朝日新聞書評 2003/07-09

 

ケーガン『ネオコンの論理』(光文社)

 現在のアメリカ外交での支配的な考え方をまとめた好著。唯一の欠点は、これでも長すぎることかな。内容は簡単至極。要するにアメリカは軍事的に圧倒的に強いから戦争をする。ヨーロッパが反戦を唱えるのは、軍事力が弱くて実力行使ができないが故のひがみだ、ということ。おしまい。

 特に実証的な本ではない。だがこの思想に依れば、アメリカのアフガン攻撃やイラク攻撃が一応は明快に説明できる。どうしてアメリカは、国際的な反感を承知で強引な手に出るのか? それは、アメリカが軍事的に強くて他の連中の反感など気にしなくていいから、という話だ。

 『ネオコンの論理』という邦題は秀逸。これは現在のアメリカ上層部で支配的だとされるネオコン(新保守主義)の思想だ。ただし中身には「ネオコン」ということばは登場しないし、その説明もない。ネオコン自体の詳細な系譜などに興味がある読者には向かない。あくまでその考え方のエッセンスを知りたい人向けの一冊だ。

 さて本書の書評は散見されるが、いずれも日本にとって本書の議論が持つ意味について「重い」だの「意義深い」だのといったおためごかしで言を濁しているのは、頭が悪いのかただのへっぴり腰なのか。それは解説の文藝評論家も同罪。本書の議論を認めるなら、結論は単純明快。軍事力に劣る日本の唯一の道は、自立も誇りもかなぐり捨てて、精一杯アメリカのご機嫌うかがいに徹した阿諛追従のケツなめ奴隷国家として生きよ、ということだ。そうはっきり書けばいいのに。ぼくはそれでもいいし、いまの日本の行動はそれに近いとも思うけれど、本書の論調を妙に持ち上げる一部の人々が、一方で愛国心だの国の誇りだの、本書からすればまるで無意味なローカル議論の旗を振っているのはとても不思議だ。リアリストじみた顔で本書の議論に追随するのは簡単だけれど、その帰結を受け入れる覚悟はあるの? 逆に本書の議論を否定するなら、愛だの平和だのいうお題目でない議論が展開できるの? それが本書のつきつける課題だ。

(コメント:これは 2 人くらいの手を経て、2 人とも「おもしろいが書評はちょっと」と言って放出。んでもって、お蔵入りになろうとしたときに宮崎哲弥が「これについて書評欄としてコメントしないでいいんですか?!」と強く主張したので、義務的に引き受けた。この手の現在にあぐらをかいたパワーポリティクス論って、あまり好きではないのだけれど、でもこれをもって帰ったあとでいくつか本書の書評をいくつか読んで、それらのあまりのキレの悪さにあきれかえってこれを一瞬で書き上げた。)
 

山本義隆『磁力と重力の発見』(みすず書房)

 多くの人は、昔の人たちは迷信深い非科学的な連中だったと思っている。その非科学的な部分、たとえば魔法だの錬金術だのを切り捨てることで、現代科学が成立したのだ、と。

 本書『磁力と重力の発見』全三巻は、この通念をひっくり返し、世界への目を少し変えてくれる快著だ。本書は説く。科学は魔法を切り捨てたのではない。むしろ科学は魔法の直系の末裔なのだ、と。それも万有引力というニュートン力学の根幹にこそ、魔法の最大の遺産があるのだ、と。

 現代科学を盲信するぼくたちは、万有引力なんか自明だと思っている。でもそうだろうか。太陽もリンゴも、ぼくもあなたも、みんな「引力」とやらで結ばれている、だって? 徹底して合理的な機械論者は、そんな三流ナンパ師のくどき文句みたいなキモチワルイものは認めなかった。一方、ニュートンは、魔法や錬金術も研究していた。だからこそ「万有引力」という異様な概念で平気で導入できて、現代物理の根幹を確立したわけだ。媒介無しに働く目に見えぬ力というのは、魔法の世界に属するものだったのだからだ。そしてそれを根拠づけていたのは、磁石の存在だったのだ。間に何もなくても作用する不思議な魔力の動かぬ証拠こそ、磁石だったからだ。本書はギリシャ時代にまでさかのぼり、そうした磁石の位置づけをたんねんにたどる。それも正解にたどりついておしまいの出来レースではない、ダイナミックな観念の歴史を、本書は各時代の世界観との関わりで入念に描き出す。

