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朝日新聞書評 2011/10-12

山形浩生

diminishbunkonew

スコット・シェーン『〈起業〉という幻想 ─ アメリカン・ドリームの現実』(白水社)

 近年のアップル社の成功で、日本版ジョブス待望論や、景気回復には起業による創造的破壊が必須、といった物言いをあちこちで目にする。そしてアメリカは起業に有利な環境だから、日本ももっと政策的に起業家支援を、という話も多い。  が、それは本当か? 本書は、アメリカの起業についての実証データを元に、そうした物言いに冷や水を浴びせる。

 そもそも、アメリカはさほど起業が多くはない。またみんなのイメージするハイテクベンチャーなんかごく少数。実際にはほとんどがカフェやお店を持ったという程度。

 また起業家というと、若者が革新的なアイデアで業界に殴り込みをかけるイメージだが、実際は中年で犯罪歴が多く、起業の理由も協調性がないだけ。独創性もなくてすぐにつぶれるところ多数。

 だから本書は、安易な起業信仰はダメだ、と指摘する。むしろ起業しにくくして、安易に勤め先を辞めさせないほうが社会的には有益なのだ! 成功するのは、学歴と所得の高い白人男性による、高成長分野の会社で、投資家が行列しているところだという。だから支援するなら、そうした起業家を選別教育すべきだという指摘は、政策立案者にとっても重要な示唆を与えてくれる。くれるのだが……

 本書にうなずきながらも、ぼくは少し首をかしげてしまう。著者の言うような有望起業は、それだけ有利なら改めて政策的に支援する必要はないのでは? そして本書の提言――資本金豊富、株式会社、大きなビジネスだけを支援――にしたがったら、ジョブズもアップル社も芽が出なかったのでは? 平均で見れば著者の言う通りだが、ベンチャーの醍醐味は平均を突破するところにあるのでは――だがそれこそまさに「起業という幻想」そのものなのかもしれない。起業させたい人は是非ご一読を。そして安易な起業を夢見るそこのあなたも! (2011/10/23 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:書いてから気がついたが、これってなんと白水社なのねー。びっくりした。バカな保護貿易支持の中野ゴーシが訳していて、それだけで最初は紹介するのをやめようかと思ったが、でも本の罪ではないし訳は悪くないので文句なし。中身は昔、原著のアマゾンレビューに書いた中身そのもの。
 ただし、本書の議論はぼくはちょっと不十分だと思う。アメリカで起業が少ないことを描くのに、途上国と比較しても意味がない。法制度や経済水準がちがうんだから。ヨーロッパや日本と比べてどうか、というのを描くべきでしょう。そしてそれだとアメリカのほうが起業に向いているとは言えるはずなんだ。同じく、絶対数としてカフェや工務店が多くてイノベーションあふれる起業がないのも、それだけ見てもしょうがない。世の中、天才よりも凡人のほうが多いのはどこでも同じだ。他の国と比較してどうか、というのがやはり必須だと思う。それは本書の弱いところ。)

diminishbunkonew

W・ブライアン・アーサー『テクノロジーとイノベーション』(みすず書房)

 本書の手柄は中身よりアプローチにある。イノベーションは経済、いや人間社会と文明の発展に決定的な重要性を持つ。が、どうすればそれが起こるのか?

 これについての既存研究は多いし、著者の答えも目新しくはない。あらゆる技術は、他の技術の組み合わせである。だから技術のモジュール化とその自由な組み合わせを促進すれば、イノベーションは起こる! これは内外の多くの識者が何度も指摘したポイントだ。

 が、本書の視点が異様だ。技術が経済に貢献するという従来の見方を、本書は逆転させる。技術は生物のように、自律的に進化発達するのだ。経済はその結果でしかない!

 本書が人間不在という監修者の指摘は慧眼。人間は、技術という生物の淘汰進化の環境でしかない。「有益な技術」を人が選ぶなどおこがましい。人間という環境に適応した技術が勝手に生き延びる! 評者などSFファンにはたまらない見方だ。第九章の、人工世界の中での技術進化シミュレーションなど実に興味深い。

 ただしそのおもしろさが本書の弱さにもつながる。技術が自律的なら「基礎研究に力を入れろ」といった人間側への提言は無意味では? 技術のほうで勝手に面倒見てくれるのでは? また著者は、技術は人生を肯定するとかいう甘っちょろい結論に落とそうとする。でも本書の議論だと、技術は人を肯定も否定もしないのでは?

