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『新教養主義宣言』反響ページ

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というわけで、初の単独著書が出た。装丁は地味でシャープさはないけど、色は目立つ。オレンジ色の憎いヤツって感じ。いい気になって反響ページをつくる。あちこちのWebページで見つけた各種のご意見をまとめるのである。いろんな人を怒らせるべく書いている部分も多いので、なにが出てくるか楽しみ。でも松隆子(と香港では表記する。でも最近はもう鳴かず飛ばずだねえ)ファンや藤原紀香ファンや猪口家は、はやまったことをしてはいけません。タレコミ随時歓迎。(1999.12.09)

 罵倒的反響があまりこないな。とりあえずの予想。たぶん、最初の頃は比較的好意的な反応が多いと思うんだ。山形ってだれかを知っている人が買うだろうし、あと流し読みすると、いろいろ目先が変わって面白い文なのはまちがいないだろうから。でもそのうち(たぶん二ヶ月くらいしたら)悪口がだんだん増えてくるはずなのだ。細かいところで、ちょっとごまかしたり、ウソついたりしてる部分に気がつく人が出てきて、まじめな人は怒り出したりするはず。それに、そのうちぼくが何を言っているのかさっぱりわからない、バカなおっさんおばはんどもが必ず出てきて、人権を否定してるとか、そういう表面的なところで難癖つけたりするだろう。鼻持ちならないエリート主義、とかいって。「おもしろいといわれたけど、ぜんぜんダメだった、あんなのどこがいいの?」というのもその頃に出てくるはず。ぼくが罵倒している人たちも、たぶん2000年早々に聞きつけて、どっかに反論なり怒りなりを書いて、それが発表されるのがこの頃だ。これが一ヶ月くらい続く。そのあとはいろいろ入り交じって、最終的にどこに落ち着くかだけど、たぶんそれはぼくが次の本をどう出すかにもかなり左右されるはず。さあどうなりますやら。もちろんそんなことになる前に、話題にもならずに消え去る、というオプションもあるんだけど……(1999.12.13)

賞賛的反響

1. 実力をつけようと決意。
記念すべき第一号の感想は、懐かしの Milk Soft 関係者だぁ! しかもラファティマニア。まあ感覚があうのもむべなるかな。正しい決意もしていただいたようで、言うことなし。

2. いろいろ考える。
(↑ 山形お得意の微妙に歪曲した引用)。文中にも登場する森山和道Scientific Americanの売れ行きをはじめとしていろいろ考えていただいています。あれって、25 万部も売れてるのか! そういえばアメリカで親知らずを抜いたときに、麻酔がきくまでの間、『日経サイエンス』を見てたら、戻ってきた歯医者さんが「おお、それは日本版か」といって、親知らずをぬきながら数号前の人工歯根かなんかの記事についてずっとしゃべっていたなぁ(それがどーした)。ところで個人的な印象だけれど、日本でも昔、『科学朝日』が赤かった頃(ル・コルビュジェみたい)はもうちといまより状況がよかったような気がするんだけれど、どう思います? それと科学雑誌に限っていえば、Newtonが出たり、Omni日本版が出たりした頃にちょっと盛り上がりじみたものがあった一方で、なんかあれが変な色気を出して凋落へとつながる第一歩だったような気がする。あれはなんなんだろう。と、ぼくもいろいろ考える。

3. ちょっと刺激される/わかりやすいやっちゃ。
北海道の宮台ファンすぎむらあやこ。12/12の記述。ヤク漬けゾンビ期とカラオケ狂い期と超シャープな時期が交代でやってくるらしき、変な子。でもシャープなときにはさえまくるので、あなどりがたし。刺激されていただいて光栄。
 さらに12/30日に、呉智英とか橋本治とか、わかりやすい影響のされ方をするやっちゃ、とのコメント。そうなのよねー。結構すなおなの、あたし。でもその次の橋本治から宮台へ、という流れは、言われてみるとなるほどという感じ。

4. 頑張ろ。
「裏日本工業新聞」という、日本海側の工業ニュース関連新聞主筆タニグチリウイチのとってもためになるWeb新聞にて。12/13づけ。頑張れ。

5. 今、僕には何が足りないのか
山田晴久の「絢爛たる読書」のページにて。うわっ、長い。本上まなみよりも高い点がついているではないか。完全に鵜呑みにしていただいているようで、うれしいけど不安。ぼくはマジだけど、でも実はそんなにまじめには書いていないんですぅ。ところでスプリング8ってなんだっけ。Springなら読んでるけど(<--大ばか者)。

