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朝日新聞書評しなかった本 2011/4-6

山形浩生

 朝日書評委員会では、委員たちが奪い合って/譲り合って、それぞれの委員が毎回5-10冊くらい書評してみたいかもしれない本を持ち帰る。当然ながら、そのうち実際に書評が掲載されるのはごく一部。でも、建前上は書評が掲載されていない本も皆さんちゃんと目を通して、書評の適否を判断しているはずなのだ。実際には、そもそも読み切れなかった本とか、サボって読まなかった本なんてのもあるわけだけど。
 でもそういう紙面に出なかった本について、各委員はどんな評価をしているのか、できたら知りたいなとは思う。委員会の席上で、出席者は少しそういうことをしゃべったりするんだけれど、もう少し聞きたい感じ。それにぼくは、評価する書評とともに、評価しない書評も大事だと思っているのだ。というわけで、自分の分はここに載せよう。


カウシック・ラジャン『バイオキャピタル』
 実はあの経済学者のラジャンだと勘違いして読み始めたんだが、絵に描いたようなバカを見た、という思い。今や人の遺伝情報が経済的にも重要になってくるし、それに伴って利権が発生している、というだれでも知っているお話を、くだらないサイエンス・カルチュラルスタディーズの意匠で延々ひきのばしたバカな本。この手の論者の度し難いことは、人間が遺伝情報だけの存在だと思ってること。ぼくの遺伝情報がいくら売られようが、ぼくという個人の生き方には何も関係ないのに、遺伝情報が出回るのが「生の資本化と流通」だって。バーカ。

鹿野嘉昭『藩札の経済学』
 江戸時代の藩札の研究。どのくらい藩札が流通したか、藩札というものの解釈にどんな論争がこれまであったか(藩札は信用貨幣か政府貨幣か)、といった話。著者の結論は、藩札はそれなりに出ていて、鎖国や藩の間の往来制約による地域間のお金流通の制約、金銀の海外流出に伴う貨幣量の減少を補うための地域通貨であり、信用貨幣の一種だ、というもの。また幕末は藩札が乱発されてインフレを招いたという議論に対し、むしろ万延の改鋳や開港に伴う輸出品価格高騰に伴い、(通貨流通量を増やすために)藩札がたくさん刷られた、という議論。著者は日銀の人。現代に適用するなら、いまの日銀も、通貨供給が足りないから政府紙幣だそうぜ、という結論が導かれそうな本なんだけど。道楽的にはおもしろいし、地域通貨への興味からもおもしろいんだが、ちょっと限られた興味の本だと思う。

堀井光俊『「少子化」はリスクか』
 少子化は本当に起きているのか(起きてます)、それについていろんな論者が何を言っているのか、政府がそれにどんな対応をしているか(女性が子供産んでも働きやすい環境を、というやつ)、どんな成果が出ているか(たいしたことない)、という本。各種議論の整理の部分はいいんだが、結論が頭痛モノ。結局、この人は少子化は女性の社会進出で起きた、という結論なわけ。男女共同参画が悪い、と。そしてそれは新自由主義なる代物の要請で、女性を労働力としてこきつかおうという陰謀なのであり、実はこれは全然少子化の解決など考えていないのである、けしからん、というのね。
 ほほう、じゃあどうすればいいの? 著者の結論は、少子化でもいいじゃないか、とのこと。少子化を受け入れた社会づくりを、というわけね。
 でも著者はごまかしているけど、少子化でかまわないなら有効な少子化対策をしていない新自由主義の陰謀は、特に批判すべきものじゃないってことだよね。じゃあこの本は何をいいたいわけ? 逆に新自由主義批判をしたいんなら、むしろ少子化を嘆くべきでその対策として結局女性は家庭から出るな、と言うしかない。でも著者はフェミニズムにいい顔はしたいみたいで、これを主張する思い切りはないようだね。結局主張に一貫性がなくてほめられないのだ。

