本書はNick Cave King Ink II (1997) の全訳である。底本としてはイギリス版とアメリカ版をあわせて参照している。といっても、中身はまったく同じで特に異同はない。ただしイギリス版のほうが、ハードカバーでちょっとコンパクトでかっこいい。
かわりに出てきたのは、もっと素直な詞だ。これまでなら、たとえラブソングであっても「好きで好きでたまんなくて抱きしめてサバ折りにして殺したいくらいで、ちくしょう、別れたからなおさらぶち殺しておれもいっしょに死んでやる!」という感じだった。でもそれが、特に本書の後半の詞を見ると、「きみが好きでいっしょにいられて幸せだ」という内容を、変に凝ったレトリックに頼ることもなくあっさり書くようになっている。
一方で、逆説的なようだけれど、ことば(というよりその世界)の幅が広がった。かつては、すごく狭い世界の中をぐるぐると巡り、その中でいっしょうけんめいことばを弄している、という感じかな。いまは世界自体が広がって、ゆとりが見えている。
たとえばまえは、一人称の「I」はほとんどの場合、即「おれ」と訳せばよかった。余裕のなさとぎらつき方が、それ以外の訳を許さなかった。だから前回の訳は早かったんだ。一冊あげるのに、のべ四日くらいかな。ほとんど考える必要がなかった。今回は、いろいろ考える余地がある。一人称を「おれ」にしようか「ぼく」にしようか「わたし」にしようか。密に訳そうか、ぽつぽつと余白の多い感じで訳そうか。
これは、作品としてよくなったということではない。あの雄叫び感のないニック・ケイヴなんか、という見方も当然あるんだ。なぜ変わったのかについては、本書に入っている「ことばとなった肉」でかれ自身が書いている。新約聖書を読んで、自分のなかの創造力としての神という認識に目覚めたという。でも、変に理屈がつくとつまらなくなる可能性だってある。かれの変化を成熟と解釈すべきなのか、丸くなったと解釈すべきなのか、あるいは? それはもう人それぞれだろう。ファンのみなさんはどう思ってるんだろう。
前回と同じく、ぼくはかれの曲をほとんど聴かずにこれを訳した。アルバムTender Preyだけは昔ちょっと聞いたけれど、もうほとんど忘れている。でも、これを訳し終えてからたまたま出張先のMTVで、「わが腕の中に」(In To My Arms)のビデオをやっていて、それだけは聞いた。ああ、ぼくの印象も訳し方も、まちがっていなかったな、と思った。いつか、あなたたちにもそれがわかりますように。いつか偏狭なファン心理の霞が晴れて、ニック・ケイヴのことばの世界の本質があなたたちにもつたわりますように。期待はしていないけれど、でもぼくは本当にそう祈っている。自分のためにも、あなたたちのためにも。とはいえ、無神論者のぼくは、ニック・ケイヴのようには祈る神を持ってはいないのだけれど。
本書の編集は、佐藤一郎氏が担当された。
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