6. 夜露死苦はやめろ。
その他、とっても注文が多いです。プロローグは無駄が多い、とか。ふん、うっさいわねえ、最初のやつは長いから、寄り道たくさんつくってすかすかにしとかないと、息継ぎができなくてふつうは読んでる人の頭が飽和しちゃうのよ! ちゃーんとそこまで計算してあんの! なーんてことはない。プロジェクト杉田玄白の常連yomoyomoページ。

7. おもちゃばこをひっくり返したみたい。
漢(おとこ)増田。うーむ、あなたならこの本にみなぎる、鼻持ちならないエリート主義と女性蔑視をするどくえぐりだしてくださると信じておりましたものを! その悪意に満ちたサブリミナル的中傷と、明るく見えて実は無限下降をつづける、時代を覆う陰惨なるニヒリズムをあばいてくださると信じておりましたものを! なーんちて。「届くかどうか」? 届かせるのです(なるべく)! えぐりこむようにうつべし、なのです(できれば)! いまのan・anで竹農地豊(あ、なんかすてきな誤変換)は言っておりますぞ:「頭で考えるから、難しくなる。男の気持ちは、心で感じ取るものなんだ」と。それがどーした--> おれ。

8. ただ装幀は……
 中身的には共感していただいてます。表紙デザインは、そうだよねー。Lipstic Tracesとか、いろいろ連想される本はある。でもこの上平崇仁の「Topology」サイトはかっこいいなあ。ぼくが描く図面はいつも、太い黒い線でガチィッと輪郭つくって(2.0mmのロットリングに烏口愛用、コーナーは0.1mmでとがらせるのだ)ぬりつぶしで黒いマッスを作って、その量感で組み立てるものばかりで(考えてみれば文章もそうだなあ)、こういう細い線と点描グラデーションを置いてくような図や絵って、かなりあこがれていたのだ。

9. 黄金のリンゴの生らんことを。
 うーむ、リンゴに例えたか。でもぼくはゴールデンデリシャスはあんまり好きじゃなくて、紅玉のほうが好きだな。ゴールデンデリシャスは、ベタベタするでしょう。それにしても、こうしていろんなほめ言葉を見ていると、みんなぼくが書いているときよりも遙かに深読みしてくれるので、うれしいというか不安というか。実際に書いているときには、昨日観た瞳リョウの話をどこで入れると効果的か、とか、ふられた話をどう入れると嫌みが効くか、とかそういうことばっか考えてるんだよね。でもありがたいことです。ときに本郷の赤門は元気だろうか。三四郎池は相変わらず汚らしいであろうか。いまじゃあの増井が法学部で先生ヅラしているそうだが、日本は大丈夫であろうか。よろしく伝えてくれたまえよ。
 ところで個人的には脇英世の本は、橋本喜代太の感じた通り、浅はかだと思う。「マイクロソフトからはもう新しい技術革新は生まれないだろう」とか(そんなわけないではないの)、Linux 対 Windows とかブラウザ戦争みたいな対立構図ばかり盛り上げようとするところとか。白紙で読めば見所もあるんだろうけれど、ぼくや橋本喜代太は、あそこに書いてあるような話はすでに知ってるから浅はかに見えるし、ネタはおさえてもポイントをついていないもどかしさがあるんだ。
 あと自己弁護になるけど、Linux がらみでボランティア組織の研究とか最近はやってて、「こうしたボランティア的なパワーを他の分野で利用するには」とか「ボランティアの自主性に頼った Linux は将来性がない」とか言う岡目ゼロ目のバカヒョーロンカがたくさん湧いてきて、ぼくはそういうのの相手で結構うんざりしてるんだ。てめーらなんかに利用されたかねーや。将来性があるかないか、あんたみたいな外野に四の五の言われたかねーや、すごいと思うんならテメーもなんか協力しろよ、という話。まあそれをああいう形で口走るのは、戦略的にはまずかったかもね。でもそういう背景の発言なのだ。