 本書の世界観へのこだわりを、ぼくは懐かしい思いで読んだ。それはかつて著者に予備校で教わったものだったからだ。本書の著者名を聞いて、書評委員会は一瞬どよめいた。自分の知らない時代のできごとが、三〇年たっても深い刻印を残していることにぼくは驚いたのだけれど、それは多くの点でマイナスの刻印だっただろう。全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ、という人さえいた。でもプラスの刻印もあった。その事件のおかげで、予備校でこの人に物理を教われて感謝している受験生は、ぼくも含め無数にいる。かれが教えてくれたのはただの受験テクニックじゃなかった。物理は一つの世界観で、各種の数式はその世界での因果律の表現だということを、かれは(たかが受験勉強で!)みっちりたたき込んでくれたのだった。

 本書はその物理的な世界観を思い出させてくれた。同時に本書は、磁力や重力という常識化した概念/現象の不思議さに、改めて読者の目を開かせてくれるだろう。さらに本書を読むことで、世界はちょっとちがって見えるだろう。無味乾燥な科学が支配していたこの世界に魔法が戻ってきたのをあなたは感じるだろう。さあ、ハリー・ポッターに夢中になっている子供に、いつか本書を見せて教えてやろう。魔法の世界は、いま、きみの目の前にあるんだよ、と。

(コメント:久々の長いレビュー。いろんなテーマを盛り込んで、いまはちょっと書き足りない気もするけれど、でもまあポイントはカバーしたし、かつての駿台予備校の思い出も書けたし。いいんじゃないかな。三中信宏は、予備校話と全共闘ネタがご不満だったそうだけれど、読者層のこともあるし、またそれが話の中心じゃなくて、その後の物理的世界観という話を持ってくる枕でしかないことは理解して欲しいな。全編そのネタで引っ張ってるわけじゃないんだから。特に予備校話は、内輪うけではなーい! 世界観へのこだわりが昔から一貫したかれの哲学であったことの例証なのであーる! それとぼくは「たかがバロウズ本。」でも書いたけど、本の中身だけ見てろというような偏狭なストイシズムは採らない。作者のゴシップだって、読者獲得に使えるもんなら使う。牛に引かれて善光寺参りというやつじゃ。)
 

大平貴之『プラネタリウムを作りました。』(エクスナレッジ)

 読み終わったら本書を持ってどこかのプラネタリウムに足を運ぼう。本の中身はタイトル通り。プラネタリウム、作っちゃいました。だがプラネタリウムといえば、あのドームの真ん中に鎮座する巨大なメカだ。あれを「作った」? 「手作りナントカ」にありがちな、それっぽいおもちゃを作ったんでしょ、と思うだろう。ぜんぜんちがう。商業製品を遙かに凌駕する11等星まで映せ、しかも一人で運べる超ポータブル機。この人は、常識はずれの化け物プラネタリウムを、個人の分際で作り上げてしまったのだ!

 ぼくも噂は聞いていた。でも当然何かのひも付きだろうと思っていた。それもちがった。まったくの素人が、一人で小学校時代から壮絶なハードルを次々とあっさり突破してきた様子が、本書には克明に描かれている。投影ドーム! 工作機械! 電源! 背筋が寒くなるほどの無謀さが、淡々とした記述でかえって際だつ。そして要所要所で(おそらくはその無謀さに感じ入って)かれを支援してくれる在野のエンジニアたちの心意気も、本書からはビシビシと伝わってくるのだ。

 さらに本書は、一部で憂慮されている理科教育についても考えさせてくれる。本書の自作プラネタリウムを使った上映会は、連日満員の大盛況だ。普通のプラネタリウムはあちこちで集客に失敗し、閉館に追い込まれ、理系離れの証拠だとされる。でも実は、単に見せ方の問題じゃないだろうか。それは理科教育全体にも言える話じゃないんだろうか。科学教育ツールではなくアートとしてのプラネタリウムという著者の発想に、ヒントがあるのでは?

