山形浩生訳
(p. 163 l.20)
アメリカの、いや西欧のマスコミを支配するこの手の材料を記録するだけで、優に一巻になるだろう。カンボジアの戦後の残虐行為の規模と正確について提示された証拠の性質に話を進める前に、似たような大量の例からもう一つだけあげる一方で、珍しい例外であるジャーナリスト的な良心の例をも挙げることにしよう。
1978年7月31日、タイム誌はデビッド・アイクマンによる「カンボジア:大量虐殺の実験」なる「タイム・エッセイ」を刊行した。このエッセイは事実の記述はあまりないが、その悲惨さについては入念に描かれている。提供されている唯一の事実報道は、すでに挙げたキュー・サンパンの「インタビュー」――この記事の背景情報を集めていたタイムの記者に対し、事前にはっきりと、おそらくはねつ造だと指摘されていた事例だ――と、ラジオ・プノンペンによる「二〇〇〇年以上にわたるカンボジアの歴史が実質的に終わった」という声明だけだ。この声明をアイクマンは「この残虐行為を誇らしげに吹聴するもの」として述べたが、ほかの解釈もすぐに思い浮かぶだろう。
(p. 164 l.-2)
タイムによれば、「今日に至るまでの流血――処刑、餓死、病死――の推計は最小でも数十万人である。最高は100万を越える。しかもこれは、かつて人口が700万弱といわれた国でのことだ」。数字はさておき、この主張で驚かされるのは、アメリカの役割や責任について一言もなく、餓死や病死はクメール・ルージュの「流血」ではないかもしれないということを示唆するものが何もない、ということだ。
タイムのエッセイの主要テーマは「どういうわけかカンボジアの悲劇の巨大さは――アンカ・ローの大量殺戮実験で実際に死んだ人間の多少という陰気な問題を脇に置いておくにしても――西側諸国でそれ相応の怒りを引き起こすに至っていない」どころか「一部の政治理論家たちは、ジョージ・バーナード・ショーなどの西欧知識人が1930年代のソ連における残虐な社会エンジニアリングを擁護したように、それを擁護したことだ」;「西側には、今日の双子のモロク神――「解放」と「革命」にあまりに熱をあげすぎていて、カンボジアで起こったことを本気で擁護してしまえるような知識人がいる」というものだ。実は1975年以来の西側マスコミは、きわめて厳しい論調でカンボジア糾弾を山のように浴びせかけ、実に極端な非難をしばしばいいかげんな証拠をもとに繰り返してきた。これはチモールなどよそでの虐殺に関する姿勢とは驚くほど対照的だ。アメリカのマスコミは、この点で特に顕著なダブルスタンダードを示しているけれど、これは何もアメリカに限った話ではない。そして、アイクマンが「カンボジアの悲劇」を擁護した「政治理論家たち」の実名を挙げていないのには、それなりの理由がある――名前を挙げるには、無批判な濫用の尻馬に乗らずにメディアの歪曲を暴露して事実をつきとめようとした人々を、大した残虐行為は起きていないと述べる人々(いないか、いてもごく少数の人々で、タイムは明らかにこれを見つけようとしたが失敗している)と区別する必要が出てくるからだ。こうした具体性はまた、現在のプロパガンダの洪水にタイする批判者の視点を述べなくてはならないことにもなるし、そうなればカンボジアにおける戦後の苦しみや死におけるアメリカの重要な役割についての議論を避けるのもむずかしくなるし、タイム誌がどんなものを「証拠」とみなしているのかも議論せざるを得なくなる。タイムのイデオロジストたちにとって、「カンボジアの悲劇」の擁護者とは、戦後の苦しみのすべてをクメール・ルージュのせいにせず、「リーダーズ・ダイジェスト」などの情報源が手渡す愛国的な真実に異を唱える人々のことなのだ。
(p. 165 l.-1)
タイムのイデオロジストたちにとって、カンボジアの悲劇とは社会主義とマルクス主義の「流血社会学」からくる「論理的な結論」だ。西側の「道徳的相対主義」は、カンボジアの体験が「無神論的、人間中心的な価値観が、全権を握った弱い人間たちによって強制された結果であり、こうした人間たちはマルクスに依って、道徳とは権力を持つ者の定義次第だと信じ、毛沢東に依って権力は銃口からくると信じているのだ」ということを理解しにくくしている。「今日のヨーロッパにおけるもっと人道的なマルクス主義社会」とはちがって、カンボジア人たちは「自分たちのドクトリンが、キリスト教伝統からくる、ソルジェニーツィンの言う『慈悲と犠牲の最大の源』によって薄められることを許さない」。そして第三世界にとってのキリスト教の伝統の意義については――ヨーロッパの経験は言うに及ばず――タイムは、慈悲の天使たちをインドシナの村落つぶし(タイムはこの偉大な事業について絶賛した)に送り込んだアメリカの指導者たちの見せた大いなる慈悲と犠牲について述べたこと以上のことは何も言えない。そしてかれらがソルジェニーツィンを引用したというのも実にふさわしい。ソルジェニーツィンは、西欧がこの事業を成功裏の結果に導き、キリスト教的人道主義をもたらさなかったと言って非難している深遠な思考者なのだから。訳者コメント7
これとは逆に正直なジャーナリズムが未だ可能であることを示すには、プノンペン陥落直後のリチャード・ダッドマンの報告を考えてみよう。ダッドマンは東南アジアでアメリカ従軍記者を勤める間にカンボジアで捕まり、クメール・ルージュとの体験について重要な本を書いた。ダッドマンはこう書いている:「絶え間ない無差別爆撃、民間人の死傷者数推定45万人、軍人の死傷者については言うに及ばず、さらには推定400万人の難民はほとんどが短期間のアメリカによるカンボジア侵略と、それに続く代理戦争の不可避な結果だった。その代理戦争はアメリカ及びそのプノンペンにおける傀儡政権の敗北に終わった」。捕虜だった時期の個人的体験に一部依りつつ、かれはこう付け加える:「アメリカ侵略は共産党率いるゲリラたちをカンボジアのほぼ全土に散らばらせる結果となり」、そしてベトナム共産主義者とカンボジア国民を、「触媒」であった「共通の敵――アメリカの戦車や爆弾――に対する戦いの同志にした」:「われわれ(クメール・ルージュの捕虜たち)はカンボジアの農民たちがベトナム共産主義者たちにとって、軍事力という形でピンチの時の友人と化すのが見て取れた」。
戦後カンボジアについて報道する際にこうした基本的な事実を無視することは、飢餓や病気、激しい憎悪などといったアメリカの遺産を、単に無神論の共産主義がその「論理的帰結」にまで徹底されただけ、とするのと同じくらい恥知らずなことだ。
(p. 166 l.4)
こんどは、糾弾の根拠としてメディアが使っている証拠の評価をしてみよう。シモンズはこの問題を