10.宮台読んでるやつより好感が持てる
世代的なコメント。ねらいはわかるんだけれど、ぼく個人に関していえばちょっとちがう。岩谷宏ってぜんぜん知らなかったし(当時はロッキングオンって、素人の感想文雑誌だと思ってたのだ。サウンドストリートは聴いてた)、いまもあのGUI批判とかはあまり評価してない。別冊宝島もぜんぜん。「モノンクル」とかで、岸田秀とか現代思想っぽいが入ってるのと、あとSF方面ね。さらにトラ技とI/Oとアスキーとマイコンとラジオの製作と初歩のラジオ。でもまあ、個別より全体としてみればここにある通りだろうなあ。

11.高校生の頃に読みたかった。
森太郎ってあちこちの SF 系のサイトで名前をよく見かけるような気がするので結構この業界の名士のはず。で高校生の頃に読みたかった、ととても肯定的。うん、そうだろう。ぼくも読みたかった。たぶん岸田秀といっしょにバイブルだったろうなぁ。しかし大学生になると男はとたんにひねくれるからダメなんだよねー。この本読んでむずかしいこと言いたがる大学生ってなんか目に浮かぶ。だけど一方で、大学生になっても素直なままの男って、ただのバカでしょ。どっちにしてもなんか救いがない。あれはなぜかしら。女の子は、比較的すなおなままに育って、変なセクトやセツルにはまってフェミニズムに染まったりしない限りそんなにひねない印象があるんだけど。
 なんでもこの人はじつはプチ山形なのだそうだ。森がプチ山形であるなら、逆に山形は大きな森だといえるわけで、つまり山形 = 大森、というおそるべき等式がなりたち、さらにプチ山形の命名者が大森望だということで見事に円環が閉じる! さらに山形が大森近辺在住者だというのも、一層の深読みを許す恐るべき関係性の網の目であるといえよう。
 ……等々、その後の日記みたいなところで、このエントリーに対するコメントが出ているらしいが、いい気になられては困るので見ていないのだ。永瀬唯情報とかも、知らないのである。

12.改題が多いぞ。
武井伸光はプロジェクト杉田玄白の偉大なtypoチェッカー。いずれ殿堂を作ってかれの業績を顕彰するのじゃ。で、いろいろ改題の効果などについて分析。うーん。初出の多くは、書評だと隣に本の写真とか入って、山形の文である以前に書評なんだよね。今回は山形の文ってことで、そういうアプローチの差が出て改題になっているのだ。でも、改題したのは編集さんなのだ。

13.半生の文。
 晶文社の担当編集者、安藤聡による紹介。もともとカルトっぽい物書きだったのがグローバルな物書きに、というのは二割くらいではないかと思う。ぼくの書いてること、考えてることはぜんぜん変わってないのだ。たとえばLinuxなんて、ぜったいにこんなことになるなんて思ってなかったもん。周辺のことをやってたら、いつの間にかそれに光があたってきちゃったって感じ。建築は昔からやってたし、経済の話だって、ちょっと前ならそもそもぼくなんかの出る幕はなかったはず。ぼくが変わったよりは、世間が変わった面のほうが大きいと思うんだ。
 あと、文の質を上げることに関心はないわけじゃないのだ。でも、そのあげかたなんだよね。ぼくは文章とか論理とか、なんか三次元の物体として見えるんだけれど、ふつうの文章が「質を上げる」というとき、それはなるべくツルツルにみがいて、揚げ足をとられたりつっこみを入れられたりする部分をなくすってことなのだ。それはそれでいいんだけれど、一方でそれは読み手にとっての手がかりを消すことでもある。ぼくは手がかりや足がかりをふやして、ひっかかりをふやしたほうが読者にはつかみやすいと思うのだ。まあこれは、安藤さんの言ってることを言い換えただけだけど。

14.熱烈なる山形浩生信者。
 2000/1/27。ぎょえー、「知性体ストーカー」成宮観音。しかし信者なら、ぼくは Church of the Subgenius というオウムより悪質なカルトの正式な司祭さまなので、自動的にこの教会入り。お布施を 40 USドル払いなさい。ぼく司祭だからお布施徴収権や免罪符販売権、処女の生け贄の味見権など、聖人としての権利は一通り持っているのだ。
 ところでサイゾーのパーティーで「山形さんはまわりにばーっと女の子を何人もはべらせて」というのは本当か。だとしたらそれは、意識がかなり途切れている間のことにちがいない。残念。意識があるうちの話し相手はだいたいムサめの男ばっかだったし、あと意識が途切れてからも高城剛を捕まえて「株主に対する責任はどーするんだ!」とか「毎朝冷や汗だろう!」とか叫んでいたそうな。あと「緊張して近寄れず」というのは鉄板ウソ。ろくに名前も知らなかったくせにぃ。紹介されたときに「あなたと同じく『サイゾー』に連載してる」と言ったら「え、そうなんですか、どれですかぁ?」とぬかしくさったのだ、こやつは。それをまあいけしゃあしゃあと、なかなか見あげたツラの皮(笑)。免罪符三枚は買わないと地獄行きですぞ。

