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ascii.PC 連載 コンピュータのき・も・ち

――あるいは How to be an Computer Otaku

単行本あとがき

コンピュータのきもち

(『コンピュータのきもち』単行本, 2002)
山形浩生



  これはぼくが「アスキー・ドットPC』に1年ほど連載したものにちょっとばかり加筆してまと めたものだ。2001年から2002年までのこと。ぼくはこれまで、すぱっと切りよく終わった 連載というのがほとんどなくて、続くヤツはだらだらといつまでも続くか、そうでなければ雑誌の ほうがつぶれてしまうかで(最近になって会社の上層部からストップがかかって打ち切り、という のも出た)、この連載をはじめたときにもアスキーはホントにやばいんじゃないか、と心配したの だけれど、まあ本体はさておき雑誌のほうは相変わらず好調なようで、とりあえずは一安心だ。

  もともとの趣旨としては、コンピュータの初心者向けに、単にコンピュータのちまちました使い 方を指導するだけじゃなくて、もっと大きなコンピュータの概念みたいなものをわかってもらえる ようなコラムができないかな、ということだった。そういう本は、たとえば超並列コンピュータの 天才ダニエル・ヒリスの本とか、多少はある。天才の本は独特のひらめきがあってすごくおもしろ いのだけれど、1を説明したらいきなり10に飛ぶようなところがあって、ぼくでさえときどき面食 らう(その飛び方が、天才の天才たる所以なんだけれど)。一方、天才よりかなり劣る人が書いた 「サルでも2時間ですぐわかるコンピュータのいろはにほへと云々」とかいうような題名の本もい っぱいある。が、そういうのは往々にしていい加減だし、本質的なことには触れないし、ときどき 書いた人自身がよくわかってねーな、と思うこともしばしばで、読者をはなからバカにしてかかっ ていて、そのせいもあって読んでつまらない。それなりの深さと正確さを持って、コンピュータの 本質にそれなりに迫って読者をバカにせず、一方で理解しやすくて、わかんないところでも、少な くとも読んでおもしろいーなんかそんなものが書けないかな、というのが書き手としての希望で はあった。まあ、内容的にはチューリングマシンの話から、ぼくが個人的に思っていた「コンピュ ータ」の捉え方とか、文字コードの話からついでに著作権の話までぶちこめて、そこそこ日的は達 成できたんじゃないかと思う。が、上手に達成できているかどうかは、みなさんの判断にお任せす るしかない。一方でずいぶん得体の知れない本になったような気もするし。

  ところで本書でとりあげようかな、と思っていてとりあげなかったテーマに、セキュリティと暗 号がある。いや、これはテーマとしては重要なんだ。最近は面倒な時代で、コンピュータを使うの にぼくたち一般人までがセキュリティなんてものを考えなきゃならなくなってきた。

  昔はそんなことはなかった。コンピュータのセキュリテイなんてものは、少なくとも一般人は気 にする必要ばなかったのだ。特にパソコンでは。パソコンのセキュリティでいちばん間題になっだ のは、それが物理的に盗まれることで、次にデータが盗まれることだった。だから、パソコンのセ キュリティとはつまり、いかにきちんと鍵をかけるか、という話だった。

  ところが、みんながインターネットなんてものに手を出すようになって、事態が一変した。さら に、常時接続なんてものが出てきて、これまではシステム管理者しか知らなくてよかったことを、 一般人までが要求されるようになってきている。おまけにメールの添付ウィルスが、一日に何卜個 も舞い込むようなとんでもない時代になってきている。さらにネット上の商取引だとか、あるいは いたずらメールの横行だとかで、身元の確認とか、やりとりの正真性の証明とか、詐欺防止とか、 いろんな話も出てきている。そういうのの解決に暗号を使うといい場合もあって云々、というよう な話はいろいろある。

  これについては、書けないわけじゃない。ちょうどいま、暗号についての決定版の教科書みたい なのを訳し終わったところなので、いろいろ受け売りしたくてたまらない時期だし。それに暗号の 話は楽しいのだ。相手がこうきたら、こっちがこう出てそこで悪者がやりとりを盗み聞きして 云々そういうパズルや知恵比べみたいなおもしろさがある。そしてそれによって、すばらしい 可能性が生まれてくる。さらに、いまある暗号方式の落とし穴を見つけたりするのは、推理小説で 犯人当てをしたり、完全犯罪を破ったりするような楽しみがある。

