朝日新聞書評 2003/10-12

 

原田泰『奇妙な経済学を語る人びと』(日本経済新聞社)ぼつバージョン

 経済学は結構単純だし、基本的な原理は、ちょっと勉強すればそんなにむずかしいものじゃない。とはいえ、その「ちょっと」もさぼりたいのが人の性。結果として、目先の思いつきと陳腐な精神論をこねくりまわし、手軽な悪者を見つけて簡単な「解決策」を陳腐なスローガンにまとめて提示してみせる、エコノミストを名乗る人々のアホ議論が人気を博す。一見しただけでウソだとわかる頭痛のするような議論(たとえば日本はデフレじゃない、とか)が堂々と述べられ、それが大手紙で絶賛されるという情けない状況が、日本の景気沈滞とともにますます幅をきかせつつある。そして日本の超一流学者まで、それを批判するどころか、時にその尻馬に乗っている。

 それだけに、最近そうした世にはびこる経済がらみのアホ議論をきちんと批判しくれる本が次々に出てきてくれているのは、本当にありがたいことだ。原田泰のこの本も、その一冊。

 俎上に乗っているのは、中国の成長が脅威だとか、デフレは中国発だとかいう議論、円通貨圏待望説、市場暴走説、不良債権処理で景気回復という説、地方経済、そして通常の経済議論を離れた少子化憂慮、核家族礼賛論など。いずれも、ある程度の数字的な裏付けをもって穏やかな口調でしっかりと論破され、それに対する奇を衒わないまともな経済学的見方が提示される。単なる分析にとどまらず、具体的な政策の方向性もきちんと解説。

 そして最後は、なぜこういう珍説を唱えるアホなエコノミストがのさばるかについても説明。思いこみとウケ狙いだけで物を言うただのバカと、一方ではあまりに高度な重箱の隅理論にかまけている学者と、どっちも普通のニュートン力学にあたるごく基本的な(そして最も使いでのある)経済学を軽視しているということ。一般人の感覚レベルに訴える普通の経済的常識を確立すべきだ、という著者の主張は実にうなずける。冒頭で述べた「ちょっと」の部分ですな。本書を読むことで、その「ちょっと」のとっかかりくらいは身につけられるはずだ。

(コメント:野口旭の「経済論戦」をパスしたりしていたのだが、はっと我に返った。おれは何をやっておるのだ。この一派の本を応援しないでどうする! で、原田泰本が手元にきたので、採り上げることにした……が、フィリピンへ行ったり南アフリカに行ったりしているうちに、ついつい後回しになって、期限が切れてしまった。800 字を書いて送ったら、もうダメ、400 字なら、ということで書き直しておくる。ううう。)
 

原田泰『奇妙な経済学を語る人びと』(日本経済新聞社)

 経済学の基本的はむずかしいものじゃないけれど、一方でちょっと腰を据えて勉強しないと、直感的にわかりにくい部分もある。多くの人はその手間を惜しみ、結果として、目先の思いつきと陳腐な精神論とスローガン頼りの「エコノミスト」たちのアホ議論が人気を博す状況は頭痛ものだ。それだけに、最近それをきちんと批判しくれる本が次々に出てきたのは実にありがたい。原田泰のこの本も、その一冊。

 俎上に乗っているのは、中国脅威論、デフレ中国説、円通貨圏待望説、不良債権処理で景気回復という説、そして通常の経済議論を離れた少子化憂慮や地方都市再生など。いずれも穏やかな口調でしっかりと論破され、それに対する奇を衒わないまともな経済学的見方が提示される。思いこみとウケ狙いだけでもなく、高度すぎる重箱の隅理論でもない普通の経済的常識を確立すべきだ、という著者の主張は実にうなずける。本書もその見事な実践となっている。

(コメント:というわけで、削りました。『日本はデフレでない』批判を削らざるを得なかったのが残念至極。あの駄本をほめたのは、朝日書評欄の大汚点だと思う。どこかで雪辱戦を……)
 

田中他『エコノミスト・ミシュラン』(太田出版)

 浜の真砂は尽きるとも、と申します。日本の不況に対する処方箋を説く世の経済書もしかり。政治やメディアで影響力を持つ御仁方も含め、何の裏付けもない愚説に珍説を展開する本や論者は後を絶たず。ええい、個別撃破ではらちがあかぬ、いっそまとめて処理してくれようと登場したのがこの本だ。

 まとめた分、効率ばかりか議論の見通しも改善。というのも各種不況打開策議論は、おおむね同じ議論の変奏なのですもの。構造改革派、不良債権処理派、よいデフレ派、財政出動派、単に無定見な人々。前半の座談会部分は、それらを要領のいい解説とともに実名入りで滅多斬り。斬る著者たちの立場は、リフレ。通常はゼロ以下にならない金利を、インフレで実質的にさらに引き下げ、景気を刺激しようという単純明快なもの。経済学界では主流になりつつあるこの説が、なぜ日本でだけは受け入れられぬと嘆く著者たちのぼやきは、時に笑いと涙すら誘います。

