山形浩生
『ソフトマシーン』を訳したのはもう20年も昔になるのか。大学の院生部屋のPC98で、一太郎とMifesであれこれいじくっていたのは、もうつい昨日のことのように思える。今回、文庫化にあたっては大幅に訳文に手を入れ……と思ったが、実際にチェックしてみると大幅にまちがっているところはまるでなく、細かい些末な訂正にとどまった。昔のぼくたちが訳者として実に早熟で優秀だったのか、それともその後あまり成長してないってことなのか、判断は読者のみなさんにお任せする。
昔のあとがきも、そのまま残した。確かにこちらは多少のまちがいはある。たとえば冒頭の経済学的な議論では、需要の高さよりも供給面について考慮するべきであったろう。認めたくはないものだな、若さ故の過ちというものを。しかし、決定的なものではないし、その後特に目新しい展開があったわけでもないので、特に加筆すべきこともないのだ。
いや、一つだけ追加しておこう。前の解説にも書いたとおり、『ソフトマシーン』の原著には、3つの版がある(浪速書房版は、まあ冗談ですので)。前の執筆時には、第二版と第三版は手元にあったものの、最初のオリンピアプレス版は入手できていなかった。それが数年前に手に入ったのである。
二版と三版は、章の切り方がちがうとか、多少加筆や削除があるとはいえ、全体の流れはだいたいいっしょだ。冒頭も、終わり方も同じとなっている。ところが、オリンピア版は、これとはまったくちがう。書き出しも、そして最後の一文はさておき、その手前あたりのところはまったくちがう。冒頭部分は、本書の15章「バイオレンスのゴング」の書き出しと同じで、でもそれが数段落でまた別のものとなる。そして全体の章分けはもっと細かくて、全体が「ユニット1:赤」「ユニット2:緑」「ユニット3:青」4:白」に別れている。まあその後の版よりも構造的だ、と言ってもいいかもしれない。それに伴って、中身も大幅にシャッフルされているし、おそらくは並び替えだけでなく、加筆された部分や削除した部分も結構あるのはまちがいない。
なぜこんな大幅な改稿が行われたのかははっきりしない。オリンピアプレスからバロウズは、『裸のランチ』『ソフトマシーン』『ノヴァ急報』『爆発した切符』『ジャンキー』を出している。『ジャンキー』だけはすでにエースブックスで出ていたものをオリンピアが再刊したものだけれど、残りはオリジナルだ。そしていずれも、後に他のところから出すときにそこそこの加筆は行われている。たとえば『爆発した切符』では、冒頭の一章が丸ごと追加されているし、またその他の部分もあちこち加筆が見られる。オリンピアの判型で刊行しやすいようにかなりの刈り込みが行われていたようだから、その復元という意味での加筆なら十分理解できる。また『裸のランチ』に関しての異同は、昔の訳本と「完全版」とついたもの以降の新しい訳本とを比較すればわかるのだけれど、そんなに大きなものではなく、原型をとどめた改訂となっている。しかしながらこの『ソフトマシーン』だけはすさまじい改訂が行われているし、タイトルが同じだけでまったく別の小説としか言えない代物となっている。なぜそうなのか、どんな必然性があったのかはよくわからない。オリンピア版の芸術的完成度が低かったから……という可能性はなくはないけれど、まあこの小説ですからねえ。たぶん真相としては、『ソフトマシーン』を出そうと言うことで普通の改訂作業をしているうちに、飽きて全然別のものを創って遊んでいたら締め切りがきて、あわてて手元にあったものをそのまま渡した、というところではないか、と思う。が、これは山形の憶測でしかない。
また蛇足ながら、浪速書房版について。その後、同じシリーズでミッキー・ダイクス著『裸のランチ』なる一冊を入手した。これは著者紹介にはバロウズの経歴が使われているが、実際の小説の中身はバタイユ『眼球譚』である。どうもこのシリーズ、タイトルと著者と実際の中身とを適当に入れ替えて出していたようだ。とすると、おそらくこの『柔らかい機械』の中身も、実際にこんな小説があるのだろう。ご存じの方はご教示いただければ幸いである。
本書は(まともな翻訳で)日本の読者に提供された、バロウズの初の本格的カットアップ作品だった。それが比較的好評をもって迎えられたのは、訳者(二人とも)としては望外の喜びではあった。最初に本書文庫化の話をいただいたときには、なんと無謀なことをと思ったが、版元のペヨトル工房が解散して、入手困難な時期が続いていることでもあるし、それに久しぶりに読み返してみると(自画自賛ながら)すごくかっこいいねえ。あれから二〇年たった今、この文庫版が新しい世代の読者にどう受け止められるのか、とても楽しみなところではある。
二〇〇四年四月
品川にて
山形浩生
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