  ただし……たぶんそれは実際のセキュリテイとはあまり関係ない場合が多い。銀行や、その他い ろんなシステムが破られるとき、それはたいがい内部犯行だったり、一部の人の単なる不注意だっ たりする。そしてそういうレベルのセキュリティは、何かこざかしいお話でどうにかなるもんでも ないだろう、という気がする。ソフトのセキュリティ関連アップデートに注意しようとか、ウィル スのワクチンソフトをこまめに更新するとか、そういうレベルの訓練をしつこくやるしかなかろう、 とは思う。そこで暗号なんかの話で注意をそらすのは、かえってまずいんじゃないか。というわけ で、わざわざ番外編を作ったりするのは見合わせた。

  セキュリティの話でもう一ついやなのは、だんだん異様な被害妄想に陥りがちだ、ということだ。 中には、政府がぼくたちのメールや通話を傍受してプライバシーがなくなる、というようなことを 心配する人もいる。そのために暗号をもっと普及させなきゃ、と言って。それはまあ、可能性とし てはないわけじゃない。が、現実的にはどうだろう。まずそもそも、本気であなたのメッセージに 興味があるなら、それを傍受する方法なんざ暗号解読以外にいくらでもあるのだ。それにあなた、 何様よ。自分の日々の電話でのおしゃべりやメールの中身を考えてごらん。政府がそんなどうでも いいシロモノに興味なんか持つもんですか、そんなことは絶対ない……かどうかはわからない。ぼ くはガキの頃にアメリカにいたけれど、そのときの電話はどうも盗聴されていたくさい。なぜそれ がわかったかと言うと、その盗聴係の人はとても親切な人だったらしく、うちに変態からいたずら 電話がかかってきたりすると、介入して止めてくれたりしたからだ(笑、でもホント)。いまもア メリカでは、外国人への監視を強めようとしているし。ほかにもいろいろある。ショッピングサイ トがこちらの買い物嗜好を集めている。サイトが、閲覧者のIDを集めている。各種メッセージや 利用データをもとに、プロファイリングされる。これは全部、大きな問題ではある。本当に問題な のかどうかさえ問題になっていて、まるで結論は出ていない。が、それはコンピュータそのものの 仕組みとはかなり離れた話題になってしまうのだ。人権とか、プライバシーの根拠とか。これらは 確かにコンピュータやネットワークがあらわにした課題ではあるんだけれど、それをこの本で扱う のは荷が重い(といいつつ結構ここで書いちゃったけれど)。みなさんがもっとコンピュータにな じんできたら、そういう話題にも関心を払ってみてほしいな、とは思う。

  この本のもとになった連載の話をはじめて持ちかけてくれたのは、『アスキー・ドットPC』の 加藤貞顕氏だった。ぼくがこれまでやったことのない内容を、予想外の読者層に向けて書くようう ながしてくれてありがとう。また連載中に、胡蝶の夢から『ドグラ・マグラ』から生まれる以前の 8ビットコンピュータの話から得体の知れない項目に注をつけてくれたのもこの加藤氏なので、読 者のみなさんも感謝するように。また、遅れてばかりの連載に毎回見事なイラストをつけてくれた 杉田比呂美氏にもお礼を。連載中も、毎回これにどんなイラストがつくんだろう、といういささか 意地悪な楽しみが執筆の一つの動機になっていたことはまちがいない。ありがとう。

 そして読者のみなさんにも、ありがとう。またどこかでそのうち。



東京ーリロングウェーシカゴーブカレストにて
山形浩生



追伸:本書は特に大きなまちがいはないと思うけれど、細かいところであれこ れかんちがいやミスはあるだろう。そうした追記や訂正については、サポート ページにまとめておく。この本の中身をぱくって レポートなんかに使おうと思っている人は、提出前にここをチェックすること。


番外編 最初の号
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YAMAGATA Hiroo<hiyori13@alum.mit.edu>
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