 本書の後でプラネタリウムの暗がりに身を沈めていると、そうした思いが次々と湧いては消える。でもやがて意識を占めるのは星空の美しさだけとなる。ああ、著者はこれがほしかったのか。いいなあ。なぜぼくはこれを忘れていたんだろう。そういう自分をちょっとふがいなく思う一方で、これを本当に作り上げた著者の情熱に、あなたは少しだけ嫉妬をおぼえるだろう。そんな本だ。

(コメント:この本はあちこちでほめました。ほめます。だってすごいんだもの。プラネタリウム自作がすごいのは当然だけれど、ここまですごいとは思わなかった。)
 

バラード『千年王国ユーザースガイド』(白揚社)

 J・G・バラードは過去数十年にわたり、世界で最も先鋭的なSF作家として君臨し続けてきた。技術が人類の表面的な行動ではなく、深層心理に対してどう働きかけ、それを変えるかについて、これほど徹底した考察を展開してきた作家は他にほとんどいないだろう。そしてそれを表現するSF/小説というツールについても、かれは非常に自覚的だ。本書はそうしたかれの思考を、小説とは別の方向から解きほぐしてくれる評論・エッセイ集だ。

 各種の文化文明批評、邦訳が入手しづらかった初期のSFマニフェストから、軽妙でユーモアに富んだ(だが鋭い)書評や映画評、『太陽の帝国』映画化にまつわるエピソードなど、過去数十年のバラードのエッセイや評論はこれ一冊でほぼカバーできるという便利な一冊。バラードの小説にこめられた各種の寓意は、本書を読めばいっそう明らかになるし、小説を離れたストレートな現代文明批評としても秀逸だ。翻訳も優秀。

(コメント:バラードの書評って、ぼくの書評並におもしろいのだ。)
 

スタージョン『海を失った男』(晶文社)

 子供の首をちょんぎって飾ってみたり、トンカチで人を手当たり次第に殴り殺してみたりする人々がいる。それも、特に理由もなく。さてあなたには想像がつくだろうか。あなたがいくらお金をつまれようとも、いくら脅されようとも決してできないようなことを、自発的にやってしまうかれらの気持ちが。なぜか、その恐ろしい行動はかれらにとっては幸福をもたらしてしまった。さて、あなたはその幸福というものが想像できるだろうか。

 できないほうがいい。だって想像できてしまったら――そのときあなたもまた、あの怖い存在に近づいてしまうのだもの。人々がそんな想像力を育んだら、社会はめちゃくちゃになる。だから多くの人は、そんな想像力を身につけないだけの分別を持っている。そんな幸福は、実は「真の」幸福でないと思いこみたがる。

 だがスタージョンの小説のテーマは、まさにそんな幸福なのだ。異常であるが故の幸せ、変態としての幸せ、殺人の平安。ほかにも変態や「異常な」存在を描いた小説はたくさんある。でもその多くは、異常者をその異常行動におしやった原因の記述に終始し、その行為自体の快楽や幸福についてはゆがんだ「まちがった」ものとして描く。スタージョンはちがう。手に惹かれ、手に殺されることの悦び。異生物に操られる快楽。異常でなくなることの(死ぬほどの)悲しみ。自分でなくなることの幸福。そしてかれは、それもまた「真の」幸福なのだと語る……だけじゃなくて、その異様な幸福を、直接ぼくたちに感じさせてしまう。

 それは実は、かなりヤバいことだ。だからぼくは、ある種の感性と想像力を持った人々には本書を薦めたくない。ないのだけれど、本書を最高度に享受できるのが、まさにそうした人々だということも知っている。だから自分の鈍感さに自信のない人は、なるべく深入りしないようにササッと読み流してほしい。ほれ、この書評を読んで本書が気になりだしたそこのあなた、あなたのことですよ。これはそういう本だ。

(コメント:スタージョンは実はとっても怖い危険な作家で、それを伝えたいと思ったんだけどいかがかな。と思ったら没になってしまった。冒頭のいくつかの事件への言及が朝日新聞的に不許可なんだって。あとあらすじ説明をもちっといれろ、とのこと。書き直したのが次のやつ:)

 驚いたことにこの世には、楽しげに人を監禁して虐待し、あるいは手当たり次 第に殺す人々がいる。普通人ならいくらお金をつまれようとも、いくら脅されよ うともできないことを、自発的にやっちゃうかれらの気持ちがわかるだろうか。 かれらはその怖い行為で、何らかの幸福を得たわけだ。さて、あなたはその幸福 というものが想像できるだろうか。

 できないほうがいい。だって想像できてしまったら――そのときあなたも、そ の怖い存在に近づいてしまうのだもの。人々がそんな想像力を育んだら、社会は めちゃくちゃになる。だから多くの人は、そんな想像力を身につけないだけの分 別を持っている。そんな幸福は、実は「真の」幸福でないと思いこみたがる。