 また各種論者の経歴や思想史的背景まで掘り下げているのは、経済学業界関係者ならではですな。この一冊で、世の各種議論や論者たちの系譜はばっちり。たいがいの通俗経済書は「アレとコレの合わせ技か」と一瞬で見切れるようになり、お金も時間も大幅節約。自分で見切る自信がなければ、本書後半の書評集をどうぞ。前半の各種議論を通俗経済書にあてはめて、ゴミと良書を選り分ける。これまた痛快無比だし、理論的なベースのある本の見方を教えてくれて実に有用でございます。

 記述があまりにリフレ派至上との批判もありましょうが、リフレ派が受けてきた曖昧で陰湿な罵倒に比べれば、フェアだし根拠もまとも(ただし評者もリフレ策支持なので、本書評にもそういうバイアスがある可能性はご留意を)。装幀もかわいいぞ。株価がまた下がって一時の浮かれムードも怪しげな現在、各種の景気回復議論を今一度整理しなおしたいあなた、乱発される通俗経済書に財布が追いつかないとお嘆きのあなた。本書はまさにあなたのための一冊ですぞ。

(コメント:原田本が遅れて短くなった分、こっちは早めに。でもこれはホントにおもしろい本なのだ。『日本はデフレでない』批判も載っているし、この本をほめたことで、まあチャラにしとくれや。ただし、当然ながら松原隆一郎はボコボコにされてるし、前期の書評委員だった池尾和人もボロボロだし、宮崎哲弥のお仲間もこてんぱんだし、青木先生まで軽く批判されているという、朝日書評委員的には痛い本ではあるんだけどねー。(付記:宮崎哲弥は、そんなの気にしないとのこと。えらい! ちなみにかれ自身は、「リフレ逝ってよし」から「一度やらせて失敗させるのも一興」を経て、だんだんじわじわとこっちに近づいてきているみたい。)さて無事に載るか、ごろうじろ(付記。載りました。ほっ。)。正直言って、書評委員の中でただ一人リフレ派として経済書評の良心も努めなくてはならんというのは、荷が重いぞよ)
 

シュワルツ他『エンロン内部告発者』(ダイヤモンド社)

  世界有数の粉飾会計事件となったあのエンロン事件のドキュメンタリー。しかも著者は、同社内部で粉飾決算問題に気がつき、警鐘を鳴らしていた副社長。問題の発生から発覚、そして上層部がそれをいかにして握りつぶしたかまで、内部の人間にしかわからない緻密さで描かれている。

 最終的には会計詐欺事件なので、会計や財務の知識がないとわかりにくい部分はある(逆にバランスシートや資産評価の知識がちょっとでもあれば、驚愕の連続だ)。が、それがなくても、株価上昇にさえつながればどんな怪しげなことでも平気で許容する異様な社風や、そうした社風で活躍できてしまう人々の、これまた抑えの効かない新興宗教まがいの異常人格ぶりは呆然。欲をいえば、その後のワールドコム事件ともからめ、エンロンから一歩離れたアメリカ全体の問題への視点が欲しかったところではあるが、それはないものねだり。並の小説をはるかにしのぐおもしろさ。

(コメント:あと、社長についての非難があまりないのは驚いたんだが。)
 

2003 年今年の三冊

 ゼーバルトは久々に、読み始めた瞬間に空気が変わる名作。文字と写真の不思議なからみあい、ミクロな事象とマクロな歴史との自由自在な行き来。今年読んだ小説ではベスト。ピンカーは、人間の心が進化を通じて形成された、各種モジュールの組み合わせによる計算プロセスだとわかりやすく(しかも内容の高度さは保ちつつ)説明した驚異の本。これがベストセラーになるアメリカはうらやましい。また山本は、魔術と科学の関係を、遠くからでも機能する磁力と重力という不思議な力の歴史を通じて丹念に解き明かした記念碑的大作。その他、選外でゴーレイヴィッチ『ジェノサイドの丘』は、異様な規模なのに世界から黙殺されたルワンダ虐殺を描いて衝撃的だったし、経済書では田中他『エコノミスト・ミシュラン』が楽しい論争的なスタイルを提案していたのが印象的。

(コメント:いまいち特徴が出し切れず、あれこれ並べる形になってしまった。まあしゃあないか。でも旅先で記憶を頼りに書くと、家で実物を手に取りながら迷うときよりどうも浅くなるのは事実。)



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)