激変の後 (After the Cataclysm)

山形浩生訳

Noam Chomsky + Edward S. Herman After the Cataclysm: Postwar Indochina & The Reconstruction of Imperialist Ideology (The Political Economy of Human Rights: Volume II) (Boston Community School/Southend Press, Boston, 1979) pp. 135--140

第六章 カンボジア (Part 1)

(p. 135)
 アメリカのインドシナにおける攻勢と残虐性の第三の犠牲者であるカンボジアは、戦後ベトナムやラオスとは別のカテゴリーに入る。西側プロパガンダシステムは、ベトナムに関する情報を選択して改変し、共産主義の圧制――その現在の問題の唯一の原因――のもとで苦しむ国という必要イメージを伝えようとしたが、自信たっぷりに予言されてきた流血沙汰をでっちあげることはできなかった(ラオスはいつもながら、ほとんど省みられなかった)。実は歴史的な基準から見ると、戦後ベトナムにおける協力者の扱いは、これまで見てきた先例が示すように比較的穏健だった。とはいえ、冷酷な復讐の挑発は、われわれが調査した事例よりも比較にならないほど大きかったのだが。でもカンボジアの場合には、大規模な残虐行為や圧制を記述するのには何の苦労もなかった。これはおもに難民たちの報告によるものだ。というのもカンボジアは、ベトナム戦争終結以来、ほとんど西側世界には閉ざされていたからだ。

 フランソワ・ポンショーが「人々の苦悶」と呼ぶものについて大きな責任を負っているアメリカでは、報道と議論には罪悪感と後悔が伴っているはずと思うのがふつうだろう。が、そんなことはほとんどなかった。アメリカの役割と責任は、プロパガンダ機械の石臼がゆっくりと粉をひくにつれて、すぐに忘れられるか、はっきり否定されるようになった。情報に基づく各種の意見のうち、いちばん極端な糾弾だけが選ばれ、拡大され、ゆがめられ、果てしない反復を通じて一般の意識にたたき込まれてきた。戦争の遺産とは別のところでも明らかに重要な質問帽たとえば戦後カンボジア政権の政策の歴史的源泉、伝統的文化、クメールナショナリズム、国際社会紛争など――はだまって見過ごされる一方で、プロパガンダ機械は競合する社会経済システムの邪悪にばかりひきつけられ、その基本的な原理を確立しようとする。つまり「マルクス主義者」による「解放」は、西側の圧力下にある人々にとって最悪の運命である、という原理だ。

(p.136 l.9)
 カンボジアにおける残虐行為の記録は相当なものだし、胸が悪くなるものも多いけれど、それは西側プロパガンダ屋たちの要求をまるで満たすものではなかった。プロパガンダ屋たちは、インドシナの責め苦の攻めを、フランスやアメリカの犠牲者たちに押しつけようとがんばらなくてはならないのだ。結果として、大幅な証拠のねつ造が行われており、それが何度も暴露されているのに一向に勢いが衰えない。さらに、もっと冷静で慎重な評価はほとんど認識もされないし、西側メディアを支配している非難の大合唱に反する証拠も無視される。またカンボジアにおける、本物やねつ造の虐殺の報道ぶりは、アメリカ・ドメイン――たとえばチモール――で行われている同規模の残虐行為に関する沈黙ぶりと実に対照的だ。この報道は、大量の苦しみを味わってきた土地に、アメリカジャーナリズムの中で最も大規模に報道されたといえるかもしれない第三世界の国、という地位を与えるものではあった。同時に、プレスやその他の場所のプロパガンダ屋たちは、自分に都合のいいことには目端がきいて、自分の孤独で勇気ある抗議の声はだれにも注目されない、あるいはそうでなければ、戦後カンボジアの状況について大論争が起きているのだ、というふりをするのが好きだ。

 アメリカ暴力の批判者たちは、この関連の中で奇妙な立場に置かれた自分を発見することになる。もっぱら報道には無視されてきたかれらは、今回の場合には自分たちのコメントが熱心に求められていることを発見するのだ。これは、かれらが残虐行為の報道を否定してくれるのでは、という希望の元に求められている。そうすれば、その否定は共産主義の頑固な擁護者たちが一向に学習する様子がなく、その卑しい努力を決して止めることがなく、おかげで「カンボジアを擁護する」者たちによって立てられた障壁をなにやら突破しなくてはならない、名誉ある真実探求者たちがじゃまされているのだという「証拠」として取りあげることができるからだ。本当の実例が見つからなければ、「自由なプレス」はおなじみのねつ造装置に頼る。プロパガンダ群の批判者たちによる見解と称するものは、あったとしても直接的な暴露ではなく、儀式的な糾弾を通じて知られている。あるいは、「クメール人たち何百万人もの死を利用して(自分の)理論や社会のためのプロジェクトを擁護しようとする」名前の出ない人々への陰気な言及もある。

