あとがき:A Book with an Attitude



 この本に収録してある文章で、いちばん古いのは「死の迷路」あとがきだな。最新のものは、プロローグの文章だ。死の迷路のあとがきは十年前に書いたけれど、なんかいまと書きっぷりがほとんど変わっていない。ということはまったく成長してないってことか。でも、この十年で特に文が古びたとも思わない。あのとき書いたことはいまもって有効だと思うし、文章としてもあまり価値は下がっていないと思う。どう考えても半減はしていない。事例としては少ないけれど、これをもって、たぶんこの本には二十年以上の耐用年数があるはずだと推定できる。仮にそれを三十年としたとき、残存価値を10%として年間の減価償却費を計算しなさい。定額法を採用するものとする。

 というわけで、本書は過去10年強くらいにわたってぼくが書き殴ってきた雑文を適当に集めたものだ。集めた基準となると、実はよくわからない。強いて言うなら、比較的めちゃくちゃなことを言っているやつを集めた、という感じだろうか。あるいはまあ、いろいろ手を出してきた分野を一通りカバーしてみました、という感じかな。しかしまあ、あれやこれやと、まったく腰の落ち着かないやつであることだよ。テーマとしてここに入っていないのは、フリーソフト系の話と、建築っぽい話と、旅行系のやつと、あとは不動産や財務がらみの本格的な分析くらいだろう。「くらい」って、結構あるな。テーマが雑多なので、文章も雑多だ。よく言えば、幅が広い。悪くいえば、まとまりがなくてどれも中途半端でいい加減。どっちもそのとおりではあるけれど、まあ一つくらいはどんな人でもおもしろがってもらえるものがあるんじゃないだろうか。

 いつだってそうだけれど、それぞれの文章はかなり真剣には書いている(ふざけているようには見えても)。ただし、書いてあることがすべて本当というわけではない。真っ赤なウソやデタラメ、誇張や歪曲も多数含まれている。宇宙人に連行される話とか、この世は輝きに満ちているとか、世界経済を陰であやつる長老五人集の話とか、男女は平等だとか、曾じいさんがサマルカンド帝国の復興を企んでいた、とかね。なるべく、ヒントを書き添えておくようにはしているけれど、必ずしもわかりやすくはないかもしれない。だからここからの孫引きは避けたほうがいい。大恥かくよ。特に大学のレポート方面! 話をおもしろくするための極論もある。レトリックもある。だから本書の中身をどこまで真に受けるかはあなた次第。でも気に入らないからといってすぐに訴えたりしてはいけないよ。

 文のうちかなりのものには、ケツにちょっとコメントがついている。どういう状況で書いたか。なにを考えて書いたか。書きたかったけど書けなかったこと。そして書いたあとの反響やその後の進展。自分としてのその文の評価。そんなものを書いてある。  むかしからいろんな人の雑文集を読むと、変に玉石混淆で首を傾げることがよくあった。なぜこんなものが? その人なりのこだわりがあるのなら、それが知りたい。さらには、その後の状況変化で明らかに内容が古びたものを収録してあったりするものも見かける。著者はいまの時点で、これについてどう思っているんだろう。自分が過去に書いたこの文章をどう評価しているんだろう。ぼくはそういうのが知りたい。他にもそういうのに興味がある人はいるだろう。
 だから自分の文をWeb上にアップロードする時に、インデックスページにこういうのをつけて、それぞれの文にある程度の歴史的・山形的位置づけをするようにしている。それをここに、多少の増補を加えて掲載してみた。物書きとしての責任なんてことも少しは考えている。状況の変化を記録しておけば、読者としても文章の中身を多少は活用できるだろう。まちがっていたら、まちがっていたと認めよう。何を見落としていたかを考えて、ちょっとくらいは他山の石にしてもらおう。デタラメ書いて、ほっかむりしてしらんぷりではあまりに情けない。変に強弁してみせたり開き直ったりするのも見苦しい。一人で楽しむマスでさえ、かいたあと始末はする。まして多少は公共性も影響力もあるはずの文章だろうに。書きっぱなしでいいわけがない。

