朝日新聞書評 2004/07-09

 

浅羽通明『ナショナリズム/アナーキズム』(ちくま新書)

 思想なんて、何の役にたつの? これにきちんと答えるのはむずかしい。思想なんてナントカ主義だのイズムだの本質だの可能性の中心だの、どうでもいいところで変な派閥を作って怒鳴りあうだけ、というのが一般の印象だ。いや、それもウソだな。普通の人はそもそも「思想」なんかに具体的な印象なんか持っていない。せいぜいが特殊な人々による浮世離れしたこざかしいおしゃべりと思っているくらいだ。

 でも一方で人は深く思想に冒されている。ケインズは「知的影響から自由なつもりの実務屋は、たいがいどっかのトンデモ経済学者の奴隷だ」と述べたけど、思想にもそんなところがある。ふと何かの折りに、ぼくたちは出来合いの思想にすがる。でもなぜその思想だったのか。どういう状況でその思想は必要とされたのか?

 浅羽通明の『ナショナリズム』『アナーキズム』に始まるシリーズは、それを本気で考えている。ナショナリズムなら三宅雪嶺や丸山真男、そしてアナーキズムなら大杉栄や埴谷雄高といった大物たちをテコにしつつも、浅羽の分析はその書き手のみならず、それを求めた読者のニーズまで深く掘り下げる。

 たとえばナショナリズムは、日本の近代国家化の中で必要とされた思想だ。押しつけただけでなく、当時の国際環境と都市化の中で、地域性だけに頼れなくなった日本人自身が積極的に求めた思想でもあった。これをもとに、コミュニティ意識の延長としてナショナリズムを捉(とら)える小林よしのりの議論と、狭い地域性の崩壊ばかり強調する姜尚中的な反ナショナリズム議論を、浅羽は同じ現象の表裏だと一撃で看破する。

 一方のアナーキズムは、自由を徹底して追求する思想だ。でも生活や家族のためには不自由に耐えるしかない。時にそれすら否定する純粋アナーキズムは、実はすねかじり的な甘えを根底に持つ。浅羽はそれを、埴谷雄高が引きこもりのおたく先駆者だったことなどを足がかりに論じつつ、保守主義とアナーキズムの類縁性など驚くような指摘を次々に繰り出してみせる。

 その思想を大衆的に咀嚼(そしゃく)しつつ、その可能性を最も先鋭的に拡大した例として採り上げられるのは、本宮ひろ志(ナショナリズム)や松本零士(アナーキズム)のマンガだ。そして最後に、現代日本におけるこうした思想の役割についての冷徹な分析。思想が社会を動かすわけじゃない。社会の要請が思想を呼び出す。この「道具としての思想」という確固たる視点から導かれる分析は、ナショナリズムといえば右傾化といった紋切り型をあっさり蹴倒(けたお)し、その思想の核心にまで迫る。思想なんて、何の役にたつの? このシリーズの出現は、この問いそのものを変える。いまや問題は、あなたがどんな思想をどう役にたてるつもりか、ということだ。本書にはそのヒントがぎっしり詰まっている。

(コメント:おもしろかった。『アナーキズム』最後の変な地域通貨信仰にはあぜんとしたけれど。引きこもりとしての埴谷雄高、というのは笑ったけど、盛り込もうとして話がちょっとしぼりきれなかったかな。)
 

ギブスン『パターン・レコグニション』(角川書店)

 もう二十年も前に、産軍学複合体と大コングロマリットの支配するネットワーク社会を傑作『ニューロマンサー』で描き出したウィリアム・ギブスンの期待の新作が、本書『パターン・レコグニション』だ。

 これまでのギブスンの新作はかわいそうだった。『ニューロマンサー』があまりにも傑作すぎ、その後のインターネット社会を予見するような内容だったこともあって、かれの新作は常に新しい技術社会像を描き出す予言小説としての過大な期待がついてまわった。そしてギブスン自身もそれになまじ応えようとして、かえってわざとらしい説得性に欠ける作品が連発されてきたように思う。