(p. 137 l3)
  これまたよくある手だては、平和主義者たちに、なぜ虐殺が生じたかを「説明してみるがいい」と脅してみたり、かれらの「共産主義者への支持」――共産主義者というのは、アメリカの謀略や侵略に対する反対者を指す標準用語だ――がまちがっていたと「認める」べきだと脅すことだ。アメリカ侵略の結果について責任を負うべきなのは、その批判者たちであり、その侵略を組織し、支持し、あるいはそれに関連する事実を隠蔽してきたり、いまなお隠蔽を続けたりしている連中ではない、と主張される。

  比較的平和だったカンボジアに、燃えさかる内戦抗争の火をつけ、現代戦争の恐怖を持ち込んだのはアメリカの侵攻だったということは、まったく疑問の余地がないはずだ。アメリカの侵攻は同時に、アメリカやその現地子分たちのおかげでクメール・ルージュたちがリクルートされた、破壊された村落の中に暴力的な憎悪と復讐心をかきたてたのである。事態はあまりの状況に達し、社会民主的な雑誌が、インドシナにおけるアメリカの戦争への反対は、カンボジアにそれがもたらした影響を考えると見直すべきだろうか、というまったくとんでもない疑問についてシンポジウムを組織できるほどとなった。他の人々は、カンボジアにおける残虐行為やその性格――農民たちの復讐なのか、国が体系的に組織した殺人なのか――は実はどうでもいいと主張する。残虐行為が起こったというだけで十分だという。これはちょっとした虐殺や建設的な虐殺について採用されたなら、オドロキと軽蔑を持って否定される立場だろう。(訳注:いや、誤訳じゃない。ここは本当にbenign or constructive bloodbathsと書かれているのだ。建設的な虐殺って何? ぼくにきかないでくれ。ただ、たぶんアメリカが自分でやっている各種の軍事介入その他について暗に指しているんじゃないかと思われ。)

  予想通り、カンボジアでの大量虐殺と称するものに対する広範な非難の声は、アメリカ議会において、軍事介入を訴える声につながった。こんな提案がアメリカ合衆国の議会で主張できてしまうという事実、あるいはこの事実が近年の歴史を考えたときどんな含意を持つかということについては、これ以上コメントしない。こうした提案の一部を見てやると、プロパガンダの洪水の中で、単に事実はどうなのかを考慮するというだけのことが、いかに有効にかき消されてしまっているかを明らかにしている。

  スティーブン・J・ソラーズ議員は「国連監督下で何らかの国際警察行動」をすべきではという疑問を提起。この提案は、初期の虐殺に関するウソを暴き、カンボジアとの関連で提示されている証拠についても疑問を述べたギャレス・ポーターの証言中に提出された。カンボジア政権の大虐殺的な性向の証拠として、ソラーズは「オリアーナ・ファラチによるキュー・サンパンのインタビュー」を証拠として挙げた。そこでキュー・サンパンは、「終戦後、おおむね百万人くりの人々が殺された」と認知したことになっている。ポーターがこれに対してコメントしたように、このインタビューはオリアーナ・ファラチによるものではなく、そんな「認知」は存在せず、よく言っても出所も信頼性もきわめて怪しいものだ。これについては後述。それでもソラーズは臆することなく、国際介入をすべきではないかと提案した。

(p. 138 l. 8)
  一年後の議会公聴会で、上院議員ジョージ・マクガバンはダグラス・パイクの証言を受けて、軍事介入を示唆し、広範な――そして例のない――人気を博した。ダグラス・パイクは報道では「国務省のインドシナ専門家」とされている。AP電によると、マクガバンは「昨日、かれが『大量虐殺の明白なケース』と呼ぶものをやめさせるために、国際軍事介入を呼びかけた」。そして「3年前の共産主義政権による制圧以来、カンボジア人700万人のうち、250万人が飢餓、病気、処刑により死亡したとする推計」を引用している。かれは以下のように述べたと引用されている:

これは私が聞いたなかでも一番極度にひどい。(中略)死んだと思われる人口比率からすると、これはヒトラーの作戦ですらおとなしく思えるほどのものだ。(中略)この政権を追い落とすために軍隊を送ることについて(中略)検討はされているのか? 私が言っているのは、アメリカが海兵隊を送るという話じゃない。国際的な平和維持軍だ。