 視点は刺激的ながら、この本だけではアナロジーにとどまりかねない。帯には「次を見通す」とあるが、使える技術ネタは本書だけでは無理。実際の萌芽技術を描いた二コレリス『越境する脳』などをどうぞ。複雑系経済学の雄たる著者には、今後は人間という生命体と技術という疑似生命体の共進化をもっと子細に論じてほしいところ。技術はそのとき、まったくちがう様相を表すことだろう。本書はそのための序曲となる。 (2011/10/30 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:起業、イノベーションと続きます。ちょっと今回のやつは、特に最終章の含意に喜び過ぎて、偏った書評になったかもしれない。でもそこの部分がないと、あたりまえのことを変な用語で言い換えただけになってしまって、おもしろくない本なんだよね。特に政策的な提言として基礎研究に力を入れろという八章は、ゴミクズだと思う。モノになる技術を選ぶことはできないから政府は基礎研究に力を入れろというんだけど、じゃあどの基礎研究に力を入れればいいの? というわけで、書評も結局ほめてるかどうかよく読むとあいまいにしてある。
 あと翻訳は、ヴェンチューリをヴェントゥーリとしたりするのは気持ち悪かった。あと監修者が日暮訳を「監修」と言えるほど手直しする余地なんてあるわけないと思うんだけどね。ま、それは邪推かもしれない。)

JOBS

アイザックソン『スティーブ・ジョブス』(講談社)

 本書を手に取る人で、スティーブ・ジョブズを知らない人はいないはず。過去一〇年以上、彼の各種製品はコンピュータや音楽流通、携帯電話のあり方を一変させ、社会現象にまでなったのは周知のこと。

 それが本書のつらいところだ。基本線では目新しさの余地がないのだから。

 評者のような古参パソコンマニアは、アップル草創期からジョブズの活動はリアルタイムで知っている。また近年のアップル製品のファンも、本書の記述に違和感はないはず。絞り込んだデザインへのこだわり、ハードからソフトまで一貫したユーザ体験の重視、ライフスタイルにまで踏み込むプレゼン――iナントカの利用者なら、改めて説明されるまでもない。

 知っていることの反復と事前に決まった結論が好きな人は、それで満足だろう。嫌われても己の信念と美学を貫き通したジョブズはやっぱり凄かった、というわけだ。だが評者を含め不満を感じる人も多かろう。本書には細かなエピソードを除けば、新しい知識や発見はないのだ。

 これは仕方ない。ジョブズは特に秘密の多い人物ではないのだし。だがそれでも何とか新規性を出すべく些末なエピソードを詰め込んだせいで、本書はえらく分厚い。それも時に裏目に出る。特に下巻、ジョブズがアップルに復帰してからは、既存のビジネス書と差別化しようとしたのか、やたらに無意味なセレブばかり登場して水増し気味だ。

 しかもその細部に見えるジョブズ像は、かなり常軌を逸している。彼は学習効果のない人物で、公私ともに何か思いつく→関係者を怒らせる→まわりを丸め込む→無茶を連発して嫌われる→実現か失敗→あたり散らして愛想つかされる、というの連続だ。だから細部というのは、ジョブズがだれにどんな罵詈雑言を浴びせ、どんなひどい仕打ちをしたかという話ばかり。信念を貫くといえば聞こえはいいが、むしろ思い込みが激しいだけ。ひたすらわがままで身勝手で他人の手柄やアイデアも平気で奪い、女の子をはらませてもほっぽって、正義も公正も誠意も身勝手な時にだけ発動させ、まあろくでもない。下巻で多少の落ち着きを見せるのがせめてもの救いだろうか。

 そしてやはり本書で悲しいのは、その天才ゆえの思い込みが死期をはやめてしまったこと。ジョブズはガンの検査も適切な治療も拒み、インチキ食事療法や鍼や心霊療法にまで手を出し、そのために手遅れになった可能性が高いという。すぐ治療を受けていれば、あと十年は活躍できたはずなのだが。

 だが、その時に自滅的なほどの頑固さがなければ、アップルの各種製品は生まれなかったのも事実。天才とはそういうものなのかもしれない。その意味でちょっと残念なのは、多くの天才たちの伝記を執筆してきた著者が、本書でジョブズ個人を越えた天才への普遍的な視点を出すことなく、巻末の語録など各種材料を読者の前に放り出すだけで終わっていることだ。そこにはまた読者側の事情もある。著者にもぼくたちにも、まだあまりにジョブズの記憶は新鮮すぎる。そこに提示できる最良のものは、本書のように必ずしも精査されない材料を羅列することなのかもしれない。