隠岐さや香『科学アカデミーと有用な科学』
 科学者というのは、かつてはただのモノ好きな好事家でしかなかった。それが国の支援を得て統治のツールとしても取り込まれていったわけだが、その先方がパリの王立科学アカデミーだった。で、政治的に支援を得るためにはそのお題目が必要なんだが、それが有用性、または効用っていうものだったわけだ。つまり、ただのお遊びから、多少なりとも役にたつものという位置づけの変化があって、ということ。そしてその際の「有用」ってなんだったのか、というのがもちろん重要になる。問題としてはおもしろいし、現在の各種の学問支援や文教政策にも関連する。数学、確率、解析学、種痘などがどんな思惑の中で科学に取り込まれていったかという話とか、おもしろい部分も多いんだが、論文がほとんどそのまま本になっているので、あれこれ枝葉を気にしすぎていて、ちょっと最後まできてまとまりきらない感じ。悪い本じゃないんだが……

サルマン・ルシュディ『ムーア人の最後のため息』
 これは、無念な放出。ルシュディの小説は濃いので、流し読みできないんだよね。最初から羊羹の中をかきわけていくような味わい。書評する前に、まったく読み終わらないし、その間に他の本の書評予定が入ってくると絶対に採りあげられない。他の人が拾ってくれることを祈って放出したが、ちょっと無理みたいだ。残念。

塩川 伸明民族浄化・人道的介入・新しい冷戦 冷戦後の国際政治
  著者の塩川は稲葉振一郎がブログでよくほめている人なので、期待して読んだが、非常に不満の残る本だった。本の主張としては単純。ボスニアでもコソヴォでもイラクでもあっちこっちで、何やら民族浄化でマイノリティ虐殺が起こっている、だから人道的介入をしなくては、ということでNATOや米軍が爆撃するのが正当化されている。でも、塩川的には、そういった各種の事件をよく見直してみると、実は民族浄化があったといえるかどうか疑問な面もあり、人道的介入というのに裏の狙いがあって、人道はその口実にすぎなかった可能性もあり、民主化運動というのも実は民族主義もあれば反米もあれば反NATOもあればむかしのしがらみもあればあーだこーだ、よって単純ではありません、白黒単純に割り切れるもんじゃありません、というのを、近年の各地の紛争について論じている。
 が、全編にわたってとにかく、塩川は結局なんだというのをまったく言わない。他人がアレを考えてない、こういう状況に無知とあげあしを取るばかり。じゃあ、そこで指摘されている情報を考慮したうえで、人道的介入という議論は(弱まるにしても)成立するのか? 塩川としてはその各種知見をもとに、その時点における軍事介入は正当化されると考えるのか? あるいは介入がダメなら他にどんな選択肢が望ましかったのか? それはすべての論考で述べられていない。それでは学者のお遊びでしかない。
 またボスニアへの軍事介入を是とする論者の文を引いて、塩川は「二〇〇四年時点でこんな認識だとは」と嘲笑的に書く。では二〇〇四年時点における、塩川の考える「正しい」認識とはどんなものか? 塩川はそれを明記することなく、見下した口調で相手の不勉強を嘲笑するだけ。その一方で、謙虚なふりをした逃げ口上。民族浄化という用語の定義についても、自分は歴史的な知識が不十分だからこれを論じる資格はないとか書きつつ、民族浄化の類型をあれこれやってみせて、それを論考の一つの核にしている。この人は、こういう物言いが謙虚さだと思っている。でもこれは謙虚さではなく責任逃れの弁明だ。この論文において、民族浄化について十分な知識を持たないという自覚があるなら、そもそもそんな論文を書くべきじゃない。論文の核となる概念について、よく知らないって何?
 よって、ぼくは本書を書評で採り上げる価値はないと考えた。ロールズやウォルツァーをめぐる議論もピンとこない。敢えて擁護するなら、この本はネット上にあげたWIP的な位置づけであって、これらの材料をもとにいずれ本論が書かれ、そこではもう少しまともな立論と塩川なりの結論が記述されるのかもしれない。が、それならその本論が出るまで待つだけのこと。