 マクガバンはさらに「推定二百万の罪もないカンボジア人たちが、自分自身の支配者たちによって体系的に虐殺され、飢え死にさせられているという犯罪」について述べる。これは「大量虐殺行為」の例であり、「人権の主導的な守護者であるアメリカとして」看過できないものだ、と。同じ日のCBSテレビでかれは、「ここにあるのは、人口 700万人の国で、ヘタをすると1/3が、自分自身の政府によって体系的に虐殺されたという事態だ」と述べている。「自分自身の政府というより、その政府を乗っ取った殺人者集団によって」と。かれは同じ主題を三日後にも持ち出し、議会に対してこう告げている:「殺人的なろくでなし集団が、同胞市民たちを体系的に殺している。カンボジア人たち200万人が殺されたと言われる」と。

(p. 139 1行手前)
  もし 200--250 万人、人口の 1/3 が政府を乗っ取った殺人的なろくでなし集団によって体系的に虐殺されたのであれば、マクガバンは国際的な軍事介入を喜んで検討しようというわけだ。われわれとしては、もしその殺されたという人々の数が、まあたとえば、100 分の 1 くらいの少なさだったら――つまり2万5千人だ――こんな提案はしなかっただろうと想像する。25,000 人が殺されるだけでも十分にひどいのだが。あるいは、カンボジアにおける死者数が、国によって組織された体系的な虐殺と飢餓の結果ではなく、むしろかなりの部分が農民たちの復讐、規律の乱れて政府の統制がきかなくなった軍の一部、アメリカによる戦争の直接の結果である飢餓や病気、あるいはその他そうした要因によるものだったなら、かれはそんな提案はしなかったと思われる。またインドネシアの侵略の結果として東チモールの住民の1/6ほどがどうやら殺されたのを止めるために軍事介入を提案するなどということは、マクガバンだろうと他のだれだろうとやらなかっただろう。もっともこの場合には、単にこうした残虐行為の兵器と外交・経済的支援を提供している政府がちょっと不快感を表明するだけで、殺人的な攻撃をやめさせられたかもしれないのだが。

  事実が問題になると想定すれば、かれが提出した具体的非難の根拠は何だったのか、とわれわれは当然たずねる。ワシントンのかれの事務所に問い合わせたが、こうした糾弾の情報源は出てこなかったし、それを裏付ける文書証拠も出てこなかった。マクガバンの介入提案は、メディアでは広く議論されている(ときには、かれがハト派として活動してきたため、いささかの揶揄もこめられる)のに、かれがその糾弾にまともな根拠をもっていないという点での批判が見られないのは興味深いことだ。またわれわれの知る限り、かれが軍事介入を提案するにあたって提示した具体的な事実の主張の背景にどんな証拠があったのか(あるいはそもそも証拠なんてあったのか)について調査報道を行ったジャーナリストも一人もいない(われわれのうながしに応じてあるテレビのニュースマンがこうした調査を行い、スタッフによってかれの情報源がロンノル将軍だったかもしれないと報された! この数字がまったくのでっちあげだったと思ってあげるほうが、まだマクガバンの評判にとっては救いだろう。)

(p. 140 2行手前)
  事実が問題になるという想定のもとで、われわれは西側(主にアメリカ)メディアにおける戦後カンボジア報道を検討する。ここではっきり述べておくと、事実に関係なく「真実を知っている」人々にとって、この検討はほとんどおもしろくないように見えるはずだ。議論してきたほかのケースと同様、我々の主な関心は、戦後インドシナにおける事実はなんだったかを確立することではなく、それが西側イデオロギーのプリズムを通じてどう散乱してきたかを調査することであり、これはまったく話が別だ。われわれはメディアと、メディアを信用するほどおめでたい連中が使ってきたたぐいの証拠を検討し、さらに出回っている情報の中で何が証拠として選ばれているかも検討する。われわれは、「自由なプレス」の一般理論について、われわれがこれまで見てきたものによってたっぷり支持されている内容が、ここでも確認されることを見てやる。敵が行った犯罪の疑惑が大きければ大きいほど、それが(一般には)大きな関心を招く。それがウソであることが暴かれても、もっぱら関係ないとされる。この状況は、すでに述べた例を挙げれば、第一次世界大戦中のHun残虐行為のねつ造とはいささかちがっている。というのも、当時はそのインチキが暴かれたのは何年もたってからのことだったが、今回は、ねつ造疑惑が絶えず浮上し続けているのに、すぐに反駁されるのだ。アメリカの責任はほとんど無視される。ただし、ジャン・ルクチュールのような批判者は、このとてつもない道徳的な欠落ぶりについては無罪だが。そして、戦後カンボジアや、それに関連する証拠の信頼性を、第二章で見たような歴史的経験の光に照らして考えようという試みはほぼまったく行われていないと言っていい。 訳者コメント1


Index Part 1 Part 2 Part 3 Part 4 訳者あとがき