Splunge 的反響

S1. 山形は昔からパク人のプロテクターのような奴だ
 12/29 の記述。すでに 10 年前に初の山形インタビューを敢行、以来、山形評論家としては右に出るやつはいないであろう柳下(しかし右に出てどうする)。なるほどなるほど。勉強になります。ううむ、でも蓮実については昔から現代思想の連中が、えくりちゅーるの快楽とか、その手のこといっぱい言ってて、いまさらそんなこと書きたくないじゃーん。答が先に見えてて、ほかの可能性をあまり考えないってのは事実。だてに昔から腐れ縁してないね。でも一方で、ほかの可能性は全部まちがってると思う。というか可能性ってのは実は存在しなくて、ウソで、ただの希望的妄想で、あるものだけがあって、おれの見たこと、やったこと、思ったことだけがホントだとも思う。デビッド・ドイチュは反対するだろうけど(いま Fabric 本を読んでるのだ)。なお問題の書評の一部は、かなり好評な部分でもあるので柳下案は却下じゃ。田中麗奈と同じで、泥臭いあかぬけない部分がよいこともある(最近あの子、それをわすれてケバいだけだもんなー)。

S2. 著者はひどく正直で生真面目な方
 。なんかよくわからないですが、ほめてるようなほめてないような、でも楽しんではもらえたようで。ただまあ「如何にもシンク・タンクのコンサルにーちゃんみたいなモノを崇め奉っている」とおっしゃいますが、ぼくはホントにシンクタンクのコンサルにーちゃんなので、これはしょうがないのですわ。職業病というやつ、でしょうか。


罵倒的反響

B1. スコーピオンズだろうが、このバーカ。
 ううう、栄えある罵倒第一号は、まったく予想もしない方向から。うっひゃあ、確認せずに記憶で書いたから。 スコーピオンズもブラックサバスも、ぼくより一回り上の世代のアレだから、うろ おぼえなんですよねー。どっちも実は一つも曲を知らない(あのペドファイルの幼女ヌードのアルバムはどっちだっけ?)しかしこれはかなり手痛い。ご迷惑をおかけしましたスコーピオンズさまご一党とブラックサバスさまご一党にはおわび申し上げます。さてどうやってとりつくろおうか。(増刷のときにそしらぬ顔で直しちゃおう、と書いたら次の日に三刷りが決まったので、まちがいがわかるように訂正を入れる。)

B2. 本城小百合だ、うすらぼけ。
 

「『新教養主義宣言』たいへん楽しく読ませていただきましたが、40ページ、『瞳リョウや本条小百合の大股開き〜』とありますが、人間バイアグラでチェリーボンバーズな AV 女優でしたら本城小百合だと思います。」

 ううう、おっしゃるとおりでございます。やっぱり年齢相応に白石ひとみか岡崎美女にしておけばよかったかも(でも書いた数日前にお世話になったもんで)。ご迷惑をおかけしました本城小百合さまにはおわび申し上げます。なお、指摘してくださった方は、本人の名誉のため、敢えて名は秘すのである(が、メールアドレスは公開しちゃうのだ! なーんてウソウソ)。しかし次々に教養の馬脚があらわれていくのであった……

B3. 「松任谷由美」は「松任谷由実」です。
 な、なんか続々出てきます。すいません。この手の軟弱モノは、ふだん聴きつけてないもんでして。ご指摘はメディアワークス穂原氏。