ドン・ウィンズロウ『サトリ』
 あらすじ説明の冒頭が「日本精神最高の境地「シブミ」を会得した主人公は……」とかなんとかあるのを見て笑ってしまい、もうまともに読めない。なんだかトレヴェニアンが「シブミ」っていう本を書いたんだって? それのなんとか。ぱらぱら読むと、例によってウィンズロウの救いのない暗い話のようだが、「シブミ」(たぶん英語では「シッブーミー」とか発音するんだぜ)を思い出すたびに笑ってしまうので、ウィンズロウの小説を読む雰囲気じゃない。やめー。

梅田雅信『日銀の政策形成』
 日銀の議事録を見ると量的緩和解除はいろいろ考えてやったのに、リフレ派はそれを一面的にとらえてだめですねー、日銀様は常に日本経済のことを考えて動いておいでなのですよ、というような本。厳密にいえば、書評委員の中にも名を連ねていた人もいるし、ルール的にアウトな気もするが、テクニカルすぎて一般紙で紹介する本ではないと思う。

ニコラエヴァ&スコット『絵本の力学』
 絵本は、絵とストーリーが同じ場合と補完しあう場合と対立しあう場合があって……といった基本的な話から始まって、絵本という表現形式の分析をしようとするが、全体に言わずもがなの話をむずかしく言っているだけのように思えてピンとこなかった。放出。

サスキア・サッセン『領土、権威、諸権利』
 まあ同じこと何度も書きたくないしこれ読んでや。でもここまでひどくなっているとは思わなかった。あと、造本も行間が狭くて字間が空いていて、ちょっと読みにくいんだよね。

美崎薫『記憶する道具』
 美崎薫のライフログ論。前著ライフログ入門は、いろいろ具体的なライフログ活用について書いてあるのでおもしろく読めるが、これは非常に抽象的な(悪くいえば緩い)ライフログの哲学談義になっている。ライフログはいまだ用途が不明確で、実用性を超えたところにその意義がある云々。いずれ、ヴァネバー・ブッシュ『As We may Think』とかケイのダイナブック構想みたいな、先駆的な思考の書と評価されるのかもしれない。でもいまはそれはわからない。

小島秀康『南極で隕石を探す』
 文字通り、南極で隕石を探す話。南極探検隊の装備や細かい日誌的な記述もあって、なかなかおもしろいし、その後隕石をどうやって分析するか、そして現在の隕石保存についての著者なりの意見(いまは個人が抱え込んでいるんだって。博物館に渡すと「収蔵品」となり大切に保存するのが第一義となってしまうため、かけらを取って分析とかできなくなってしまい、かえって研究に支障が出てしまい、多くの隕石がそのために死蔵の憂き目にあっているとか。なかなか興味深いんだが(恐竜化石も同じ状況らしい)それ以上に広げるのがむずかしいのでパス。

山里勝巳編『移動のアメリカ文学』
 アメリカ文学は、ゴールドラッシュでもロードムーヴィーでもケルアックでも移動がよく出てきて、それがまあフロンディア拡大のテーマと結びついていたり云々。まあそうですねえ、という感じながらそれ以上の話にはならず、なんだか最後の論文の末尾にある、必ずしもまちがっているとは思わないがあまり根拠のないぬるいエコなお説教はちょっとげんなり。

ウィリアム・コツウィンクル『ドクター・ラット』
 おもしろいんだが、ここに書かれたテーマは近刊の自分の訳書でもう少し冷静に書かれていたこともあって、少し本書の書き方がヒステリックな誇張に思えてしまう。待望のコツウィンクルだから、とりあげるべきかとは思ったんだが……すまねえ。