 いずれ、もっとすべてを客観視できるほどの時間がたったところで、もう少し視点の効いた伝記を読んでみたいところ。それまでは読者一人一人が自分なりのジョブズ像を描きだす材料を、本書はたっぷりと提示してくれる。 (2011/11/3 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:話題のジョブズ伝。最初、前の週に掲載することも考えているとかで、英語版&邦訳上巻が出た時点から三日で読み終えて書評書け、との無茶な注文。通常、そういう旬のある本はゲラの段階で送ってくれたりするんだけど、そういうのなかったみたい。いつもは書評委員会にかけるが、そんな暇ないということで、メールで立候補募集。そんな無茶なのに応募するのはぼくだけだったみたい。まあジョブズですしぃ。
 アマゾンのレビューとか見ると、ほとんどの人はアップルストアに花を供えたりしたがるバカどもの同類で、ジョブズとついてればブタのケツでもありがたいという状態。ジョブズの訃報でも、昔からジョブズを知っている人(小田嶋隆など)は非常にアンビバレントな書き方をしていて、最近になってiPhoneで初めてジョブズを知ったとかいう連中はバカみたいな崇拝ぶりで、もちろん人口としては後者が多い。でも、特に上巻は決して読後感のよい本ではないと思う。ジョブズが自分勝手だというのはきいていたが、ここまで鬼畜とは思わなかった。あと下巻、小野洋子だのボノだの、セレブ話はほんと鼻につく。
 いくつかおもしろいと思ったのは、初期のジョブズはウォズやハーツフェルドみたいな常人の数十倍の大天才だけでモノをつくろうとして失敗し、復帰後のジョブスは、常人の三割増しくらいの小天才で切り盛りしようとして成功した、という話。でも、ホントどうでもいい話を整理せずつめこみすぎてると思う。いずれジョブズの製品作りに通じる伝記ができたら――でもそしたら何もかもそぎ落とした、一行の戒名みたいなものになるかもしれない。
 ついでに、本書の製品談義についても一言。本書のすべてに言えることだけれど、やはりジョブズのご機嫌伺いに終始して、それが本当に正しいのかどうか、適切かどうか、批判的には見ていないのが非常に不満。たとえば本書の中に、ジョブズがジョナサン・アイブとショッピングしていて、なんだかかっこいい製品を見つけたという話がある。でも見るうちに、その一部が糊付けされているのを見て、こんな醜い製品作りは許せんと激怒したんだそうな。組木造のようなはめこみとか、美しい製品がいいんだ、と。
 でも、iPod をばらしてみたことがある人ならわかるけれど、最近になればなるほど、アップル製品は分解不可能な作りになっていって、中身はベタベタに糊付けされている。この伝記で書かれているアップル/ジョブスの製品哲学と称する物は、実はインチキなのだ。これはその後発表されたMacBook Pro retina display などでも顕著で、バッテリーがぐちゃぐちゃに糊付けされている。でも、アイザックソンはそういう考察をまったくしない。冷静になればなるほど、本書の提灯持ちぶりがだんだん見えてきて、たぶん刊行直後からすでに価値は半減していると思う。)

COOKING FOR GEEKS味わいの認知科学

ポッター『Cooking for Geeks』(オライリー)日下部他『味わいの認知科学』(勁草書房)

 料理マンガでありがちなのが、才能と情熱の天才料理人(主人公)が、理論とコンピュータを駆使した科学者料理人と対決する話だ。もちろん「冷たい科学じゃ人の心は動かせないぜ!」と主人公が勝つのがお約束。

 が、料理の相当部分は物理化学反応である以上、科学的な知見は当然役にたつ。直感と試行錯誤は重要だが、科学知識はそれに方向性を与え、失敗を大幅に減らしてくれるから、解説書も多い。

 その中でポッター『Cooking for Geeks』は、ボリュームも詳しさも、群をぬいている。ギーク(おたく)向けだけあって、各種調理器具の改造方法や異様な殺菌方法なども充実。有機食品に意味はあるのか(あまりない)、地球に優しい料理とは、など周縁的な話題もカバーしている。そして各種レシピは、むしろ各種の物性変化や化学反応理論の実証実験としての位置づけだ。

 料理初心者にはおすすめしない。カラー写真もなく、科学実験手引き書みたいな本書のレシピは、ぱっと見には美味しそうに思えない。まずはお手軽クッキング本から入ろう。でも料理が本当に楽しくなるのは、既存レシピに自分なりの工夫を加え始めたときだ。そのとき、各種変数を明確にした本書の解説は実に有用だ。