 本書に収録した文章のほとんどは、ぼくのホームページで読める。それ以外のものも。ここ5年くらいで書いた文章はだいたいある。だから本屋さんでこのあとがきを見て、買おうかどうか迷っている人がいたら、まずはWebで中身を見てみて、それから腹を決めるという手もある。URLはhttp://cruel.org/ だ。ただ、これだけのテキストをダウンロードする接続料金を考えたら、ぼくはこの場で買っちゃったほうが圧倒的にお買い得だと思う。冒頭で減価償却費のコスト計算をしたから、みんなすぐに判断できるはずだ。
 それにこうしてゲラを見ていると、やっぱりまだ紙媒体にはかなりの強みがあるといわざるを得ない。お風呂に浸かりながら読むのも、コンピュータだと感電するよ。それになんといっても、かりんとうやおせんべいをかじりながら、寝ころがって読めるのは強みだ。オンライン版でこれをやると、キーボードにおせんべいクズが入り込んでとても具合が悪いし、ケーブルが首にからまったりしてよろしくない。寝ころがるといえば、セックス直前になっておもむろにこの本を取りだし、相手を無視して読みふける、なんて使い方も、嫌がらせとしてはとっても効く。ただしダメージがとても大きいから、なるべくこういう罪作りなことはしないでほしいとは思う。

 読んでいてむかつく場面が多々あるだろうから、そういうとき欄外に「バカ」とか「でたらめ」とか「あきれてものが言えない」とか書き込むと、すっきりするだろう。マジックかなんかで、でっかくページにバッテンをつけたり、ぬりぬりと段落丸ごと墨塗りしちゃったりするのもいい。個人的にはスタビロのマーカーが発色がよくて好きだ。メールで一発、「あなたは見下げ果てた鼻持ちならないファシスト差別主義テクハラ野郎です」と罵倒を送りつけるのもダイレクトで美しいけれど、これだと小馬鹿にした返事が戻ってきて、かえってむかつく場合が多々あって、あまりおすすめしないのだ。
 逆にすっかり真に受けて感心してしまって、蛍光ペンや赤いダーマトグラフで線なんか引きつつ深くうなずきながら読めるのも、紙ならではで吉。それにあと、表紙ってのがオンラインにはない。これはよい代物なので、もっとみんなで愛でるべきだと思う。それにこいつはA book with an attitude、傲慢不遜で態度のでかい本だもの。どうか電車の中でもカバーなんかかけずに、表紙見せびらかしながら、不敵な笑いを浮かべつつ、背筋のばして胸張って堂々と読んでほしいな、と思う。どうも最近の子はみんな、姿勢が悪くっていけねぇや。

 ところでこないだ、ふと橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(北宋社)を読み返した。すると自分がいかにこの本に影響を受けているか露骨に気がついてしまって、ぼくはいまかなり愕然としている。それは文体的なことも、語り口的なことも、ちょと誇大妄想がかったところも、ネタのふりかたも、いろんな意味でそうだ。ちくしょうめ。でも、確かにぼくは、橋本治にはいろんなことを教わっている。ありがとう。
 それを言うなら、ジュディス・メリルにも仁義を切らないと。彼女の『SFに何ができるか』(晶文社)では、自然科学も人文科学も社会も人々の意識も一つの方向めざして変わりつつある、そしてSFというのがその一部であり、そういう変化に応えなくてはならないのだ、という希望と決意があった。それはアナクロではあるんだけれど、でもぼくは明らかにそれに影響されている。ありがとう。
 そしてさらに、このそれぞれの文章を担当してくれた、あちこちの編集者のみなさんにも感謝する。あまり極端な迷惑をかけた人はいないけれど、機会を与えてくれてありがとうございます。お世話さまでした。

 その他感謝すべき人は多い。まあ文中に名前があがっている人はすべて感謝対象だ。もちろん明らかに極端に罵倒されている人と、ぼくをふった女の子たちは除くけれど。なかには、山形なんかに感謝されたくないという人もいるだろうし、こんなわけのわからない、戦争はすばらしいだの消費税をあげろだの書いてあるバカな本で名前を出されては迷惑だという人もいるだろう。そういう方々にはお詫び申し上げる。が、まわりから追求されたらシラを切り通せば、なんとか切り抜けられるような書き方にはしてあるつもりなのでご容赦を。

 そしてLast but not least, この本の企画と編集を担当された晶文社の安藤聡氏には感謝するとともにおわびを。本当は、書き下ろしを書けと言われていたのだけれど、どうもまとまらなくて、それでとりあえずこういう形になった。とはいっても、いろいろ書いているうちに書き下ろし分がどんどん増えてきて(というか、プロローグがあんなに長くなるとは思わなかった)これも結局、全体の三割は書き下ろしなのだ。だからまあこれもぼくらしい、書き下ろしなのかそうでなのかはっきりしない代物ではあるな。次があれば、書き下ろしのほうはまた挑戦してみますので。とりあえずはありがとうございました、そしてお疲れさまでした。

メキシコシティにて
一九九九年九月九日
山形浩生
hiyori13@alum.mit.edu

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