 だが本書でギブスンは、作り物じみた未来世界を放棄する。舞台は二〇〇二年。あらゆる場所に大メーカーの看板があり、スターバックスが通りにあふれ、携帯電話とネットが浸透したこの世界だ。ブランドアレルギーという奇妙な病気を持つ主人公ケイスは、ネット上に流れる謎の動画に魅せられているが、ひょんなことからその作者を探す仕事を引き受け、アメリカからイギリス、日本、ロシアと世界都市をめぐり……

 ギブスンの小説の常として、作品はいくつかの層を行き来する。データ化しきれない肉体のレベルと、表層的なブランドや技術風景のレベルと、そしてネットワーク世界と。それぞれの層に、目新しさと古さが同居している。過去二十年間で、世界は本質的には変わっていない。でも表面的にはちがっている。未来の捏造をやめ、現代をそのまま描き出した本書を読むのは、目新しさと懐かしさを同時に味わう奇妙な体験となる。現代は変化がはやすぎて未来が失われた、という作中の記述を裏切って、本書はある種の未来をかいま見させてくれる。それを読み取るのが読者に課せられたパターン認識(レコグニション)の課題だ。

 本書は実は『ニューロマンサー』のリメイクでもある。両者をあわせ読むとき、十分な時代認識を持った読者であれば、そこにこめられた現在の未来性とその逆をありありと感じ取れるはずだ。

(コメント:もうちょっと話題になってもいいと思うんだけどな。おもしろいよ。)
 

バーン他編『マキャベリ的知性』(ナカニシヤ書店)

 人間様はかなり賢いけれどなぜだろう。生き残るためとか、道具を使うようになったからとかいう説はある。でもそんなの実は大した知性はいらない。ゴキブリやミジンコだって立派に生き延びている。道具だって、サルが海水でイモを洗うとかアリを藁(わら)でつり出すとかが知性の証拠とされるけれど、その程度の話ならだれかが偶然やったのを文字通りサル真似(まね)すればすむ話。つまりヒトは単なる生存上の要請にしては賢すぎる。なぜだろう。

 それは社会関係じゃないか。顔色を読み、だまし、裏をかき、共謀したりする――そうしたマキャベリ的権謀術策のためにこそ知性は発達したんじゃないか。それが本書の提示する仮説だ。集められた各種論文は、各種のサル社会の観察を通じて知性と社会関係とのかかわりをていねいに検証する。知能が発達したサルほど、ごまかしや計算ずくの行動をするらしい。知性の本質の一端を精緻に解き明かしてくれる好論集となっている。

(コメント:道具を使うから知性が発達したわけじゃない、という論文とか、実はこっちの思いこみかも知れないよというデネット論文とか、全体にバランスもとれていてとってもおもしろかった。)
 

川島 レイ『上がれ! 空き缶衛星』(ナカニシヤ書店)

 何事も実体験は大事だ。ガキの頃に時計やラジオや車や化学実験セットをいじって工学を志す人はたくさんいる。でも科学技術も高度化してきて、最近の原子力とか遺伝子工学とか宇宙工学とかだと実体験といってもむずかしい。教育用核融合炉のある中学校は限られているし、遺伝子操作設備も一般家庭にはまだ普及してない。宇宙工学もえらくお金がかかるので、高校はおろか大学で宇宙工学を勉強しても、多くの子は何一つ宇宙に送り出す経験がないままだ。これじゃあいかん。工学は、ブツを作ってなんぼの世界。学生たちに、人工衛星を作らせよう! そして実際に打ち上げよう!