 理屈っぽさでさらに上をいくのが『味わいの認知科学』だ。味の脳内認知機構にまで踏み込んだ論文集で、もはや完全な学問の世界。料理に活用という域をはるかに超える内容だが、思いっきり踏み込みたい人は是非。

 一般的な料理に慣れた人は、こうした本の解析的アプローチに違和感を覚えるだろう。その人の嗜好もある。だが、直感で行動→理論的に分解→再構築というプロセスは、あらゆる学習に必須のプロセスだ。これらの本はそれを確実に支援してくれる。そして作ってみると、冷たい科学の料理もすてたものじゃありませんぜ。お試しあれ。 (2011/12/4 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:クッキング本を入れられたので満足。でもこのあたり、いい本が他にもあって己の選書のこだわりでそれを捨てていいのかという気もしてちょっと迷う。でもふだんとちがう世界の本に読者を紹介するのも書評の役割だと思うし、まあ許せ、という感じ。あと、紛れ込ませたいのはマンガとエロなんだが……)

reality is broken

マクゴニガル『幸せな未来は「ゲーム」が創る』(早川書房)

 ゲームは、現実逃避だとしてよく非難される。でも、善行や努力の報いが明確でない現実にくらべ、ゲーム界での善行はすぐに結果が見える。つまらない作業や勉強や共同作業もゲーム仕立てなら楽しくなる。だからゲームを敵視せず、現実改善に役立てよう、と本書は主張する。

 事例は豊富だが、有益なゲームもあるというだけなら旧聞。本書の妙味は、目的性や努力の結果が不明確だから「現実は壊れている」(原題)として、それが明確なゲームこそ正しい姿とした、ゲーム中心主義とも言うべき世界観にある。従来の、「ゲームだって役にたつからいじめないで」的な卑屈さから一転、ダメな現実をゲームで直してやるという剛毅さは天晴れ。

 むろんまだすべてゲームですむほど現実は甘くない。が、予想外の現実がゲーム化できているのも事実。すると本書は単なる開き直りの大風呂敷なのか、はたまた来る現実総ゲーム化時代の予言か? それは読者の判断次第。 (2011/12/18 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:おっほっほ。ちょうど結婚式の日に掲載だったんだよねー。学生時代にゲームをやりすぎて、現実でも「ゴミを拾うと徳ポイントが上がるぞ!」と口走っていたやつを知っていたので、主張はそこそこ説得力を感じた。)

今年の三冊

  1. 「自己変革するDNA」(みすず書房)
  2. 「震災恐慌」(田中秀臣、上念司、宝島社)
  3. 「筑豊炭坑絵巻」(山本作兵衛、海鳥社)

ベストというより落ち穂拾いの選書だが、1はヒトのDNAが生涯変わり続けるという、通俗知識を覆す驚愕の事実を明解に解説。最先端分野での日本人研究者の活躍も勇気づけられる。さて震災関連書は山ほどあるが2は復興(無)策の問題点をいち早く指摘。本書が杞憂に終わらず、増税や金融引き締めなど最悪な対応ばかりなのに改めて嘆息。他に斎藤誠『原発危機の経済学』は、現実問題に社会科学を真摯かつ冷静に適用し、日和らない結論を出して立派。3は明治大正期の筑豊炭鉱を炭坑夫が記録した驚異の大型画文集。世界記憶遺産登録を期に数十年ぶりの復刊。ユネスコの慧眼に脱帽。主張や価値判断抜きの淡々とした絵と文が描き出す異世界と時代模様は圧巻だ。同じく再刊の同著者『炭鉱に生きる』(講談社)は重複する内容ながら価格お手頃。

この一年:途上国援助しつつ、今年はケインズに没頭。邦訳に恵まれない『一般理論』要約と全訳を勝手に仕上げたら近刊に。 (2011/12/25 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:DNA本は、書評委員就任前の本だが、もっとほめるべき本だと思ったので紹介。あと、震災復興&反デフレ系は必須だろうと思い、岩田本や高橋本も考えたがここに落ち着いた。一方で、文中のメンションである斎藤誠は、原発も普通の費用便益で考えろという本で、立派。斎藤誠は「明日を見よ今日をナントカ」本などのリフレ敵対が解せないけれど、でもこの本はよいと思う。最後のやつは、見落としがないか丸善をうろうろしていて発見。すごいわ。ちなみに『炭坑に生きる』は本紙でも紹介されていたとのこと。でもやっぱ絵の中の字が読めないから、このでかいやつのほうがいいと思ったのだ。)



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