが出回ることは大問題です、取り下げてください」

 それがあまりにうっとうしかったので、そのレポートは取り下げられて、二度と日の目を見ることはなかったんだよ。そして女王様のファッションも、このすばらしい話も、女の子の愛と勇気の物語も、だれにも知られぬまま葬り去られてしまったんだ。


 ふーん、と健三郎くんは言った。ただし、こんどはじゅうぶんに時間を置いて、話が終わったと確信してから。それではまるでバカではないですか。その投書をした人たちはなにさまですか。いったいなにを考えているのですか。

 男はこたえた。クモに人生論を問うたことはあるかね。

 は?と健三郎。

そりゃ愚問(グモん)、という駄洒落だがね。

 ふーん、と健三郎くんは言った。あなたのおっしゃりたいことはわかりました。つまり、検閲やことば狩りに負けることなく踊り続けろ、とそういうことですね。

「ちがーう!」男は舌打ちをすると、顔をそむけて、首を横にふりながら花咲く野原を横切って向こう のほうに行ってしまった。「まったく、なんでもかんでも教訓話だと思いやがって、これだからロックウェイブの息がかかったヤツってのはブツブツ」。でもそ のステップにジャミロクワイ踊りが取り入れられているのを、めざとい健三郎くんが見逃すはずもなかったのだけれど。

 この一件は、しばらく健三郎くんの脳裏にひっかかってはいた。でも、やがて踊りと戦いの日々の中で、すっかり忘れられてしまった。

 男が本当は何を伝えようとしていたのか、健三郎くんが悟るのは、ずっとずっと先の話。でも、それはまた別の物語だ。

(つづく)

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宙返り(つなぎの回)

そのとき健三郎君の目に、ロッキングオンの最新号が目に入ったのだった。なにげなく手にとって、 ページをめくるかれの目に、あの衝撃のナイン・インチ・ネイルズのコンサート評がとびこんできた。

その日のステージには、トレント・レズナーという一人の孤独な表現者の魂のさけびが充満していた。 だがかれがアンコール前に放った「thank you」という一言に、ぼくはその絶叫の下に秘められた傷 つきやすい一人の純粋な人間としての深い悲しみとすべてを肯定する強さの発露をまざまざと感じて ならなかったのだ。

健三郎くんは、顔を赤らめた。別に自分が書いたわけじゃないのに、赤面してしまってしょうがなかった。

その日の午後、プライマル・スクリーム来日公演のチケットを買いにいくと、店員は伝票を数える手も止めずに 冷淡に「とっくにSold outです」と告げて、顔をあげようともしないのだった。めずらしく雪が夜空を舞っていた。 すべてが陰気な灰色に覆われていた。ものの数時間ほどではあったけれど。

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