 本書は、そんなコンテストに参加した、東京大学チームの奮闘記だ。ジュースの缶サイズの人工衛星を、アメリカの砂漠でアマチュアロケットに便乗させてもらって、上空で切り離す。設計上の苦労、東工大とのよきライバル関係を、挑戦! 戦い! 友情! そして成功! という定番少年ジャンプ路線で描き出し、実に楽しい。

 とはいえ、本書を読んでワタクシずいぶん行き倒れを感じたものです。やい後輩ども、秋葉原の店のイロハもご存じねぇたぁ何事だ。ハンダづけを留学生の世話になったとか、発光ダイオードの駆動回路ごときを一発でモノにできないとか、情けねえぞ。それが天下の東大工学部か! が、それは本書のいいところでもある。こんな程度の技能でも、ゴール目指して努力するうちにそこそこモノになることも見せてくれるうえ、読者に自分でもやりたい気分にさせてくれるのだもの。「ええいまだるっこしい、オレに貸してみろ」と何度言いたくなることか。ホレ高校生諸君、こんな低レベルの連中にでかいツラさせとく法はない。一撃で倒せるぞ! 夏休みももう終わりだけれど、是非本書を読みなさいな。短いし、読みやすいよ。そして感想文に書くのです。「本書を読んで、東大恐るるに足らずと思いましたので、是非来年はあたしも挑戦したいと思います」。そうなったら、日本の工学の未来も明るいんだがなあ。

(コメント:これは単純におもしろかったんだが、CUT の書評と同じになりすぎたのはちょっと忸怩たるモノが。)
 

松本 仁一『カラシニコフ』(朝日新聞)

 カラシニコフこと AK47 といえば自動小銃の一大傑作。昔ベトナムで撃ったとき、横で射撃場の人がばらして掃除してるのを見て、そのシンプルさに唖然とさせられたっけ。こんな単純なの! あんな雑に扱っていいの?! でもその単純さと雑さは戦場での信頼性を高め、技術力の低い途上国でも製造を可能にした。それが独立運動ゲリラ支援と武器流出で世界中に広まり、誕生から数十年たった今も各地で人々を殺傷し続けている。

 本書はそのカラシニコフ小銃に焦点を当て、その誕生から現在の「活躍」ぶり、果ては武装解除運動までを追ったノンフィクションだ。白眉はなんといっても設計者のカラシニコフ本人に開発経緯や設計思想を詳しくきいた部分。生きてたのか! すき間の多い精密でない作りは意図してのものだったこと、トカレフらの設計との競争など、珍しい話が満載だ。記述は正確だし、日本の自衛隊向け小銃メーカーにも話をきき、きちんと比較しているのも立派。

 さてその AK47、世界各地のゲリラや反乱軍や内戦で今なお現役だ。本書はその傷跡を追い、アフリカの元ゲリラやその家族やスラム住民に話をきくのだが、ここは本書の弱いところ。描かれた事例は悲惨ではあるけれど、それをカラシニコフのせいにはできないだろう。さらに、無能な政府の援助はダメで NGO 経由で援助すれば万事オッケー、といわんばかりの援助改革談義は安易すぎると思う。NGO は、ミクロに薬を配ったり学校作ったりはできるけど、全国民が豊かになる有益な経済改革とかはできないので本質的な解決は困難なのに。そしてこの話題はカラシニコフというテーマとずれていて、本書の軸を弱めていると思う。

 もっともそれは本書の価値を下げてはいない。問題提起自体は正当だし、独立国と認めてもらえず苦悩するソマリランドの話題などは、銃とは無関係の独立した話としてきわめて刺激的。平和主義者も援助関係者も、またかなりのガンマニアでも、読めば必ず何か新しい発見がある稀有な一冊だ。

(コメント:実は本書については、三段落目のダメな部分がかなりハナについて、一時はやめようかとも思った。でも銃を撃ったことを自慢できる機会はなかなかないしぃ、朝日新聞社刊なので、ぼくがやんなきゃ他の人がやる、とのことで、他の人がやるような絶賛ヨイショ書評がのるくらいならダメなところあわせてオレがやるべえと思いました。)



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)