B4. 反体制のふりした体制派坊や。(日経WinPC 2000年3月号 pp208-209)
 で、初の批判は永瀬唯なんだけど、批判じゃないなあ、これは。ただの学歴コンプレックスむきだしの人格攻撃だなぁ。あの本を読めば、ぼくが通常の意味での「反体制」じゃないくらいすぐにわかりそうなもんだ。だいたいいまどきピアスくらいで反体制だと思ってるの? 髪はそめてないんですけど。他人の細かいまちがいあげつらうなら、そのくらい調べればいいのに。
 中身は、この Hack の話とそれに対する批判と、オルタカルチャーの話を焼き直しただけで、本とは何の関係もなし。前者は「MIT ではね」というしたり顔の自慢なんだって。そりゃ MIT 卒は誇りだし自慢だけど、あの話にかんする限り MIT とは何の関係もない、と書いてあるでしょうに。レヴィーが同じこと書いてる? レヴィーって興味ないから読んでない。ただ別々の人が同じようなことを書くってことは、永瀬唯のこだわる細部はさておき、あそこのぼくの議論は基本的に正しいってことだ(ちなみに考えてみれば、レヴィーは MIT で取材してるんだもん、ソースが同じだから話は当然同じになるわな)。あと「うちまちがい」って、別に編集者のせいにしてるわけじゃないよ。ぼく自身が原稿を(エディタで)うつときにまちがえた、と言っているのよ、まったくぅ。つまらんねじまげをしなさんな。
 あと Linux は BSD の派生じゃないぞ。独立した実装だ。Unix の歴史だって、かなり長期の商用 Unix の時代があるし「基本的にヴォランティア」なんて言えない。山形のまちがいは「PDF や GNU の輝かしい歴史をおとしめるもの」だそうだけれど、PDFってなに? Acrobat 形式のことじゃないだろうし、だれか教えて。
 さらに Unix は Multics への批判から生まれた、という後半の山形罵倒の論拠だけど、前にも書いた通り、Ken Thompson が Unix 開発に着手したのは、一部批判はあれ基本的にはその Multics 環境が好きで再現したかったからだよ。「オープンソース・ソフトウェア」(オライリー)p.45 をごらん。「Multics での作業環境に愛着を感じていたトンプソンは」自分で OS を開発してったってさ(信用できない倉骨訳だけど、山形訳ともまあ同じ)。ひたすら Multics がダメだから Unix が作られ、さらに名前の Unix まで皮肉だ、という永瀬唯の書き方こそゆがんだ見方でしょ。
 そもそも歴史なんて、いまの行動への影響という点でしか意義を持たない。ぼくはいま、ドキュメント翻訳もするし、お金で10万単位で寄付もしてるし、文書も書くし、ML で質問にも答えるし、プロジェクト杉田玄白もたちあげたし、歴史理解はどうあれ具体的にいま貢献してる。歴史にこだわる永瀬さん、あなたは?
 この永瀬唯は、SF文化史家、とでも言おうかな。『疾走のメトロポリス』とか、『欲望の未来』とか、『肉体のヌートピア』(青弓社)、とかとってもおもしろい本を書いている。これは必読。偏執狂的なところとアジっぽい文が魅力だけれど、ただそれが人に向かうと政治的な駆け引きがなくて、げんなりする。『漢字問題と文字コード』(太田出版)の永瀬パートは、この長所と欠点のごった煮。以前は大森望が目の敵で、「いっしょに大森を倒そう」とかいう電話をうちにかけてきたこともある。それが小谷/巽裁判を機に、ぼくを攻撃しだした。ちなみに大森望が攻撃されていた頃って、巽孝之が大森望に冗談のネタにされたのをXXみたいに怒っていろいろ政治的なたちまわりをしてた頃じゃなかったかな? で、こんどはぼくが巽家に訴えられると……ふーむ。なんか共通点があるような気がするなあ。なんだろうなぁ。よく考えてみよう。
 で、本は読んでくれたんだろうか。

B5. 山形の民主主義批判はぬるい。
 や、やっと出てきてくれました、まともなつっこみ。2/15 21:49の書き込みだ。でもうーん、そうなるかな。ちょっと省略が多くて理屈がいまいちのみこめない。ちょいと考えてみなければ。甘いところがあるのは確かなんだ。でも「民主主義から逃げる権利」となると?? そうなるかなぁ。つっこみの主は稲葉振一郎。この手の話では相当に信頼がおける人物。


Splunge:作品の評価ポジションとして、いいかもしれないけれど、ダメなところもあるかもしれず、でも態度保留でもないという様子。アレ。ナニ。用例:"Hiroo's new book is really splunge." "Yeah, really splunge for me, too." (「こんどの山形の本はなかなかアレだねえ」「うん、やっぱほんとにアレっすよね」)出典:空飛ぶモンティパイソン。

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