 だがスタージョンの小説のテーマは、まさにそれを含んだあらゆる幸福なのだ。 異常であるが故の幸せ、変態としての幸せ、殺人の平安。ほかにも変態や「異常 な」存在を描いた小説はたくさんある。でもその多くは、異常者をその異常行動 におしやった原因の記述に終始し、その行為自体の快楽や幸福はゆがんだ「まち がった」ものとして描く。スタージョンはちがう。本書でも「ビアンカの手」の 主人公は、人の手に惹かれ、手だけを見つめ、その手に殺されることに至福を感 じる。「成熟」では異常でなくなることの(死ぬほどの)悲しみ。「海を失った 男」では、異星で埋もれて死にゆく人の発狂の喜び。そしてかれは、それもまた 「真の」幸福なのだと語る……どころかその異様な幸福を、ピントが合いすぎた ような明瞭さで直接読者に感じさせてしまう。

 それは実は、かなりヤバいことだ。だからぼくは、ある種の感性と想像力を持っ た人々には本書を薦めたくない。が、本書を最高度に享受できるのが、まさにそ うした人々だということも知っている。自分の鈍感さに自信のない人は、なるべ く深入りしないようにササッと読み流してほしい。ほれ、この書評を読んで本書 が気になりだしたそこのあなた、あなたのことですよ。これはそういう本だ。  

イースタリー『経済学者、南の貧困と闘う』(東洋経済)

 もともとODAこと開発援助なんて、すぐ終わるはずだった。一時的に苦境を助けてあげれば、どの国も独り立ちしてぐんぐん成長できるはずだった。ところが実際は、開発援助はもうだらだらと五十年も続いているのに、飢えた人も貧乏人も、期待したほど減らない。現場の僕たちも半ばあきらめムードだ。何がいけなかったんだろう。

 著者はまずこれまでの援助の実績を振り返る。援助で道路やダムを造ってもだめ。教育援助もダメ。構造改革もダメ。債務放棄もだめ。一部NGOの非現実的なお題目だってろくな成果はあげてない。ちっとも途上国の豊かさに寄与しない。なぜだろう。それはこれまでの援助がバラバラで、その国全体が成長を目指したくなる仕組みを作ってこなかったからだ、と著者は言い、それを実現するための具体的な留意点をいろいろ指摘してくれる。

 多くの人にとって、教育投資が成長につながらない、といった指摘は意外なはずだ。U2のファンは、債務棒引きが無駄だなんて信じられないだろう。心優しい甘い援助こそが途上国をダメにするのであり、冷血な守銭奴に徹したほうが往々にして有益、という指摘もショッキングかもしれない。でもこれはまぎれもない事実だ。援助機関の自画自賛でもない、独善的なNGOの偏った近視眼的な批判でもない、きわめてフェアな開発援助の評価として本書は重要だ。

 そしてかれの提言は、実はもっと大きな問題をはらんでいる。成長を目指したくなる仕組みがないと著者はいうけど、そもそも本気で成長したがっていない国に、手取り足取り内政干渉まがいに「仕組み」を作ってやることがどこまで正当化できるのか? そもそもODAって、何をめざすべきなの? 本書は読者の一人一人に、そもそもの援助の根幹にかかわる問題までつきつけてくれるのだ。

 訳は正確だが生硬な学者訳なのは残念。原文の楽しいユーモアは全滅。それでも平明かつ率直な記述は、経済学の素人でも十分読みこなせるものだ。援助に少しでも関心のある人間は必読。

(コメント:これは援助関係者としては紹介しなくてはなりますまい。既存の援助を批判しつつ、馬鹿な NGO どもも罵倒。バランスとれてます。あと、訳者の小浜は日本の開発経済の大御所なんだからさぁ、あとがきで変なゴシップでない、日本の援助の特徴や問題とか、イースタリーの主張の評価とか、そういうのをきっちり書いてほしかった。)
 

キャリントン『耳ラッパ』(工作舎)

 シュルレアリズム画家としても幻想小説家としても名高いレオノーラ・キャリントンの代表作。九二歳の老婆が、友人に補聴器(=耳ラッパ)をもらい、家族に老人ホーム送りにされたことから生じる一大幻想絵巻。ボケ老人的な論理の飛躍が次々に繰り出される、自由連想じみた物語の奔放さは比類がない。尾ひれをつけた老婆の妄想だったものが、いつの間にやら異生物との交流に世界変革といった壮大な話にふくれあがる様子はただただ驚くばかり。ボケ老人になるのがこんなに楽しいとは! そして読み進むうちに、飛躍して見える各種の展開に、何か説明しがたい論理性が感じられてくるのも本書の醍醐味。キャリントンの描く不思議な味わいの絵とも共通する夢の論理だ。そうした絵やスケッチ、写真も何点か収録されており、様々な楽しみ方のできる味わい深い一冊。現在巡回中の「フリーダ・カーロとその時代」展にも彼女の絵があるのであわせてお薦め。