トルケル・フランセーン『ゲーデルの定理』
 ゲーデルの不完全性定理の変な解釈や誤用を片っ端から挙げ、それが本当は何を言っているかをきちんと説明した本。ゲーデル誤用はポストモダニストだけの専売特許ではございません。右も左もみんなやってます。最初は、柄谷行人が持っていって、だけど間もなく放出してウヒヒヒ、という感じで、こういう嫌みな本はオレ様の出番でしょう、と引き取ったんだけれど……読んでる分にはおもしろいが、いざ何か書こうとすると、自分が批判されている連中よりさしてマシな理解をしているわけではないことに気がついて、ビビってやめた。

デビッド・アーロノビッチ『陰謀説の嘘』
 陰謀説なら、これは是非是非、と思って取ったら……翻訳ひどすぎ。ここを見よ。この手の反陰謀論本というのは、実はその反論部分よりも陰謀を紹介している部分のほうがおもしろいんだが、この本は楽しむレベルまでもいってない! ところで書評委員会では「PHPって陰謀論そのものの本をいっぱい出してる」といった意見が見られたが、そんなことも特にないと思うんだけど……。

空間のために ニコラス・ウェイド『宗教を生みだす本能』
 これは本をとったとき「いやあ、宗教があると人々をまとめやすくなるから、人の生存に有利、よって宗教は進化的に有利だったんだ! とかいう安易な本でないといいですねえ」と笑っていたんだけど……基本はまさにその安易な本。いろんな宗教の事例はきちんと調べてあるし、各種教団がどんな原因で広まり生き残ったか、という話はそれなりにきちんとしているんだが、キリスト教やムスリム教団なんて進化的に云々できるような話じゃないだろ。著者自身もそういう点は、自覚はしているんだが、でもそれでどうするわけでもなし。しかも、宗教と進化的な話をするんなら、ジュリアン・ジェインズの分析(むかしの人は、右脳の指示を本当に神様のお告げとして聞いていたんじゃないかというおもしろい説)や、最近の脳科学による聖なるものや霊的なものを感じる器官(なんでも磁力に反応して何となく人の気配や昂ぶりを感じるような部分があるらしい)の話に触れないわけにはいかないはずなのに、まったく無視。ちょっといい点あげられない。(2011/5/22, id)

空間のために メアリー・カルドー『「人間の安全保障」論』
 これは上で罵倒した塩川の本とも通じるんだが、これからは国際的に人道的介入というのをもっとがんばってやるべき、という趣旨の本。でも、それじゃリビアの爆撃していいんですか、という問題になると、あれこれ言を濁して、いや国際世論とか市民の声とかNGOとかいろいろやり方はありますから、という話で逃げる。いっていることは、別にまちがってはいないと思うが、特筆すべき内容とも思えない。その思い切りの悪さであまり評価できません。(2011/5/22, id)

空間のために ブッシュ他『市場における欺瞞的説得』
 広告やマーケティングで使われるいろんな手口を述べ、それに対抗するにはどうすればいいか述べているんだが、研究者向けのかな釘的な学術書で、すべて先行研究をいちいち挙げて煩雑なうえ、特に目新しいことが書いてあるわけじゃない。プレースメントとか広告で有名人を使うとか統計的ごまかしとか、いろいろだます手口はあって、それに対してはリテラシーを上げることもできるし規制を強化することもできる、そうです。その通りですがそれで? 専門家向けの先行研究サーベイ以上の意味がある本ではない。
 出版社の誠信社は、この分野の古典であるチャルディーニ本を出しながら、それをまったく裏切る、影響力の武器で批判されていた商業濫用を進める本を出したりして、評価が定まらない会社。でもこういう釣り画像を表紙に使うなら、クマー! AAにしてほしかったところ。 (2011/5/30, id)

html ベタ打ちが面倒で、特にアマゾンのリンクをあれこれ貼るのも手間になってきたので、この先は以下にお引っ越し: 「朝日新聞書評ボツ本」@はてな


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