(コメント:間に合うかなあ(間に合わせた!)。川上弘美放出をひきとったんだけど、時間が……個人的には川上さんがレビューするとおもしろかったと思うのだ。)
 

西川『環境ホルモン』(日本評論社)

 環境ホルモンの話題を最近見かけないと思わないだろうか。健康食品だの、自然食品だのの礼賛記事等には登場することもあるけれど、一時の精子が減少して人類滅亡だの、自然がメス化して生態系がめちゃくちゃだのといった華やかな話題はもうほとんどない。

 それもそのはず。実は環境ホルモンの話は、その筋ではもはや完全に下火なのだ。これまで騒がれてきた各種の現象も、よく調べると何の関係もないものばかり。魚がメス化してたのも、下水からの人間の自然な女性ホルモンの影響でしかない。一時は危険視された各種物質も、学会ですでにほとんどがシロ判定となっている。環境ホルモンの影響で人間の精子が減ったという研究も、かなりアヤシイ。

 だけれど、こうした情報はちっとも報道されない。人々は相変わらず、環境ホルモンが大問題だと思いこんでいる。

 本書はその思いこみをきちんと正してくれる。この問題を大きく煽った『奪われし未来』を機に、環境ホルモン問題は過大な関心(そして予算)を集めてきたのだけれど、十年もしないうちに、それが杞憂だとわかってしまった。その空騒ぎの過程が、本書には簡潔に描かれている。

 筆致は冷静で説得力に富む。そして読むうちに、ぼくたちも各種の環境問題に対する態度を改める必要があることがわかる。化学合成物質はなんでもよくない、といった思いこみはやめよう。その手の変な思いこみにかられて、必要以上に恐怖心を煽る善意の団体にも注意しよう。同時にマスコミ報道も、つい派手な「問題」報道に偏りがちで火消しをしない(この朝日新聞も含め)。一般の市民はマスコミ報道を鵜呑みにせずに自分でじっくり判断する習慣を身につけなきゃいけないのだ。

 本書(そして本書を含むシリーズ)は、環境をめぐる各種問題について、こうした態度を身につけるための優れたガイドだ。環境ホルモンの危機におびえていたみなさん、本書を読んで安心してください。ぼくも安心しました。人類の未来はまだまだ明るいのです。

(コメント:「ダイオキシン」を逃した以上、こいつはとりあえげるのが義務でしょう。いい本だと思います。あとここに書けなかったのが、企業研究者というものの話。田中耕一ノーベル賞でかなり変わったけれど、特に環境がらみだと、企業の研究者はすぐに悪者扱いされる。この本は企業研究者が書いていて、だからこそ言えることもあるというのがおもしろかったのだ。)
 

ピンカー『心の仕組み』(NHK出版)

 知覚、知能、感情、思考――一般に「心」や「精神」と呼ばれるものの仕組みを、各種学問分野における最先端の成果を援用しつつ、わかりやすくまとめ上げた大力作。多くの心的機能を構成するのは単純な機能をもったモジュール群で、それらが進化によって合理性をもった形で発生、成長してきたことをていねいに解説してくれる。その射程は友情や愛情などの各種感情、美など実に人間くさい領域にまで入り込む。安易なイデオロギーによる性差否定論への批判も読み応えがある部分だ。

 高度な内容なのに文章は平明でユーモアたっぷり。しかも前人未踏のスケールなのにアプローチは実に正当で骨太なのも驚き。読後もしばらく脳が火花を散らす名著だ。ただし注や参考文献を何のことわりもなしに削除しているのにはがっかり。各種学説の原典等が調べようもなく、受けた知的刺激もその場限りで死に絶える。せめてウェブで公開する等の工夫がほしい。

(コメント:これも新妻さんの放出を引き取った。これは書評するのが義務でしょう。天下のスティーブン・ピンカーですもの。幸い、下巻が出たので時間的余裕はちょいとあるのだ……と思ったら、時間の都合で400字。えー、1000字でも足りないでしょう!)



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)